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児童心理治療施設【横浜いずみ学園】で起きた性犯罪と隠ぺいについて。

告発の内容について、私の気持ちを述べさせていただきます。


始めに【私と両親】は、社会福祉法人【横浜博萌会】【児童心理治療施設】【横浜いずみ学園】に、身も心も虐げられ傷付けられ、更には人権すら無視され、人間としての尊厳を踏みにじられました。

組織ぐるみによる、性犯罪【フェラチオ強要】(強制わいせつ)、脅迫などの被害を隠ぺいされた被害者です。

性被害を告白後から最後まで【心のケア】治療を受けていません。

児童精神科医の診察など、適切に対処されませんでした。加害者側からの謝罪は一切ありませんでした。被害者と加害者を直ぐに引き離さなかったことにより、PTSD【解離性障害】が更に悪化しました。

本来ならば施設の責任者【四方 燿子】園長が性犯罪を認知した段階で、両親に説明する責任と正式な謝罪の場を設けていれば、私は現在も苦しまずに済んだことは明白です。

被害者の私と両親は加害者からの性犯罪に対して、警察に被害届を出すこと、刑罰を与えること、加害者の親に訴訟を起こすこと、同じく社会福祉法人【横浜博萌会】横浜いずみ学園に対して、訴訟を起こす権利も、組織ぐるみの隠ぺいにより全て時効が成立しているため、泣き寝入りです。

横浜いずみ学園の理念に反する行為は決して許されません。最後に道義的責任を果たしていただくことのみが、被害者側の望んでいることです。

現在まで和解が成立していないため、この場で告発させていただきます。

横浜いずみ学園の事件当時の【四方 燿子】園長が警察に通報することで、全て法律で解決できたことをせず、職員たちの【保身】のために犠牲になりました。

大人たちは保身が守られ、被害者は心身ともに護られないことに、子どもの人権などありませんでした。

私は現在も重度のPTSD【解離性障害】を抱えながら、毎日生きています。


【社会福祉法人横浜博萌会】は性犯罪の事件の報告を、定期的に行われる【理事会】【評議員会】で、議題に取りあげないことについて、事件を隠したと思うのが、普通ではないでしょうか?【事件当時】(1997年)


【社会福祉法人横浜博萌会の高瀬【理事長】は責任を重く受けとめ、辞任する意志はないのか?】


その背後には、社会福祉法人 横浜博萌会が運営する【子どもの虹情報研修センター】の誘致と建設が進行していたことも事実です。



始まりは小学校からです。私は小学校5年生~6年生の2年間不登校でした。
原因は5年生に進級して間もない頃の給食時間に、担任教師から頭を拳固で殴られたことにより、殆ど学校に行くことができなかったからです。

私は両親に伝えることができませんでしたが、周りの方が直ぐに親に伝えてくださり、学校に行きたくない理由は理解して貰えました。

しかし、そのことから体調が悪くなってしまい、直ぐに近所の診療所で診ていただきました。

診断結果は精神的なことが原因と告げられて、診療所の医師に紹介状を書いていただいてから、平成5年(1993年)5月11日に、【社会福祉法人 横浜博萌会】横浜いずみ学園診療所での通院が始まりました。

横浜いずみ学園診療所での通院は両親と一緒に2年間通院していました。
その間の学校への通学は参加できる行事のみ参加していましたが、勉強面においては、全く授業に参加できない状態でした。

地元の中学校の進学に関して一番心配されたことは、人とのコミュニケーションの問題です。

そして、平成7年(1995年)3月28日に私は【情緒障害児短期治療施設】横浜いずみ学園に入所しました。学校は施設の前に在る建物で、汲沢中学校の分校【いずみ級】です。

私の記憶では、高瀬【医師】・四方【心理士】・山喜【心理士】・渡辺【生活指導員】の四名が居て、私の両端に両親が居ました。

担当の【山喜 高秀】心理士とは、入所前に知能検査などをしていたので、ある程度憶えていました。


【施設内外での凄絶な犯罪被害】


【私が中学1年生の11月頃に、私にとって施設内外で不快な加害者【T・U】が入所して来たことです。その加害者とは早い時期に知り合う。】

最初の性的な苛めは中学2年生の夏休みに、一泊二日【T・U】の自宅へ行った際に起こりました。【強制わいせつ】内容は【T・U】の身内とされる男性が車を運転している時に、股間を触ってきたことです。

突然の事で何をされているのか理解できず、私は手で払い拒否しました。
更に目的地の健康ランドのプールでも執拗に股間を直に触ろうとしてきましたが、プールでは耐えきれず何度も何度も「やめて」と言っても全く聞く耳を持たず、残念ながら諦めてしまいました。

担当の山喜【心理士】には言えなかったです。

当時の私は学校や施設で性教育を全く受けていませんでした。
性の知識が全く無かったからです。

その他の施設内での【犯罪被害】を述べさせていただきます。


最初は誰が行っていたかは分かりませんでしたが、私の私物を盗まれること、隠されることが多くなり、【窃盗】加害者が下着を勝手に盗んで穿いていることに、着替え室で初めて気付き注意をしたら、逆に怒り出して最後はごまかすことの繰り返しでした。

次第に加害者の行動は犯罪行為に、私のジーンズを貸して欲しいと言われ貸しましたが、【器物損壊】戻ってきたジーンズの【股間部分】が鋭利な刃物で切り裂かれていたことに気付き、直ぐに担当の渡辺【生活指導員】に事情を説明しました。

何故か、ジーンズは暫く施設が預かる形で戻ってくるのが遅かったです。施設側から両親に説明はありませんでした。

担当の山喜【心理士】からの説明に関して、ジーンズの被害の話は全く無かったです。暫くして担当の渡辺【生活指導員】からジーンズを返されました。その後、自宅に持って帰りました。

親に手渡したら「誰がこんな酷いことをしたの?」と少し強い口調で問われ、加害者に貸したら切り裂かれて戻ってきたと伝えました。

【そして、中学3年生に進級してから加害者に最も汚い行為を強要されました。】

私が【強制わいせつ】の被害を受けたのは、【梅雨の6月頃】に施設の個室トイレで【フェラチオ】行為を強要されました。

私は拒否しましたが、残念ながら個室トイレで【性的暴行】の被害に遭ってしまいました。

私は【フェラチオ】行為の意味すら理解していません。

【梅雨の7月頃】に担当の山喜【心理士】とのカウンセリングの途中で、突然嗚咽から始まり堰を切ったように、涙が溢れ出して止まらなかったです。泣き止んでから山喜【心理士】に、加害者から性的暴行の被害に遭っている事実を話しました。

山喜【心理士】から【性】に関する質問を色々されましたが、【性の知識】に乏しい私は、どこまで理解できていたかは正直分からないです。

【しかし、山喜【心理士】に性的暴行の被害を話したことは事実です。】

山喜【心理士】に話した直後、加害者からの間接的な【脅迫】が始まりました。私の同室の児童に吹聴して【脅迫】「殺してやる」、「歯ブラシを精液で汚してやる」など、私に対して言っていると教えてくれました。

直ぐに山喜【心理士】に相談をしましたが、歯ブラシは洗面所から4人部屋の一番奥に、置くように言われるだけでした。洗面用具も同様の対応を提案され、私は指示に従うだけでした。

性暴力を告白したからこそ、山喜【心理士】に言いたいことは、私に対して適切な対処をして欲しかったです。隠ぺいも含めて全てです。


残念ながら加害者は反省よりも復讐することばかりに、心が動かされていることに怖さが今でもあります。加害者の担当の【増沢 高】心理士は加害者に何を諭したのか、加害者と加害者の母親に対し、どのように向き合っていたのか、未だに理解できません。

【増沢 高】から聞かされたことは、「加害者【T・U】は母親からの虐待行為を受けていた」と私に言いました。

加害者の親にも、性犯罪のことを説明しないで隠していた可能性がある。

【加害者と加害者の親は結果的に罪を償わず、罰を受けずに済みました。】

現在は隣の施設の【子どもの虹情報研修センター】に勤務しています。
虐待を研究する施設です。

私は【増沢 高】からの心理的虐待【暴言】と、頭を拳固で殴られる暴力行為【虐待】を、【一度】だけ受けました。

【被措置児童等虐待】



当時の横浜いずみ学園の【四方 燿子】園長から【両親】に対して、説明責任すら行われなかったことに憤りを感じます。
未だに、四方 燿子【元園長】からの謝罪は一切ありません。

【謝罪文の通り加害者は、1997年12月に忽然と居なくなりました。】
【横浜いずみ学園から贈られた、私の卒園アルバムで確認しました。】
【卒園アルバムには、加害者と一緒に写っている写真が多数有りました。】
【加害者の写真を、私の卒園アルバムに残す意味と異常さが恐いです。】

被害を告白してから約半年間は、加害者と同じ施設で強制的に生活を強いられました。加害者と被害者を直ぐに引き離すこともせず、職員たちは何を考えていたのか、適切な対処すら行われませんでした。

施設での個室対応の事実は嘘です。
当時の施設では、個室対応を行う部屋を用意できないからです。
【トイレや食事など、どうしていたのか?】
【職員が交代で24時間、監視していたのか?】

性被害の告白後も加害者は居なくなる日まで、何事もなく4人部屋で過ごしていました。施設内での行動制限は全くありませんでした。ランニングなど加害者と一緒に走らされました。

学校では授業や課外活動など制限なく受けていました。加害者からは、脅迫と恨み辛みの言葉を発していたのを憶えています。

卒園も間近に迫る頃、私は帰省してから横浜いずみ学園に戻るのを渋っていました。担当の山喜【心理士】と渡辺【生活指導員】の2名が自宅を尋ねてきました。

卒園まで2週間を切っていた時期なので、必死に私を説得していたのを憶えています。結局のところ施設に連れ戻される形で、卒園まで耐えていました。

加害者を長きにわたり施設に置いてしまったことにより、私の精神状態は極限まで、恐怖心と不安感に襲われました。

そして、非常に強いストレスに置かれたことによって、悪夢、人と関わりたくない、食欲不振、吐き気、異常な疲れやすさと怠さ、不眠、肩のこり、過度の緊張による血行不良、人間不信や疑心暗鬼など、数えきれない精神症状と神経症状が出始めていました。

現在も重度のPTSD【解離性障害】に苦しんでいます。

入所前よりも卒園後の方が、全てにおいて悪化したことは明白です。
そして、現在も続いているのは事実です。

加害者と横浜いずみ学園の職員たちに【私の心と身体】を壊されました。

何故、山喜【心理士】は心のケアを放棄してまで、性犯罪を無かったことにしたかったのか?

カウンセリングにおいて、全く性被害の話を最後までしなかったのは何故か?

私の両親の心情や加害者側の状況にも、一切触れなかったのは何故か?


責任者の四方【園長】の指示なのか、職員たちの保身のために隠ぺいが指示されたのか。【真実】は彼らしか知り得ません。


そして、翌年1998年3月の卒園と同時に担当の山喜【心理士】が、横浜いずみ学園を退職して、地元の【鹿児島】に帰郷することを卒園の2週間前に聞かされ、後任は村松 健司【心理士】に引き継ぐと言われました。

【村松 健司】は現在、【東京都立大学】に勤務しています。

被害を告白した山喜 高秀【心理士】が、事件の翌年の春に退職して居なくなったのは、責任から逃れること、発覚後の言い訳のためとしか考えられないからです。退職するタイミングが施設側にとっては都合が良いからです。

謝罪文で全て責任転嫁された【山喜 高秀】です。

現在、山喜 高秀【心理士】は鹿児島の志學館大学に勤務しています。


卒園後はサポート校に進学しました。1学期のみ休まず通学できましたが、夏休み後の2学期は全く通学できず不登校になりました。

1998年10月中には父親が学校に赴き退学届を出してからは、約5年間社会との接点のない生活になりました。

平成10年(1998年)9月頃から、両親と一緒に横浜いずみ学園診療所の通院が始まりました。【通院期間5年間】(2000年)の途中から、私は通院することができなくなったため、3年間は両親だけの通院でした。

最終の診察日は平成15年(2003年)6月28日が記録として残っています。


【診療情報提供書】

最初に入院する際の【診療情報提供書】を読みましたが、患者を診察しないで両親だけの通院での【診察・診療】において、精神薬を処方していた事実。何度も投薬の変更をしていた事実。

高瀬【医師】が、その危険性を認識した上で処方をしていたことに、今でも恐怖があります。

【無診察診療及び、医師法第20条】 

【医師法違反】


卒園後の外来通院治療において、【無診察診療及び、医師法第20条】【医師法違反】を行っていたことについて、違法行為をどう思っていたのか?(診療情報提供書)


【施設で被害に遭った性犯罪の記述が、一切書かれていない。】


 
内容は被害者の私が明確な原因も無く、症状が悪化したかのように書かれているだけです。この内容だけでは、横浜いずみ学園で性犯罪の被害に遭っていた事実を両親が知ることは不可能であり、隠ぺいしたことを確実に証明する重要な【物的証拠】です。

【診療情報提供書】

修正済み【重要】診療情報提供書 横浜いずみ学園診療所 【高瀬利男 医師】_LI


私の卒園と同時に、入園中に担当だったセラピストの山喜 高秀は、1998年3月に横浜いずみ学園を退職しました。

もう一つの隠ぺいを証明する物的証拠は、平成20年(2008年)3月に障害年金の診断書に書かれている内容です。

項目⑦の内容の中に書かれている【中学3年間の入園中に他児からセクシャルないじめに会っていたことがかなりあとになって判る】、と記載されています。

この部分は【高瀬】医師の独断で書き足したことが証明できます。何故ならば陳述者は【父親】であり、父親から聴取したことを【高瀬】医師が記入しています。

平成20年(2008年)3月の時点で【父親】は、私が性犯罪の被害に遭ったことは知りません。隠ぺい工作の【物的証拠】がこちらです。

【2008年3月の時点では、既に刑事、民事、全ての時効が成立しています。】

修正済み【重要】診断書 横浜いずみ学園診療所 【高瀬利男 医師】(1)_LI
修正済み【重要】診断書 横浜いずみ学園診療所 【高瀬利男 医師】 (2)


割愛している部分が沢山有りますが、手元に残っている記録や証拠で確認できます。

そして、最初の主治医【高瀬】医師との関りは、平成15年(2003年)6月28日で終了しました。

その後、10年間は更に強いストレスと苦痛の精神医療が長く続きました。
こちらは複雑で長くなりますので、今回は割愛させていただきます。

【今回、謝罪の場までにおいて様々な嫌な思いを私はいたしました。】
2014年12月に厚労省に告発文を速達で送ってから直ぐに返ってきました。

次に管轄の横浜市に再度送りました。一向に返事が無いまま2週間近く経った頃、親と一緒に横浜市役所の【こども青少年局】へ赴きました。
何故か速達で送った物が見当たらないと言われました。

しかし、送った告発文を持参していたので、その場で見ていただいてから、その日は帰りました。

そして急遽、横浜市の【こども青少年局】の課長と名乗る方から、横浜いずみ学園を運営している社会福祉法人 横浜博萌会の【高瀬 利男】理事長が、謝罪の場を設けたいとの電話がありました。

【平成26年(2014年)12月26日に横浜いずみ学園】にて、謝罪と経緯の文章が書かれた3枚程度の謝罪文を受け取りましたが、到底納得できる内容ではありませんでした。

性被害から約18年の歳月が経過しています。PTSD【心の傷】の治療に関して、児童精神科医【高瀬】と担当心理士【山喜】からの【心のケア】を、一切受けていません。


【謝罪文】



謝罪文 1_LI 修正済み
謝罪文 2_LI 修正済み
謝罪文 3_LI 修正済み
謝罪文 4_LI 修正済み


高瀬 【理事長】【医師】が推測で語っています。山喜【心理士】の思い込みが原因で、他の職員も同じように思い込みにより、組織的になされていなかったことが、更に傷を深めたと思われる。

そして、両親に約18年間【性的被害】を説明する責任を果たせなかったことが書かれていただけでした。本当にカンファレンスが行われていたのか、記録が無いので正直怪しいところです。

【PTSD】のことも書かれていましたが、高瀬【医師】が明確に認めている表現は書かれず、全て大事な部分は思われるや考えられるなど、曖昧な表現で書かれていました。

山喜【心理士】が横浜いずみ学園を退職したことに全く触れていない。

性被害に遭った横浜いずみ学園に、再入園の話を持ちかける高瀬【医師】は、何を考えていたのか理解に苦しみます。

性犯罪を隠ぺいする職員たちの人間性は異常としか思えません。

管轄の横浜市に対し【児童相談所】の責任を【こども青少年局】の課長に問いかけましたが、横浜市は関係ないと言われました。

果たしてそうなのか未だに疑問です。横浜市も責任から逃れている、と同時に私は悔しい気持ちです。

謝罪の場には【高瀬 利男】理事長と2014年12月26日時点の【髙田 治】園長の二人だけでした。当時の責任者の【四方 燿子】園長は何故か、その場には居ませんでした。


翌年の2015年1月14日に謝罪文を見直し、精査した結果、4枚の文書で【髙田  治】園長から送られてきました。内容に唖然としました。

【社会福祉法人 横浜博萌会】横浜いずみ学園の最終的な見解が書かれていました。

内容は被害者【私】の名誉を毀損され、時系列の改ざん、ねつ造など、職員の保身ばかりの内容で、事実とは真逆の答えでした。

【髙田 治】の人間性を疑います。


現在は【社会福祉法人 横浜博萌会】が運営する児童心理治療施設【川崎こども心理ケアセンターかなで】の施設長です。

   

【謝罪文を見直し、精査した結果】

【T・U】加害者=上野 龍之介 【ウエノ タツノスケ】
【Yセラピスト】山喜 高秀 【ヤマキ タカヒデ】
【Mセラピスト】増沢 高 【マスザワ タカシ】
【T医師】高瀬 利男 【タカセ トシオ】
【作成者】髙田 治 【タカダ オサム】

最終回答 1_LI 修正済み
最終回答 2_LI 修正済み
最終回答 3_LI 修正済み
最終回答 4_LI 修正済み


児童精神科医【高瀬】、担当心理士【山喜】からの【心のケア】を一切受けていません。

虚偽の内容に唖然としました。

職員たちは、私を護ってくれなかったです。

事件を無かったことにしただけです。




その後、高瀬 利男【医師】に【PTSD】の診断書を書いていただきたく、お願いしました。

横浜いずみ学園診療所に親と一緒に行きました。2週間程度待って欲しいと言われて待ちましたが、結果は【高瀬 利男】医師の保身のため、「PTSDの診断書を書くことはできません」、と電話で言われました。


横浜博萌会の創設者で初代理事長【瀬尾 勲】に、私が性犯罪の被害に関して電話で尋ねましたが、「全く知らない」、「私は関係ない」、「現場のことは知らない」、「筋が違う」、と言われました。

理事長に報告をしていないことが判明しました。

再度申し上げますが、【社会福祉法人横浜博萌会】は性犯罪の事件の報告を、定期的に行われる【理事会】【評議員会】で、議題に取りあげないことについて、事件を隠したと思うのが、普通ではないでしょうか?【事件当時】(1997年)


【性犯罪事件(1997年)当時の理事長です】



医療法人横浜博萌会 【西横浜国際総合病院】、社会福祉法人横浜博萌会【しらゆり園】【横浜いずみ学園】【子どもの虹情報研修センター】【川崎こども心理ケアセンターかなで】

医療法人 横浜いずみ会【開花館クリニック】の創設者です。

現在は【開花館クリニック名誉院長】【開花館クリニック逗子院長】です。
【残念ながら未だに謝罪は一切ありません。】


最後に私が言いたいことは、当時の横浜いずみ学園の職員たちから長きにわたり、虐待【ネグレクト】と同じ行為を受けていた事実。


【卒園後も含めて】

結果は重度のPTSD【解離性障害】の後遺症が、現在も続いています。


【刑罰】強制わいせつ罪【時効7年】、加害者の親と横浜いずみ学園を運営する【社会福祉法人 横浜博萌会】に対しての民事訴訟【時効10年】が過ぎているため、泣寝入りせざるを得ない状況です。


児童心理治療施設で、このような例は見たことも聞いたこともありません。


再度申し上げますが、【社会福祉法人横浜博萌会の高瀬【理事長】は責任を重く受けとめ、辞任する意志はないのか?】


現実にこの様な事が起こりうるのか、私は横浜いずみ学園が組織的に性犯罪を完全に隠ぺいしたことは明白であり、間違いなく確信しています。





【2021年6月10日現在の社会福祉法人 横浜博萌会 役員名簿 第18期理事】
第16期から新たに【髙田 治】が選任されています。
第17期から【四方 燿子】が解任されています。

理事長は【高瀬 利男】で【2007年】~現在まで継続しています。

偶然にも、【2007年】に社会福祉法人横浜博萌会に対しての、民事訴訟【損害賠償請求】の時効が成立しています。

【修正済み】 横浜博萌会 第18期 理事



社会福祉法人 横浜博萌会が運営する横浜いずみ学園の隣に在る施設、同法人【子どもの虹情報研修センター】のサイトから見つけました。
紀要 No.2(2004)からの内容を検索しました。

【横浜いずみ学園で学んだこと】の中から、1996年に【四方、高田、増沢、山喜】の四名が厚生省に論文を提出したことが書いてあります。論文の一部を抜粋してこのように記載されていました。

(引用)【その論文には虐待を受けた子どもに生じる外傷が人格や行動にどのような影響をもたらすかについてわかりやすく説明されており、そのような子どもたちに施設の日常生活の中でどのような環境作りを行い、どのように段階的にケアを職員チームとして行っていくのかが、大変な説得力をもって具体的な ケースもあげられた中で書かれていた。】

【私が性犯罪の被害に遭ったのは、1997年です。】


1年前の1996年に厚生省に論文を提出した内容です。しかし、実際に被害者の私は心のケアを始め、職員チームとしての適切な対処と対応を一切受けられず、年単位の時間と心の傷【PTSD】の悪化だけが経過しました。

両親に対して被害の説明責任を放棄、【四方 燿子】園長の隠ぺい。
何一つ子どもの人権が尊重されていません。

その後、【子どもの虹情報研修センター】の建設が始まり、園長の【四方 燿子】と加害者の担当心理士【増沢 高】が、現在も勤務しています。

全ての責任から逃れ【大人】職員たちの【自己保身】を優先した結果が、現在に繋がっています。

現在も私は重度のPTSD【解離性障害】に関して、治療困難な状態です。





加害者の実名【上野 龍之介】【ウエノ タツノスケ】

生年月日【1982年12月10日】【昭和57年12月10日】

【1997年】事件当時の住所【伊勢原市】

現在の住所【小田原市】母親の名前【上野 かほる】


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現在、医療従事者として働いている可能性が高い。

小田原市周辺の病院に勤務していると思われる。


※加害者の【上野 龍之介】は、同じく入所していた同級生の【小野 優介】に対しても、同様の又はそれ以上の性的な犯罪行為を行っていたと、【山喜  高秀】との電話でのやり取りで聞かされました。
※【その時の会話はICレコーダーに記録済み】  此方が会話の一部です。

【山喜 高秀】は被害者の私が、その事を知っていると思い込んでいました。加害者の【上野 龍之介】は【小野 優介】に対しても、相当の酷い性犯罪を行い、【小野 優介】が性犯罪の被害に遭い苦しめられていたことを、語りかけてきました。

話の途中で私が知らないことに気付くと、慌てて話を逸らしました。個人情報の取り扱いに関しても、いい加減だなと思いました。【小野 優介】は第二の被害者であり、私からしたら第二の加害者でもあります。

【小野 優介】の名前を隠さずに表に出した理由は、【上野 龍之介】に唆されたかは知りませんが、性犯罪を告白後【小野 優介】から被害者の私に対して、無視行為が卒園する日まで続いていたので、私からしたら【小野 優介】が【上野 龍之介】から被害に遭っていたことに対して、驚きもしませんでした。
                                                                                                                     以上

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