さんぴん

・文アル・センラー ・読書と旅行 ・尾崎放哉、太宰治、島崎藤村、双璧 旅行やライブ…

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・文アル・センラー ・読書と旅行 ・尾崎放哉、太宰治、島崎藤村、双璧 旅行やライブ・舞台のことを覚えていられるように足跡として残したいと思って作りました。よく推しと出かけるので、推しとの写真が多め https://lit.link/sanpin1003

マガジン

  • 尾崎放哉を知る手がかりまとめ

    書籍など、尾崎放哉を知る手段の取っかかりとして

  • 周りからみた尾崎放哉人物像

    主に層雲読んで、周りからみた放哉先生の印象を知る

  • 『三千里』を読んで個人的に調べてみたもの

    ここなんだろ、と興味持ったところや、行きたいな〜と思ったとこのメモ書きのようなものですᐠ( ᐛ )ᐟ

  • 尾崎放哉 ゆかりの地 マッピング

    https://www.google.com/maps/d/edit?hl=ja&mid=1mshfU6P84Lach1JSppdID1kn_AFNRKE&ll=34.943806839475975%2C136.97644129999998&z=7 ゆかりの地のご紹介(日々更新中・・・)

  • 尾崎放哉先生に会える場所

    私が実際行ったゆかりの地旅行の日記です( ˶ˆ꒳ˆ˵ )

記事一覧

『放哉譚』 中原成之良

 大正十四年、僕は(光石蕗時代)鳥取二中に奉職し、野坂靑也、河本綠石、重村百堂らと共に層雲鳥取支部「湖の会」を起したのであるが、その頃が丁度放哉の南郷庵、井先生…

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2週間前
7

『会社員放哉』 小澤武二

 渋谷の赤十字病院の正門をまっすぐに羽根澤通りが渋谷下通りにまで抜けているその通りを二丁程行ったところの通り端に放哉尾崎秀雄の住居があった。三間か四間の小じんま…

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3週間前
4

念願の中棚荘に泊まってきた‼

前回のnoteで書きました、藤村忌に行った際に、開始が9時半ということもあり、地元の駅を始発で出発したとて間に合わない…!!なら泊まるしか…!?となり、念願の中棚荘…

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1か月前
7

『鞆の津・岡崎』 酒井仙醉櫻

 哉放さんに初めてお會ひしたのは、それが和服であつたか洋服であつたか、はつきり、覺えてゐないほど、遠い三十年も昔のことです、しかしその顏はあかるく輝いてゐました…

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1か月前
1

神戸文学館(文アルタイアップ企画)「放哉ここにありき」の講演メモ

24日に神戸文学館で、わたなべじゅんこさんによる「放哉ここにありき」という講演が行われましたので、忘れないうちにメモメモ‼✍️ ※諸所個人的オタ感想があります。 (…

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1か月前
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小諸の藤村忌に行ってきました

8月22日は島崎藤村の命日です。小諸や大磯で藤村を偲ぶ会が行われ、いちファンとして一回行ってみたい…!という願望叶い、今回小諸で行われた藤村忌に参列してきました。 …

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1か月前
7

岐阜県の戦争遺跡を巡る(東白川村)

先日、舞鶴を訪れた際に引揚記念館に立ち寄り(←記事にしています!)、そこでシベリア抑留、そもそもなぜ多くの人が移り住んだのかを知りました。そのあと、友人から岐阜…

さんぴん
1か月前
1

『三千里』の場所を訪れてみた~仙台~

『三千里』に出てくる場所巡りの記録📝 今回は短い時間でしたが、仙台城跡へ! 本文よりアクセス今回は、仙台駅より「るーぷる仙台」という観光バスを使っていきました!…

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2か月前
3

小諸で藤村講座に行ってきたよまとめ②

7月20日(土)の小諸での藤村講座のテーマは、「嵐」を題材に『父子家庭の哀楽』というものでした。 そのなかで、個人的に興味深かったな~とおもうところの備忘録。 「嵐…

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2か月前
5

『三千里』読んで(明治39年10月)

明治39年10月のところを読んでのメモ書きです。(編集中・・・) 1日〜10日雲巌寺 芭蕉も訪れ、句を残している場所。句碑もあるようです。 三春駒 三春駒とは!坂上田村…

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2か月前
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マッピングし始めました📑

先日、企画でマッピングという最高に面白い機能?コンテンツ??を教えてくださって、うわ絶対放哉先生のでやろ、と思い始めてみました( ¨̮ )︎︎♡ 出来る限り、放哉先…

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2か月前
5

尾崎放哉関連書籍④句集関係

句集は各所から色々と出ているとは思いますが、ひとまず私自身が持っているもののご紹介。 尾崎放哉句集 岩波書店さんから出ている句集です。大きく尾崎放哉自身が、自由…

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2か月前
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尾崎放哉関連書籍③『放哉という男』

内容 放哉が師と仰いだ荻原井泉水による、放哉の人生を語った話。寺男をやっていたときの話や、放哉の生き方など様々な角度でエピソードがまとめられています。師としてな…

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3か月前
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尾崎放哉関連書籍②『海も暮れきる』

内容 筆者が実際に小豆島にて聞いた話をもとに、主に小豆島での尾崎放哉の生活に焦点をあてた話。小豆島に足を踏み入れてから死の瞬間までを、周りの放哉に関わった人たち…

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3か月前
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尾崎放哉関連書籍①『流浪の詩人 尾崎放哉』

内容 尾崎放哉の人生を本当に、ほんと〜〜〜〜〜に!!細かく書き記してあります。私も、あれこの時代どうだったっけ?となったときに読み返しています。また、人生で関わ…

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3か月前
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小豆島①

いつ過ごしていたの?1925年(大正14年)8月13日に同じ『層雲』の同人だった井上一二氏を訪れるために、小豆島へきました。ここで1926年4月7日、最期の時までを過ごします…

さんぴん
3か月前
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『放哉譚』 中原成之良

『放哉譚』 中原成之良

 大正十四年、僕は(光石蕗時代)鳥取二中に奉職し、野坂靑也、河本綠石、重村百堂らと共に層雲鳥取支部「湖の会」を起したのであるが、その頃が丁度放哉の南郷庵、井先生の橋畔亭、所謂短律時代であった。
 当時僕は二中生に熱心に自由律を指導し、パンフレットを出しては小豆島に送り、放哉の批点を乞うていた。彼は生徒の作品を非常に喜んだがその喜び様が普通ではなく、「頼むから今後もドシドシ見せて下さい」といった風な

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『会社員放哉』 小澤武二

『会社員放哉』 小澤武二

 渋谷の赤十字病院の正門をまっすぐに羽根澤通りが渋谷下通りにまで抜けているその通りを二丁程行ったところの通り端に放哉尾崎秀雄の住居があった。三間か四間の小じんまりした家でその頃放哉はそこでかおる夫人と二人で暮らしていた。それは大正四、五年の頃であった。私は山岡夢人と二人で一夜放哉を訪問した。そこは私の住居の新堀町からでも徒歩で三十分位の遠さであり夢人の家のO町からなら役半分の道のりであった。その時

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念願の中棚荘に泊まってきた‼

念願の中棚荘に泊まってきた‼

前回のnoteで書きました、藤村忌に行った際に、開始が9時半ということもあり、地元の駅を始発で出発したとて間に合わない…!!なら泊まるしか…!?となり、念願の中棚荘に宿泊。とても素敵なお宿だったのでレポ~

中棚荘の基本情報長野県小諸市にあります、島崎藤村ゆかりの宿になります。小諸観光として外せない懐古園などから徒歩15分ほど。(小諸駅からだと、タクシーがオススメ←坂があるので。)
ゆったりとした

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『鞆の津・岡崎』 酒井仙醉櫻

『鞆の津・岡崎』 酒井仙醉櫻

 哉放さんに初めてお會ひしたのは、それが和服であつたか洋服であつたか、はつきり、覺えてゐないほど、遠い三十年も昔のことです、しかしその顏はあかるく輝いてゐました。圓滿な相、淸くすずしく光る目、落つきのある、ふかく智惠を藏してゐるような口元、醉えば人をひつぱることを忘れない放哉さんで、醉ふまでは人を引きつける、といつた風の一種の魅力のある、人なつかしいお顏がはつきり浮んできます。
 放哉さんを想ふ時

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神戸文学館(文アルタイアップ企画)「放哉ここにありき」の講演メモ

神戸文学館(文アルタイアップ企画)「放哉ここにありき」の講演メモ

24日に神戸文学館で、わたなべじゅんこさんによる「放哉ここにありき」という講演が行われましたので、忘れないうちにメモメモ‼✍️
※諸所個人的オタ感想があります。
(なお都合で途中参加だったので、参加できたところから…)

「層雲」のこと

荻原井泉水が層雲作り始めたころの話。
・碧梧桐が岡山玉島にて俳三昧のときに、井泉水が雑誌作りたいよ~の相談をしにきた。→そんな余裕ないよとの返事だったけど否定も

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小諸の藤村忌に行ってきました

小諸の藤村忌に行ってきました

8月22日は島崎藤村の命日です。小諸や大磯で藤村を偲ぶ会が行われ、いちファンとして一回行ってみたい…!という願望叶い、今回小諸で行われた藤村忌に参列してきました。

どんな感じだったのかのレポです✍🏻

日程☆8月22日(木)AM9:30~11:15分過ぎごろまで
☆藤村記念館前庭(懐古園内)にて
☆参加費などは特にありません。藤村忌に参列するだけなら懐古園には無料で入れるそうです。私はそのあと

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岐阜県の戦争遺跡を巡る(東白川村)

岐阜県の戦争遺跡を巡る(東白川村)

先日、舞鶴を訪れた際に引揚記念館に立ち寄り(←記事にしています!)、そこでシベリア抑留、そもそもなぜ多くの人が移り住んだのかを知りました。そのあと、友人から岐阜県東白川村に満州開拓の碑があることを教えてもらい、この目で見てみたいと思い足を運びました。

満州開拓の碑こちらは、岐阜県東白川村神土にあります。碑を初め、近くには平和記念館もありました。ただこちらは閉まっており、見ることはできませんでした

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『三千里』の場所を訪れてみた~仙台~

『三千里』の場所を訪れてみた~仙台~

『三千里』に出てくる場所巡りの記録📝
今回は短い時間でしたが、仙台城跡へ!

本文よりアクセス今回は、仙台駅より「るーぷる仙台」という観光バスを使っていきました!

一方向のみしかルートがない、という点を除いても、観光バスというスタンスなので、なんと途中の観光名所で減速してくれて窓からじっくり眺めることもできます。何より!運転手さんの要所要所の解説が楽しい!
仙台駅から六番目のバス停「仙台城前」

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小諸で藤村講座に行ってきたよまとめ②

小諸で藤村講座に行ってきたよまとめ②

7月20日(土)の小諸での藤村講座のテーマは、「嵐」を題材に『父子家庭の哀楽』というものでした。
そのなかで、個人的に興味深かったな~とおもうところの備忘録。

「嵐」について本当に簡潔なこの話のテーマ?は、父親目線の子育てについて、だとは思っています。ちなみに、前後談となっている「伸び支度」「分配」も一緒に読むと、より話の解像度が上がるのでオススメ。

岩波書店さんから、上の三作品がまとめて一冊

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『三千里』読んで(明治39年10月)

『三千里』読んで(明治39年10月)

明治39年10月のところを読んでのメモ書きです。(編集中・・・)

1日〜10日雲巌寺

芭蕉も訪れ、句を残している場所。句碑もあるようです。

三春駒

三春駒とは!坂上田村麻呂ゆかりの木馬で白駒・黒駒がある。三春町や郡山市で製作されている日本の伝統工芸品です。また日本三大駒の1つでもある!(※ちなみに他は八幡馬<青森>・木下駒<宮城>)

黒駒は子宝や安産・子育ての、白駒は長寿のお守りとして作

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マッピングし始めました📑

マッピングし始めました📑

先日、企画でマッピングという最高に面白い機能?コンテンツ??を教えてくださって、うわ絶対放哉先生のでやろ、と思い始めてみました( ¨̮ )︎︎♡

出来る限り、放哉先生が行ったことのある場所を記録していけたらいいなあと思って更新していこうと思います。願わくば、死ぬまでに日本一周旅行みたいな感じで回ってみたいな。休みがほしいぜ(:3_ヽ)_

まだまだ私自身が素人で、知らないことだらけの勉強中の身な

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尾崎放哉関連書籍④句集関係

尾崎放哉関連書籍④句集関係

句集は各所から色々と出ているとは思いますが、ひとまず私自身が持っているもののご紹介。

尾崎放哉句集

岩波書店さんから出ている句集です。大きく尾崎放哉自身が、自由律俳句を句作する前と後でまとめられており、入庵雑記も収録されています。

私自身が、放哉先生の句集を買おう!と思って、一番始めに購入したものですが、代表的な句を始め、とっかかりにはいい多さじゃないかなあと思います。解説より、編集した池内

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尾崎放哉関連書籍③『放哉という男』

尾崎放哉関連書籍③『放哉という男』

内容

放哉が師と仰いだ荻原井泉水による、放哉の人生を語った話。寺男をやっていたときの話や、放哉の生き方など様々な角度でエピソードがまとめられています。師としてなのか、温かく見守って(時に困ったよ、みたいな感じもありましたが)いたんだ、ということが文章からにじみ出ていて、本当に愛おしくなる…。主に須磨寺、その前後の放哉先生の様子を知ることができます。

漂流生活をしている、しかも「台湾に行く!!」

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尾崎放哉関連書籍②『海も暮れきる』

尾崎放哉関連書籍②『海も暮れきる』

内容

筆者が実際に小豆島にて聞いた話をもとに、主に小豆島での尾崎放哉の生活に焦点をあてた話。小豆島に足を踏み入れてから死の瞬間までを、周りの放哉に関わった人たちも含めて、リアルな心理描写・情景描写で話が進みます。感情移入待ったなし。

私自身が尾崎放哉という人物を知ろう、として調べて一番最初に見つけ、読んだ本。正直死の間際は読むの辛かったです…。どちらかといえば、小豆島での放哉先生の生き方は、周

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尾崎放哉関連書籍①『流浪の詩人 尾崎放哉』

尾崎放哉関連書籍①『流浪の詩人 尾崎放哉』

内容

尾崎放哉の人生を本当に、ほんと〜〜〜〜〜に!!細かく書き記してあります。私も、あれこの時代どうだったっけ?となったときに読み返しています。また、人生で関わりをもっていた人たちの紹介も分かりやすくまとめられています。

最後に年譜もまとめられているので、これ一冊で、どんな人間関係があって、どんな人生を送って、どこで過ごしていたのかが全部分かる!

個人的に、放哉先生自身が書いた・・・!?短冊

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小豆島①

小豆島①


いつ過ごしていたの?1925年(大正14年)8月13日に同じ『層雲』の同人だった井上一二氏を訪れるために、小豆島へきました。ここで1926年4月7日、最期の時までを過ごします。このとき41歳。
【1925年】
8月15日 西光寺に訪れる。杉本玄々子(宥玄)に会う。
20日       南郷庵に入庵する。

9月1日 『入庵食記』を書き始める。
     毎日食べたものを書き記していった。

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