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「私」でも「わし」でも「おいら」でもなく 21.5.3

僕、飛田流は、自分の一人称として今書いたように「僕」を主に使う。たまに「俺」。
なぜ「私」ではないかというと、そういった柄でないと思うから。

「俺」中心でなく、「僕」中心なのも、「俺」だとなんかキャラを作っているみたいで、小っ恥ずかしいというか。


だが、これはあくまで文章上の「公用キャラ」(?)であり、リアルで「僕」と口にしたことは極めて少ない。
前に書いたようにリアル友達がいないので、

親しい関係の人に「僕」を使う機会がほぼ無い。家庭内においても、「僕」というのはどうにも気恥ずかしい。
現在51歳だから使いづらいのではなく、子供のころから「僕」と口にするのはどうにもためらわれた。
これは、方言が幅を利かせている土地柄で、「僕」だなんて気取った言い方をすれば、即いじめに遭うであろうことも影響している。

リアルでの青年期の一人称は「わぁ(自分)」だっだべがな……。(だったかな)


そして、歳月は過ぎ、他のアラフィフのみなさまが、次々と一人称を「私」に鞍替えしていく中、一貫して僕は「僕」と言っている。少なくとも、「飛田流」になってからは。これは、「飛田流」のキャラ設定として、「温厚キャラ」で行こうと思っていたこともあるが……。


ま、慣れないことはするものではないね。



話は飛ぶが、『広告批評』主催者でコラムニストの天野祐吉氏は、エッセイにおいて「ぼく」と自称していて、柔らかな文章もあって、お若い方、せいぜい中年をイメージしていたのだが、昭和8年生まれであられることにものすごくびっくりしたことがある。

僕は昔から「同調圧力」が嫌いなこともあり、今後も「僕」を使い続けていくと思う。
少なくとも60代ぐらいまでは。天野氏のように、80代になっても使うかどうかはまだわからないけど。


あと、ごくごくまれに

あたし

は使うかもしれない

わね。

いや、

わりとよく使ってるかも。






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