恩送り
恩返しではなく恩送りをしています。私ができること、私がやるべきこと、私がやりたいことは恩送りだと思います。そして誰もが幸せになれると信じています。
私は本当に人や言葉に恵まれていると思います。恵まれてきました。そして人と言葉にたくさん救われてきました。だから人と言葉は大切にしています。
特に高校の先生方にはお世話になりました。私を一人の人として見てくれたし、たくさん愛してくれたと思います。卒業後も卒アルのメッセージに何度も救われました。
ある人から相談があると連絡をもらいました。コロナ禍でのストレス、人間関係、自分のこと。いつの時代も誰であっても悩みは尽きないものです。
話を聞いていたら「絶対に幸せになれる」と伝えたいと強く感じました。幸せになれない人はいないし、幸せになりたくない人はいないと思います。
なぜ絶対に幸せになれると私が考えるかというと、「人は変わることができる」からです。変われると私は信じています。
私が鬱や孤立から回復してこうやって人の悩みを聞けるようになったのもそうだし、苦手だと思っていたグループワークを克服したのも、心配性の性格が緩和されたのも、私が変われたことを意味していると思います。
そんなこと自分に出来るわけないと思っても、人に自分の悩みを打ち明けられる、相談することも私は大きなことだと思います。なぜかと言うと、そうするのにはまず自分の弱みやあまり触れたくない闇の部分を受け入れることから始まるからです。
見たくない現実、見たくない過去を受け入れることは別に必ずしもする必要はないし、なかったことにして向き合わないという選択もできます。
でもそれでも向き合おうとするのは、自分以外の他人に話すということはとても勇気のある大きな行動だと言えませんか。それってとても大きなことだと思えませんか。
そう、変われないと思っているあなたは相談した時点で過去の自分から大きく変化したと言えるんです。あなたは変われるんです。
それに人が幸せになれないというのは嘘だというのはこの世界を見れば分かると思います。もし人の運命が絶対的に不幸なものだとしたら、幸せになれないとしたら、どうして私たち人間は幸せになりたいと感じるのでしょうか。
不幸が当たり前で全員が不幸だとしたら、誰もが不幸が普通なので幸せになりたいと感じることはないと思いませんか。ないものねだりというか、幸せな人、幸せそうな人を見ていいな、自分もああいうふうに幸せになりたいと感じるのが人間ではないでしょうか。
そう見ると世界には、人間には幸せになれる人、幸せになった人が存在していると言えませんか。つまり、人間が生まれつき不幸であるという絶対的な運命は存在せず、人間には幸せになる余地、可能性が残されているのです。
じゃあ幸せになった人は、生まれつき絶対的に幸せな運命を辿った人で自分には関係のない話だというのは違います。もし幸せな人が生まれつき幸せを当たり前のように享受してしたら、その幸せはごく当たり前のことなので、普遍的なものとして味がないものだと思いませんか。どうして幸せを感じることができるのでしょう。
幸せな人でも不幸なこと、自分が目を背けたくなるようなこと、理不尽なこと、辛いこと、しんどいことを抱えていて、それの反対にあるものが幸せだから幸せを幸せとして感じることができていると言えませんか。つまり誰もが不幸と幸せの両方が必要で、両方があるからこそ人間は幸せになれると思いませんか。
そうしたらあとは全て私たちにかかっていると思えませんか。これまで不幸だと感じてきたり、幸せだと感じることができていないのであれば、後は私たちが幸せになることだけです。そのために私たちが変化すれば良いだけです。その努力をするだけです。
過去にどんなに辛いことがあっても、死にたいと思うことがあっても、死のうと思っても、死のうとして死ねなかったとしても、今あなたは、私たちは生きているじゃないですか。生きているんです。「生きる選択」をしたんですよ、私たちは。
死ねなかったというのも、心のどこかに生きたいと感じていた自分がいたからではないですか。死ぬのが怖くなったのも生きることを諦めきれていなかったからではないですか。死ぬ選択があったにもかかわらず、生きた。それって生きる選択をしたってことだと思いませんか。
死にたいと思っていて生きる選択をしたって本当に大きなことだと思いませんか。勇気のあることだと思いませんか。覚悟のあることだと思いませんか。どれほど強い意思決定だったのでしょう。生きるという選択はどれほど大きな変化だったでしょうか。
そうやって過去の自分を思い返して、言語化して、他人に話して、自分でも受け入れる。それだけでも大きな変化だと思います。変化ができないというのは嘘です。だってあなたが変化したことを証明しているじゃないですか。あなたが生きた道のりが示しているじゃないですか。軌跡が変化の集積になっているじゃないですか。あなたは変化してきたんですよ。変化できたんですよ。これが未来、これからに出来ないということは有りえないじゃないですか。だってあなたはこうして今生きているのだから、生きて変化したことを証明しているから。あなたは生きているだけで価値がある。幸せになる権利があるんです。幸せになれないということはないんです。
では幸せになるにはどうしたら良いか。まずは何が辛いのか、しんどいのか、嫌なのかを明確にする必要があると思います。何が辛いのかが曖昧だとなんとなく辛い、必要以上に辛いと感じている可能性があります。ピンポイントでこれだと認識することが必要です。
そのためにはまずは自分の過去や闇の部分を受け入れます。そして自分と深く対話しながら、もしくは引き出してくれる他者の存在を頼りながら、何が辛いのかを言語化します。
言語化したらその背景には、自分の根本には何があるのかを考えます。例えば私の場合なら鬱や孤立の根本には過去を後悔し未来を不安に思っていることや自分がいて居心地が良い居場所がなくて苦しんでいる自分がいました。
根本を確認したらそれを変える行動に移します。私はまず過去を後悔し未来を不安に思うことを辞めることを最初の課題にしました。後悔するのは自分の失敗を受け入れなれないこと、プライドが邪魔していること、完璧主義が強いことなどの問題がありました。
未来を不安に思うのはありもしないことをまたまだ起きていないことをネガティブに解釈していること、勝手に自分で自分の首を絞めて苦しんでいる自分がいることを確認できました。
そして苦しんでいるのは、変わらないでいるために苦しむことで変らない選択をしているとしていると気づきました。そこで自分の課題を書き出して少しずつでもいいからそれを克服する行動に移すようにしました。
また居場所がないことについては自分で居場所を探そうと思って教授や留学生に話し掛けたり、英会話や留学、英語ゼミの選択、イベントの参加、インカレへの参加など自分にとって挑戦となる選択を繰り返して、自分に合う人の出会いのために足を動かしました。
そうしてたら運命を変えてくれたと思える人に出会えました。1年冬のことでした。1年間ズタボロになりながらも涙を流しながらも頑張って来た努力が報われたと思いました。本当に救われました。先輩の存在は大きかったです。
この時間を見て何の時間だと思いますか。これは今回相談にのっていた時間です。8分じゃないです、8時間です。8時間50分18秒。正直私も驚きました。人とこんなにも話したのは初めてです。女子会トークでも長くて6時間でした。2人で話しても大体2時間くらいです。
なんでそんなにできたのか。私にも分かりません。結果論そうだったとしか言えません。ただここで一つ言えるのは、私はこれまでしてもらったこと、恵んできてもらったことをそのまましただけだということです。
人や言葉に本当に恵まれてきたと思うからそれを私も恩返ししたいと思いました。でも、相談にのってくれた先輩や社会人に恩返しをすることは難しいところがあります。だから私は困っている人や助けを求めている人にもらった恩を返すのです。そしてその人たちが回復して社会に貢献するようになって、巡りに巡って私が恩返ししたいと思っている人に恩を返すことができる。恩送りをすればせめて少しでも私の気が済むと思ったのです。
だから困っている人のために惜しみなく時間や労力は使うのです。必要な言葉を贈るのです。言葉で勇気づけをする、感動を与えて変わるための背中を少し押してあげるのです。また必要な人や情報があればこれも惜しみなく与えます。見返りなんていりません。感謝の気持ちもなくてもいいです。ひたすら与えるのです。それだけです。私もそうやって与えてもらって生きてきたのですから。
せめて私がこれまで与えられてきた分だけは他人に与えたいと思うのです。もちろん与えられたもの以上を与えられたら嬉しいです。だから私は困っている人がいたら手を差し伸べたい。救いを求めている人がいたら手を差し伸べたい。何か必要とひている人がいたら惜しみなくそれを与えたい。それだけだった。
だから何度でも言います。
恩返しではなく恩送りをしています。私ができること、私がやるべきこと、私がやりたいことは恩送りだと思います。そして誰もが幸せになれると信じています。
幸せになれない、変化できないというのは嘘です。絶対誰でも幸せになれるし、変化できます。大丈夫です。それは今あなたが生きていることで証明しています。絶対大丈夫です。私もあなたも必ず幸せになれます。
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