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周りからみた尾崎放哉人物像

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主に層雲読んで、周りからみた放哉先生の印象を知る
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『放哉の恋句』 小玉石水

『放哉の恋句』 小玉石水

  さわにある髪をすきいる月夜 放哉
  すばらしい浮房だ蚊がいる  〃
  髪の美しさもてあましている 〃
  八ツ手の月夜もある恋猫   〃
  恋心四十二して穂芒     〃

 など、放哉には放哉らしからぬ俳句の一群がある。一艶の濃いこれら一連の作品は、所謂世捨人の作品ではない。名利を去り、虚飾を避けて自然そのものの中に自己を流していこうとする放哉の思想や人生観からすると、これはいささか異

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『放哉譚』 中原成之良

『放哉譚』 中原成之良

 大正十四年、僕は(光石蕗時代)鳥取二中に奉職し、野坂靑也、河本綠石、重村百堂らと共に層雲鳥取支部「湖の会」を起したのであるが、その頃が丁度放哉の南郷庵、井先生の橋畔亭、所謂短律時代であった。
 当時僕は二中生に熱心に自由律を指導し、パンフレットを出しては小豆島に送り、放哉の批点を乞うていた。彼は生徒の作品を非常に喜んだがその喜び様が普通ではなく、「頼むから今後もドシドシ見せて下さい」といった風な

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『会社員放哉』 小澤武二

『会社員放哉』 小澤武二

 渋谷の赤十字病院の正門をまっすぐに羽根澤通りが渋谷下通りにまで抜けているその通りを二丁程行ったところの通り端に放哉尾崎秀雄の住居があった。三間か四間の小じんまりした家でその頃放哉はそこでかおる夫人と二人で暮らしていた。それは大正四、五年の頃であった。私は山岡夢人と二人で一夜放哉を訪問した。そこは私の住居の新堀町からでも徒歩で三十分位の遠さであり夢人の家のO町からなら役半分の道のりであった。その時

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『鞆の津・岡崎』 酒井仙醉櫻

『鞆の津・岡崎』 酒井仙醉櫻

 哉放さんに初めてお會ひしたのは、それが和服であつたか洋服であつたか、はつきり、覺えてゐないほど、遠い三十年も昔のことです、しかしその顏はあかるく輝いてゐました。圓滿な相、淸くすずしく光る目、落つきのある、ふかく智惠を藏してゐるような口元、醉えば人をひつぱることを忘れない放哉さんで、醉ふまでは人を引きつける、といつた風の一種の魅力のある、人なつかしいお顏がはつきり浮んできます。
 放哉さんを想ふ時

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