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本に書いてみてわかった母親の強烈さ

2015年秋に、最初の著書「アトピーの夫と暮らしています」を出版した。
タイトル通り、私のオットでカメラマンの宮田雄平のアトピーの闘病記だ。
と言ってもここに書くのはアトピーのお話でも出版にまつわる話でもない。

本を読んだ方からの感想のほとんどは「ご主人本当に大変でしたね」「アトピー治療があんなに過酷だとは知りませんでした」「ご夫婦で治療に立ち向かう姿が素晴らしい」という「アトピー自体や治療の苦労」についてであった。しかしそれと同じくらい多かったのが「お母さん強烈ですね」という言葉だった。

母親ネタで暴走しまくり、編集さんに止められる

母に関しては、本当はもっともっと描きたいことだらけで、担当編集さんから「陽菜さん、これはアトピーに関する本ですから、お母さんの話はまたの機会に描きましょう」とたしなめられなければ、何の本かわからないくらい、母の強烈エピソードで埋め尽くされていたと思う。

原稿から母親ネタを削った結果、実際のパワーの何百分の一くらいなのに「強烈」と言われるんだから、うちの母、どんだけひどいんだ。

いわゆる毒親話になるのだろうか。そんな親でも、自分ではなかなか気持ちに整理をつけられずに来たのだが、ここ数年でようやく吹っ切れてきた。ここに少しずつ実母のことを書き記して行きたいと思う。

子供の頃はいい母親だと思っていた

母は主婦としては完璧だった。料理上手できれい好きで、頼みごとをしても、うっかり忘れるということもなかった。

けれど、自分が完璧な分、家族にも同じことを求めた。記憶の中の母は、いつも怒っている。「~しなくてはダメだ」「どうせあんたなんかダメだ」眉間にしわを寄せた母の顔と共に、ダメだという言葉が頭の中を繰り返しこだまする。

それでも、私は母が自慢だった。母は私とまったく似ておらず、美人でほっそりとして何を着てもよく似合った。お弁当もいつも周りにうらやましがられたし、母の手づくりの洋服や手提げ袋も既成のものよりずっとセンスが良かった。

私は母が大好きだった。小さなころは、母の姿が見えないだけで大泣きしたとずっと父にからかわれていたほど、母親っ子だった。

大好きだった母との決別

それなのに、長いさまざまな紆余曲折を経て、46のとき、私は母と決別した。母は私の住む場所も知らない。もう二度と会うこともないだろう。

親を捨てるなんて、と批判するのは簡単だ。

けれどそういう人に言いたい。誰も好きで親を捨てる人などいない。親を捨てることを「ありえないこと」と批判できるあなたは、自分がどれだけ幸せかわかってないのだと。

ひよこマンガ「母・モモエ編」

母とのことは、人に話すと驚かれるほど強烈で、上記にも書いたが、本に描いた100万倍くらい大変だった。現在は独立して生活しているが、同居していた頃は話した相手から「いつでも家に逃げて来ていいからね」と言われることも多かった。

そんなわけで、今後、そんな生活をあまり暗くならないようにお伝えできればと思う。とりあえず登場人物紹介。

ちなみに、これは2012年頃に描いていた絵柄で、幾つかのエピソードしか描きためてないので、途中でガラッと画風が変わる予定(笑)

ちなみにこのひよこのマンガは、ここで読める。母は登場しないけどね。

次回のマンガ


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