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小諸で藤村講座に行ってきたよまとめ②

7月20日(土)の小諸での藤村講座のテーマは、「嵐」を題材に『父子家庭の哀楽』というものでした。
そのなかで、個人的に興味深かったな~とおもうところの備忘録。

「嵐」について

本当に簡潔なこの話のテーマ?は、父親目線の子育てについて、だとは思っています。ちなみに、前後談となっている「伸び支度」「分配」も一緒に読むと、より話の解像度が上がるのでオススメ。

岩波書店さんから、上の三作品がまとめて一冊になっているのが出ています。

登場人物について

「嵐」に登場する登場人物にはそれぞれモデルがおり、太郎→楠雄さん、次郎→鶏二さん、三郎→翁助さん、末子→柳子さん(いずれも藤村の子供がモデル)になっている。

講座を聞いての備忘録

名前の背景

親が子供に名前をつけるとき、そこには祈りや願いがあって、その背景にはその当時の文化がある。例えば、例に出されていたものでいうと↓
①明治のころ…クマ、トラなど。これは強い子に育ちますように、という祈り。この背景には、当時幼児死亡率が高かったため。
②明治20年ごろ~…〇〇子という名前が増えた。(※ここメモ十分に取りきれてなくて曖昧なので…)天皇家に関りがあるらしい。
③末子、末吉などの名前には…子どもを産みたくないのに生んでしまった、そんな子につけられることが多かった。悲しい現実ですよね…。これには生殖本能があってのことだが、まだこの時代避妊具が発達していなかった、という背景があるようです。
夏目漱石も、本名は金之助(金だけ持っていく、という意味で。)乳児期のころから養子に出されたりという過去もある。谷崎潤一郎の子どもに至っては、終平さんと名付ける→もうこれ以上子どもは生まない!!これでおしまい!!という意味で。

つまり、嵐のなかに登場する「末子」という名前の人物を出すことで、読者が「ああ、これ以上子どもは増えないんだな」といった、登場人物全体を把握しやすいような工夫でもある、とのこと。

家庭内について

いわゆる父子家庭、と言われる家庭ではあるが、下女が登場しており母親の仕事をこなしている。ここで、下女・女中についてだが、こうして同じ屋根の下で暮らすなかでも、自分たちより身分の低い者。つまり女中というのは、給料はほぼなし、ご飯は食べれれるくらいの扱いの者。こうして同じ家庭名で上下関係をつける、という文化がこのころあったそうです。これ聞いて、去年妻籠に行って聞いた囲炉裏の立ち位置にも意味があるんだよ~の話を思い出す…。

と見返したら、書いてなかったのでここで書きますと、囲炉裏に座る位置にもちゃんと意味があって(上下関係)、一番偉い(父親)が座る場所と兄弟の下のほうや使用人が座る場所は全然違い、そうした場所でも格差を感じさせることによって、「出世するぞ」と子どもに思わせるようにしていた、という時代もあったそうです。(こんな記事も見つけましたので是非!)

ただ、「嵐」のなかの下女は〝友だちのような〟とも表現されているとおり、結果的にはいい状況になっている!

「嵐」のなかの父親の位置

今もあるんだと思うけれど、「片親」であるというだけで差別や偏見につながる。そういった身の狭さも感じている。ただ、洗濯物を畳んだり、学校まで迎えに行ったり、お菓子を買いに行ったり。母親がやるもの、として認識されていた時代に、この父親は自らやっており、かなり子どもと近い距離にいることが分かる。

子どもたちへの子育ての価値観

話の中で、父親が部屋を移動するところがあるのですが、家の中のどの位置にいれば子どもたち全体のことが分かるのかがよく表現されている。同じように、物語全体を見ても、子どもの行く末をちゃんと見届けようとする気持ちの表れはあるが、言い方・見方を変えれば、「子どもを管理しよう」とする気持ちの表れでもある。→太郎も中退させ帰農させたり、次郎のときも本人はまだ気持ちが定まっておらず、生き方を悩んでいる中太郎の元へ行くように働きかけている。

文中で何回か出てくる「嵐」の意味は

題名にもなっており、作中にも何度も使われる嵐とは。時に、うちの中だけでなく、世間全体のざわざわしている様子(米騒動の後だったりした)であったり、子どもの日々激変する成長のことをいってみたり。自分の周りを取り巻く激動するものを鮮明に表現している。

柳子について

最後の質問する時間に、とあるかたが末子についての話があまりない、と仰っていました。それに対する考えとして、「男はなんとかしなきゃいけない」という考えの表れでもあるのだろう。女はどこかいいところへ嫁げば何とかなる、という(現代ではありえないかもしれないけれど、)時代の考えでもあるのだろう。という内容でした。

書くことによって

すごく個人的になるほど~、と思ったのが、藤村先生は書くことで救われようとする狡さがある?との話です。「家」では青春時代を、「新生」ではこま子との関係を。そして「嵐」では子どもを育てる、ということを。自分の人生で起こったことを良く言えば昇華しているのだと思うけれど、芥川先生が「老獪な偽善者」と表現したなんて話もありますが、そういわれても否定しきれないところもあるよな~、と思って聞いていました。

講座内で紹介された書籍について

お話の中で、「大東京繁昌記 山手篇」という書籍が紹介されており、パラパラ~と見せていただけました!!中には、藤村先生だけでなく、虚子せんせや徳田秋声先生のものも…!国会デジタルで、読める~~~~!!↓

また時間見つけて読もう。

個人的な「嵐」に対する感想(すっ飛ばして大丈夫です)

私自身の語りが始まるので、とばしてもらって構いません。
個人的に島崎藤村という沼に入ったのが、この「嵐」「伸び支度」「分配」だったので、この作品を今回扱うということでものすごく楽しみにしていました。

先にも話しました通り、これは藤村自身の身の回りをモデルにしている子育て論に近いものだと思うんですよ。それで、こういった父親に出会いたかったな、という思いが、この作品を読んで強く湧いてきたんですよね。
家庭内事情べらべら話しても仕方ないのかもしれないんですが、自分のこれまでの生きてきた環境でこういった人に出会ったことなくて。特に父親は全然子育てに入る人じゃなかったし、子どもの人生考えてるのか。いつも親からどなられている最中でも、見てるだけ。会社も何度もクビになっているのを小学生のときから見てきたし、家にいても何にも話さない、威厳なぞない人でした。亡くなってもう大分たつけど、記憶に残っている姿で思い出に残っていることが何もない…。話してて空しくなってきた…。
そんで祖父に関しては、こちらももう昔堅気の暴言暴力がすごくて、家のことや子どものことは女がやることだろ!!みたいな凝り固まった価値観の人でしたから、今も払拭できてないくらい、男の人ってみんなこんなんなのかと思ってた…ていうときに、この「嵐」を読んで、こうして子育てにここまで関わる人もいるんだ…っていう衝撃があった。というところからはまったんです。なので、確かに子どもを「管理」しているのは全肯定できるわけじゃないけど、こうして家を守ろうと、子どもの行く末を見届けようとする作品に出会って、どこか救われたような気がしたんだよなあ。とくに「分配」はとどめを刺されました。偽善者と揶揄されても仕方ないところはあっても、私の人生においてだけは確かに救いの作品であることに変わりないし、いろんな批評があってもこの先変わらないと思います。

ということを、改めてこの作品を読み返して、いろんな見かたをする話を聞けて、自分がなんでこんなにもこの作品に惚れ込んでいるのか。原点回帰みたいなことができました。私はこの作品大好きだよ。

虚子記念館での話

虚子記念館さんに講座前に立ち寄って、展示や資料室に置いてあったものを見てきました~。の備忘録

姨捨紀行

年譜を辿ってたら、姨捨紀行を書いている、という箇所がありまして。なぜここで立ち止まったかといいますと、ちょうど私事ですが、篠ノ井線で小諸まで来ておりまして、道中車内アナウンスで姨捨駅周辺の善光寺平について初知りしたんですよね…!!日本三大車窓の一つと言われているそうで、「えっ!?虚子先生も見に行っていた…!?」とびっくりです。ちなみに全集14巻に入っていました。

ちなみに、そのなかで知ったのが鎌倉と共に日本三大長谷とされている長谷寺もあるそうな。知らんかったわ…。日本三大〇〇っていろんなところにあるんですね。

紀行つながりで小樽に行っていたこと

文アルで、今度釧路とタイアップ企画が始まるんですよね。そのなかに虚子先生もメンバーで入ってて、北海道にも行ってたんだなあとは思ってたんですが、前述の全集のなかに小樽に行っている紀行文んもあったんですよ。

それ読んできたのですが、盛岡や浅虫温泉、青森駅から寝台列車、登別や室蘭といった多くの地に足を運んでいたことが分かって、読んでいて楽しかったです。

耶馬渓

これは、放哉先生が耶馬渓にいったことがあるなら行ってみたいなあ、と思っているのですが、虚子先生も耶馬渓に行っていたようです!!!!しかも深耶馬という場所らしい。これは絶対に行きたいぞ~~!!

「遠山に」の展示を見てきて


わが人生は概ね日の当たらぬ枯野の如きものであってもよい。寧ろそれを希望する。ただ遠山の端に日の当たってをる事によって、心は平だ。
烈日の輝きわたってをる如き人世も好ましくない事はない。が、煩わしい。遠山の端に日の当たってをる静かな景色、それは私の望む人世である。

「虚子俳話」遠山に

この展示を見てきて、虚子先生自身はこういったおだやかな人生を希望していたけど、個人的に虚子先生て挫折や道の模索を繰り返しながら、どちらかといえば人を導く激動の人生を歩いているという見方をしているので、なんか本心はこういう人生にも憧れはあったのかなあ、と思うとじーんときたなという感想。

あとは記念館周りの句碑を見てきたよ

記念館さんの敷地内にあります。
こちらは記念館さんの裏?の道を挟んだとこに

日帰りだったので、小諸にいた時間は短かったですが、また今回も充実した一日でした!ありがとうございました!

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