ゆき丸

一応の専門はゲーム理論。 Ariel Rubinstein教授(テルアビブ大学、NY大…

ゆき丸

一応の専門はゲーム理論。 Ariel Rubinstein教授(テルアビブ大学、NY大学)から直接の許可のもと、ゲーム理論関連の翻訳をやらせてもらっています。 その他、現代音楽、平安鎌倉文学、明治期近代文学など。

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千夜百夜一夜の恋

主上の准后の美色に迷うて、政に害あることを悪めば   (英草紙  後醍醐帝の三たび藤房の諫を折く話) 自らの親政を望み、北条幕府末期を攪乱し世を大混乱に陥れた後醍醐帝には、万里小路藤房という博識の寵臣がいた。建武の新政なるつかのまの成功に現を抜かす天皇のさまを諫めたひとつがこれである。准后である阿野廉子を寵愛するあまり、その言をむやみに取り入れては政治によくありません、というのだ。廉子は女性にあって実務に長けた官僚的性格だったというが、しかし時は乱世、藤房はこれを芳しく思っ

    • 正三位D君のこと

      国文科を次席で卒業し、院に進んだD君は道真を研究していた。いつも同じシャツを着て、日にパンでもひとつ齧れればいいさと勉学に心血を注ぐほかは、世間にかまけずのらりくらりとやっていた。これからの人生をどのような人といかに歩んでいきたいのかまるで分からなかった私は、そうしたD君が羨ましかった。友人とはいえ、憧れと尊敬をもって菅家のごとく「正三位」、「三位」とあだ名で呼んでいた。 しかしある日に三位は、研究者になることも教員になることもやめて、遠く九州の田舎に帰ると知らせてきた。ど

      • 「燃ゆる頬」

        堀辰雄の短編「燃ゆる頬」、一瞬のきらめきのうちに過ぎ去っていく少年期に抱いた同性への愛の芽生えは、死という残酷さに終わる。それを描きたいばかりに物語は淡泊性急に進むが、読後にこれといって残るものはほとんどない、「美はすばやく儚い」という朧気以外は。 想いを寄せた脊椎カリエスの彼の突然の死の知らせ、その掲示板を「私」は、「ぼんやりと見た」とある。 作家のいう「最後の一撃」は、跡形もなく消えていった美の一瞬の残像だったかと思われる。 それ以外、この作品から私は何も感じなかっ

        • Could an artificial intelligence understand texts?

          It is said that an artificial intelligence (AI) would not interpret a context correctly. The programing of AI to understand languages is, according to experts in this field, much more difficult than to teach human being that. Besides, I oft

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        千夜百夜一夜の恋

          魂ゆすぶる帝王カラヤン

          ここしばらく帝王ことカラヤンとフルトヴェングラーを聴き比べていた。「音楽は音による最高の知恵、魂の形而上学啓示である」とヴェートーベンは言い残し、自らの全魂を注いだという交響曲第3と第5を交互に聴いた。 フルトヴェングラーは、感覚的な響きを目指してなんというか力学的な操作をしているように思え、それがいわば音楽の呼吸となって有機的なものとして運動しているように感じ、聴かせるべき楽器をしっかりと聴かせているかにみえる。決して技術に終始しなかったという大指揮者だが、その有酸素的音

          魂ゆすぶる帝王カラヤン

          そっと語りかけるリンドバーグのホラ貝

          颯々に素朴な生活を心がけていても、つい日常の瑣事に振り回され、ふと何かに寄りかかりたくなるときがある。そこで、数年ぶりにアン・リンドバーグのベストセラー「海からの贈り物 Gift from the Sea」を紐解いた。世界で初めて単独で大西洋を横断したリンドバーグ、その夫人の珠玉のエッセイである。 社会の一女性として、家庭の母として、また妻として日々多忙な生活から抜け出し、海辺でしばしの休暇を取った際、自らの内面を見つめては自身の在り方に思索を巡らす。普段わたしたちは

          そっと語りかけるリンドバーグのホラ貝

          「わかれ道」

          哀婉影さす男女の別れの物語、一葉の「わかれ道」、しかしその哀切はただの悲しさに終わらない。「出世」なる社会の制約を受けた宿縁であった。 雅俗折衷体で書かれるも地の雅文はほとんどなく、状況や背景、そして得も言えぬ心の内が、当時の生きた言葉である二人の会話だけで進行する革新的な作品である。 かたや16歳の傘職人の少年吉三、一方針仕事を生業とするお京の二人。腕は立つが、親も兄弟もいない捨て子の吉三は、気がよく優しいお京を姉のように慕う。しかし吉三には職人としていずれ出世し、身を

          「わかれ道」

          盗まれた最後の一行

          ある公募に向けて小説の習作を書いていた。10枚以内の短編である。 過剰な情報の海に溺れて真偽の判断ができなくなり、やがて確実性の問題に取り憑かれた哀れな男が、世界で起こる様々な事象が果たして本当に真実であるかどうか確認するために、世界のあらゆる新聞を集めては毎日読み漁り、逐一その真偽を突き止めていく。でもそうすればするほど、記事がさらなる記事を呼び、伝聞が噂を呼び、証拠がさらなる証拠を求め、確実なる真実は遠のいていく。未解決事件を追う刑事さながら、しかしこの男は最後に

          盗まれた最後の一行

          好きなものは

          好きなものは玻璃薔薇雨駅指春雷 戦前から戦後の混迷を生きた俳人、鈴木しづ子の一句。ここに詠む好きなものは、どこか危うげで近づきがたいものに見える。いや、好きゆえに決して触れてはならぬと、大人の一女性の鋭い感性が見えてきそうである。 たんに「好き」とか「かわいい」とかで、近づいては所有しようとする幼さはまるでない。破調ともいえる一見バラバラな好きなものの列挙は、一息に吐くような勢いに乗ってすんなりまとまっている。「じゃあ、あなたの好きなものは?」と聞かれているような気がする

          好きなものは

          あなたのカヌー燃えるみずうみ

          好きだった世界をみんな連れてゆくあなたのカヌー燃えるみずうみ 好きな歌人のひとり東直子さん、とても不思議な歌である。 好きな世界をすべて乗っけて遠く湖の向こうに去って行く、ここでの「あなた」は無人のカヌーそのものなのかもしれない。あるいはこれは悲しい別離や死別を湖岸に立ったまま、カヌーの曳き波を名残惜しく見届けているのかもしれない。 しかし、燃えるみずうみとは不思議な表現だ。つめたい湖が燃えるものかどうか。でもカヌーが立てる静かな航走波は、夜に咲く漁火のごとく小さな火柱

          あなたのカヌー燃えるみずうみ

          水の粒子

          君の目に見られいるとき私は     こまかき水の粒子に還る 歌人、安藤美保による「水の粒子」、きっと少女に違いない、想いを寄せる「君」の眼差しに、恥じらいのあまり飛び散って、水の粒子に還るとある。ドキドキして紅潮すると思いきや、無色透明濁りなきさわやかな水に還るとは、その想いの清冽さと一途さが現れているようにも。「還る」とあるからには、この人は元々水分子でできていたのだろう、実に清廉な歌である。 女性をこうもさせる「君」が羨ましい限りだが、はて、自分もかつてこんな恥じらい

          水の粒子

          A joke on von Neumann

          A life story about John von Neumann written by Norman Macrae has a version in Japanese language, which one of my superiors highly recommended to read. He said somewhat kiddingly that such an incredible intelligence as Neumann had never exi

          A joke on von Neumann

          七夕に建礼門院右京大夫

          今日この日、七夕といえば建礼門院右京大夫、月を愛でる人が多いなか「星の発見者」と言われ、「星合の歌人」と称された。その慎ましい日記には、星辰の一大絵巻のごとく、見開き数ページに及ぶ七夕の歌が連ねられている。 恋人だった平家小松家資盛を壇ノ浦で失ったのち、高潔にもその貞操を守り続けた。のち、後鳥羽院の乳母として出仕するが、ほどなくして行方知れずとなり、まさに暁天の星のようにこの世から消えていった。 ながむれば心もつきて星合の     空にみちぬる我が思ひかな あるいは右京

          七夕に建礼門院右京大夫

          一葉作品が残していくもの

          一葉の死後に寄せた追想のなかで、幸田文は「一葉作品には、なんというか季節の感じを皮膚に覚える」と記している。また、一葉の早世にショックを受け、以来何年も作品を読むことができなかったという長谷川時雨は「蕗の匂ひとあの苦み」と評している。 日本近代文学の傑作とも名作とも金字塔とも言うのは簡単だが、しかし何度も読むに、一葉の小説は言葉にならない何かを(読むたびに)すーっと残していく。私もこれが不思議だった。破滅に向かう女の愁訴や哀切が染み入って、ひしひしと胸に迫るだけではない何か

          一葉作品が残していくもの

          敗戦後の大川周明

          ここしばらく勉強していた大川周明、功利主義による列強のアジア支配からアジア諸国を解放すべく「大アジア主義」をもって語られた希代の理論家/思想家であった。縦横無尽の該博強記には驚くばかりだが、時間の横軸と空間の縦軸が織りなす地図は、きわめて緻密で詳解な大東亜共栄圏を描いた。しかし敗戦後の文集を読むと、大川なる人はきわめて自己に誠実で清廉高潔な人であったことを知った。 戦後、友人知人らとの書簡のなかで、敗戦の責任を自ら全うすべくことが整然と書かれている。此度の敗戦は軍閥が八紘一

          敗戦後の大川周明

          玄白のこと

          1867年、江戸幕府末年の春、政治家で洋学者の神田孝平が、湯島聖堂の露天で偶然にもある本を見つけた。表紙には「蘭学事始」とあり、杉田玄白の署名があった。これは世紀の大発見とばかりに神田は盟友の福沢諭吉に駆け寄り、こぞって写本された。これが現在に残れる玄白著「蘭学事始」である。 いまでこそ誰しもその肖像とともに日本史で知る杉田玄白、小浜藩藩医を勤めた外科医だが、しかしここには未知の世界だった蘭学への刻苦奮闘の道なき道が記されている。漢学漢籍の素養があった玄白であったが、記述は

          玄白のこと