ゆき丸

一応の専門はゲーム理論。 Ariel Rubinstein教授(テルアビブ大学、NY大…

ゆき丸

一応の専門はゲーム理論。 Ariel Rubinstein教授(テルアビブ大学、NY大学)から直接の許可のもと、ゲーム理論関連の翻訳をやらせてもらっています。 その他、現代音楽、平安鎌倉文学(特に平家)など。

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千夜百夜一夜の恋

主上の准后の美色に迷うて、政に害あることを悪めば   (英草紙  後醍醐帝の三たび藤房の諫を折く話) 自らの親政を望み、北条幕府末期を攪乱し世を大混乱に陥れた後醍醐帝には、万里小路藤房という博識の寵臣がいた。建武の新政なるつかのまの成功に現を抜かす天皇のさまを諫めたひとつがこれである。准后である阿野廉子を寵愛するあまり、その言をむやみに取り入れては政治によくありません、というのだ。廉子は女性にあって実務に長けた官僚的性格だったというが、しかし時は乱世、藤房はこれを芳しく思っ

    • 女は弱し、母は強しの「竹むきが記」

      ときは北条鎌倉末期から後醍醐天皇の建武の中興を経て、そして足利高氏の室町幕府創設という戦乱おびただしい動乱期、ここに高家の女性貴族が書いた小さな日記がある。「竹むきが記」、書き手は西園寺公宗の正室、北朝の廷臣日野資名の娘、日野名子である。西園寺邸は竹向殿に住んだことから「竹むき殿」と呼ばれた。 名子の一生は南北朝争乱の真っ只中にあり、その様子がきわめて淡々と綴られている。夫、公宗が後醍醐帝暗殺の謀反を企て、これが明るみになると公宗は逆賊朝敵として斬首される(これは「太平記 

      • 愛の織物、後深草院二条

        1940年、宮内庁書陵部で偶然見つかった「とはずがたり」、時代は両統迭立した鎌倉末期、書き手は北朝持明院統の後深草院に直々に仕えた後深草院二条。家柄よし、容貌よし、さらに歌才に長けた女性であった。しかしここには、数奇な運命に翻弄されながらも、一途強かに生きる二条の赤裸々な独白が綴られている。「とはずがたり」とは、聞かれなくとも思わず語ってしまうこと、「死人に口なし」という通り、その語りはきわめて人間的な自然の行為に思える。 じつに魅力的な女性だったのだろう、二条は院から最大

        • 出世の石段のご褒美、あるいは文化のトランスミッション

          春休みを利用して帰省していた姪と甥は、しばらくみないうちに大きくなっていた。なにやら学校で習った歴史や古典文学に興味があるという。そこでいざ2人を連れて増上寺は愛宕神社に出かけた。ここは父方の祖父代々が住んだ土地、父と私が生まれたところだ。今では再開発が進み、いたるところ建設中のビルが並び、かつての町名も学校も失われ、俤はみるまもないと父は寂しそうに言うが、時代も変われば連座して地図も人も変わるというもの、でも増上寺界隈はさすがに徳川宗家の容儀威儀に支配され、ほとんど変わるこ

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        千夜百夜一夜の恋

          ある哲学者の浮き輪

          教養部の哲学教授はフランス身体論の泰斗碩学で、とても偉い人だったことをだいぶあとになって知った。 ガイダンスのいきなりの第一声が「哲学をしても決して生きやすくなるわけではありません。むしろその逆です。でも君たちはいま、"自分の頭で考える"という大海原に放り出されました。溺れそうになったとき、それでも哲学は何もしてくれません。でも思わずつかんだ浮き輪に"哲学"と書いてあったらこれほど素晴らしいことはないでしょう。」 最前列でこれを聴いた私は、なぜかこの先生に魅了され、以来一

          ある哲学者の浮き輪

          錆びついた銀色の時代

          「足利室町時代は銀色の時代、しかも錆びついた銀色の時代である」との文句に惹かれた、原勝郎博士の著書。博士は西田や和辻と同時期の歴史家で、その論考に伴走する名文健筆は現代でもなお色褪せはしない。 国や民族氏族の興亡は、現在から振り返るにそれらが実在したことを思えばなんとも哀れを催すものだが、しかし零落し没落しつつあるものの目にはあらゆる事物が錆びた銀色に見えるのではなかろうか。栄華富貴をきわめたならなおのこと、赤錆びの銀色の世界として目に映るだろう。失われた人々、闇に葬られ忘

          錆びついた銀色の時代

          白い自由画、まんさくの花

          牡丹がチラチラと東京でも初雪を観測した。一面雪化粧とはいかなかったが、夜の吹雪を足早に帰宅するなか、丸山薫の「白い自由画」という詩を思い出した。 某私立高校を受験の際、国語入試で出題されたこの詩になぜか感動して試験どころではなく、むろん見事に不合格だった。でもその代わり、生涯忘れない詩となった。雨に変わった夜半過ぎ、ひとり読み返す。これは詩人が代用教員として疎開先の山形は岩根沢に勤めていたときのものである。 「春」という題で 私は子供たちに自由画を描かせる 子供たちはてん

          白い自由画、まんさくの花

          ちひろ描く儚い横顔

          画としての一葉といえば鏑木清方のイメージだったが、これはいわさきちひろ描く「たけくらべ」の美登利、おきゃんで勝気な横顔のなかに宿る、決して届かぬ恋の想いを抱いては、意中の信如を眼差す言い知れぬ悲しみが見事に描かれ、淡く儚い色彩の滲みがさらに美しく美登利を縁取り、作中「水仙一輪の造り花の淋しく清き姿」そのままである。 とぼとぼと歩む信如の後かげ、いつまでも、いつまでも、いつまでも見送るに…(十一章) あるいはわたしたちもまた、人知れずこうした面差しで好きな人の遠のく背中を見

          ちひろ描く儚い横顔

          「一葉のポルトレ」を読んで

          生前親交のあった文学者、友人や家族らが捉えた一葉についてのポートレイト集「一葉のポルトレ」を読む。追想を寄せたのは、薄田泣菫、戸川秋骨、岡野知十、疋田達子、平田禿木、星野天知、馬場孤蝶、三宅花圃、半井桃水、島崎藤村、幸田露伴、田辺夏子、そして妹の樋口くに、読めば読むほど一葉という人はいかなる人物だったのか分からなくなってしまうほど、それぞれが見た一葉の面影を書き送っている。 なかでも鮮烈だったのは薄田泣菫のもの、一葉の面影を幻に描いてみたとしながら、たった一度きりの、しかも

          「一葉のポルトレ」を読んで

          遠くつながった「遠い朝の本たち」

          タブッキやカルヴィーノなど、とりわけイタリア文学の素晴らしい翻訳で知られた須賀敦子さん、一方では瑞々しいエッセーを数多く書いている。そのうちのひとつ「遠い朝の本たち」。平明で親しみのある文章は軽快妙味、まったき嘘のない言葉に感じられる。誰にも書けるようでいて、書くにはもっとも難しい文章かもしれない。 「遠い朝」とは、自身の少女時代のことを指す大変詩的な表現だが、少女から大人へ成長する道すがらに出会ったさまざまな本との関係が綴られ、それらの本たちが人を招き、またときに人との別

          遠くつながった「遠い朝の本たち」

          死への静かな眼差し「城の崎にて」

          10代半ばに読んだときは、静かで淡々とした不思議な文章だなぁぐらいにしか思わなかった。数十年を経たいま、繰り返し読んでいると、まったく飽きることなく、読めば読むほど情趣や滋味がわいてくる。文庫でたった7ページ、直哉の代表作「城の崎にて」である。 山手線にはねられて大けがを負うも命だけは拾い、その療養にと城崎温泉へ向かった作者は、そこで3つの死を目撃する。せわしなく働く蜂の仲間たちのあいだに、ポツネンと動かぬ1匹の蜂の死。円山川の石垣を這い上がろうともがく、魚串が喉を貫通した

          死への静かな眼差し「城の崎にて」

          盲目の語ることば

          どんなにわたくしも勤めがひがありましたことか、なれどもたいへん悲しいことには、おひおひ日がたつにつれまして、いくらわたくしが新しい手をかんがへましておもしろをかしくまつてごらんにいれましても、「ほゝ」とかすかにゑまれるばかりで、やがてそれさへもきこえないことがおほくなつてまゐりました。 谷崎の「盲目物語」の一節である。戦国時代末期、信長の妹にして近江の浅井長政に嫁いだ「天下一の美人」と称されたお市の方、その側に仕えた盲目の按摩法師の回想録である。女性が政争の駒となることは、

          盲目の語ることば

          美貌喪失、そして愛のゆくえ

          「春琴抄」、その容顔美麗に威容を誇った盲目の春琴、しかし何者かに熱湯を浴びせられ、プライドもろとも頽れる。しかし奉公人で弟子の佐助は自ら目を刺し盲目となることで、春琴の雲鬢花顔たる美の誇りを守ろうとした。これを絶対の愛というのかどうか、愛にしろ悪にしろ、そもそも世の中に絶対なるものがあるのかどうか私は知らない。でもおそらく愛とはこうした自己犠牲のもとに人の誇りを守ることではないかと思われてならない。人が大切にしているものを捨身してでも守れるのか、そうした愛などまるで知らぬ私は

          美貌喪失、そして愛のゆくえ

          吉原見返り柳を振り返らず

          廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯ぐろ溝に燈火うつる三階の騒ぎも手に取るごとく 「たけくらべ」冒頭のこの一文に誘われ、台東区は一葉記念館を訪れる。「一葉が生きた明治の東京」という展示会、往時の東京の様子を垣間見ることができた。その文学作品は、東京の風俗や街並みに紐づけられた生活と切っても切れないものだったとあらためて実感する。 そのなかに「たけくらべ」の未定稿が展示されていた。マス目の原稿用紙に書くのが常だったという一葉だが、マスを意識しながらも流麗で澱みない草書で書

          吉原見返り柳を振り返らず

          別れの「暁月夜」

          その別れは春の暁の月だけが見ていた。 華族名家のうら若き令嬢、その容顔美麗に惹かれた青年文士は学業も何も捨て、名を変えては一転庭男と身をなりすまし、令嬢の邸に忍び込む。一方は高嶺の花、これは麓の塵、しかし嵐は平等に吹くというもの。一葉女史はそうして恋の行方を物語る。 令嬢を慕ういとけなき弟君を仲介して、男は艶書恋文を送り続けるが、しかし一向に返事はない。身分違わば恋の襷も掛け違うのか、優婉麗筆な一葉の筆は連綿体の草書のように男の恋を書き走る。 ある夜、音沙汰なきまま令嬢

          別れの「暁月夜」

          雨の夜の擁壁に青い苔

          今年の夏は、庭先の芭蕉が背丈をなかなか伸ばさないと案ずるうちに、9月の秋、残暑が3日ほど続いて、そのあいだにみるみると背を伸ばした芭蕉は垣根を超え、優に自分の背を越えてしまった。伸びれば伸びるほど、秋風に吹かれて、はかなく葉が破れていく。雨の夜などは、はらはらと葉に注ぐ音が侘しく、なんとも痛ましい。そんな寂しい秋の夜は眠れぬことも多く、仕方がないので縫物でもと針糸を手にする。これは幼い頃、伯母から習ったもので、襟を縫うのが難しくて喧しく言われるのがいやで、ついに放り投げては神

          雨の夜の擁壁に青い苔