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「演じる」という読書体験を

学校図書館でボランティアをしています。
普段は、読み聞かせや、貸出返却のお手伝いをしているのですが、ボランティア仲間との雑談のなかで「なんか劇とかやってみたくない?」からの「おっ、やってみちゃう?」という話になり、どういうわけか学校側からも許可が下り、あれよあれよという間に、劇を「やってみちゃう」ことになりました。

子どもたちのいない時間帯の図書室を、即席の会議室にして話し合った結果、宮沢賢治の「やまなし」という作品を、ペープサートにして上演することにしました。
学校司書の先生も、もちろん共犯です。
ちなみに、演劇経験者は十人中、ふたり。
それ以外は、わたしも含めて「演劇経験は、小学校の学芸会でおむすびころりんをやったぐらいです」という有様でした。
そんなメンバーが、演劇脚本には頼らずに、原文の朗読をベースに、舞台装置から、演出から、すべて手探りで手作りしようとしたのだから、よくよく考えると、非効率的ったらありゃしない。

ただ、その「非効率」の過程が、たまらなくおもしろかった。

宮沢賢治の作品は、とても詩的です。
わかりやすいひとつの答えやイメージが明示されているわけではありません。

まず、クラムボンって何?
かぷかぷ笑うってどういうこと?
クラムボンは泡なんじゃないかな。
プランクトンっていう説もあるんだって。
紙の輪っかをつなげて、両端を持って、川面でしゃらしゃら揺らしてみてはどうだろう。
シャボン玉を飛ばしてみてはどうだろう。

わたしたちは、作品を読み、頭に思い描いたそれぞれのイメージを提示して、話し合い、すり合わせて、演出を考えていきました。
おなじ文章を読んでいるのに、そこから生まれるイメージがまったく異なっていたり。
何度も読み込んでいくうちに、ひとつの言葉の意味が、二転三転、ころがっていったり。
そういった発見におどろきながら、頭を寄せ、声を出し、身体を動かし、わたしたちの表現する「やまなし」という、ひとつの物語を作っていく過程は、なんて贅沢な読書体験なんだろう。そんなふうに感じました。

ここは光の表現がほしいよね、と。
放送室から運んだおんぼろのスタンドライトを、重ねた机の上に固定し、舞台を真上から照らすようにスイッチをいれた、そのとき。
青や、薄むらさきや、透明のスズランテープを幾重にも重ねた川面が、パッと反射して、まるで、ほんとうの水のように輝いた瞬間の感動は、いまでも忘れられません。

こういった感動は、特別な才能を持ち、特別な道を歩くことを選んだ人たちだけが味わうことができるものだと、そんなふうに思っていました。でも、そうじゃなかった。

古い校舎の片すみで。
がらくたや廃材をかき寄せて。
まったくのしろうとばかりが集まって。

それでも、川面は、ほんとうに輝くのです。


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