平重衡

関西じっくり滞在記(87):木津川沿いに奈良へと向かいます

こんにちはこんばんは、ナオティです。前回は精華町の山城国一揆終焉の地を見てきました。今回は木津川沿いに奈良へと向かいます。

木津川は今我々がいる場所よりずっと東を流れる川です。最終的には桂川や宇治川と合流して淀川になり、大阪湾に流れます。

木津川まではだいたい次のようなルートです。

つまりJR線や近鉄線さえも越えて進んだところにあります。

そして木津川の堤防にたどり着いた後、川沿いにずっと

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平重衡の軍勢が東大寺・興福寺を焼き討ち 1月15日(1181年 / 治承4年12月28日)

平重衡の軍勢が東大寺・興福寺を焼き討ち   ( 南都焼討。 1月15日 [1181年 / 治承4年12月28日]) 

東大寺焼き討ちの犠牲となった女性たちを祀った場所に建てられたのが
東大寺の四月堂 (三昧堂) であると、そこの堂守から聞いたことがあります。

ただ四月堂の創建年は、1021年 (治安3年) か1067年 (治暦3年) 説が有力であり、
その説に立てば (その説が、今の四月堂の位

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京都府内の石造物⑲:安福寺層塔(伝・平重衡供養塔)

名称:安福寺層塔

伝承など:平重衡供養塔

所在地:京都府木津川市木津宮ノ裏 安福寺

JR木津川駅から北方の木津川方面に少し歩いた所にある安福寺は、平重衡縁の地である。

平清盛の五子で、「本三位中将」の通称で知られる重衡は、一の谷の合戦で捕らえられた後、東大寺大仏殿焼失によって東大寺の僧の怒りを買っていたことによって鎌倉から引き渡され、木津川で処刑されたが、後に重衡を供養するためにこの寺が建

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