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「わかれ道」


哀婉影さす男女の別れの物語、一葉の「わかれ道」、しかしその哀切はただの悲しさに終わらない。「出世」なる社会の制約を受けた宿縁であった。

雅俗折衷体がぞくせっちゅうたいで書かれるも地の雅文はほとんどなく、状況や背景、そして得も言えぬ心の内が、当時の生きた言葉である二人の会話だけで進行する革新的な作品である。

かたや16歳の傘職人の少年吉三きっさ、一方針仕事を生業とするお京の二人。腕は立つが、親も兄弟もいない捨て子の吉三は、気がよく優しいお京を姉のように慕う。しかし吉三には職人としていずれ出世し、身を立てる可能性があったが、女であるお京にはその道は閉ざされていた。高家権門の子女ではない限り、市井の無名の女性が歩かざるを得ない暗い社会に敷かれた道なき道。男女の別れは、そうして「出世」なる道標によって示されていた。

一葉が吉原で子供相手の荒物屋を営んでいたさい、この吉三のモデルとなった少年が実際にいたという。すね者の暴れん坊で界隈では有名だったそうだ。身寄りのない境涯から、それでもお京といたいばかりに、出世などできない、したくないと吉三は決め込んでいる。恋心を抱くも表現できない少年の鬱屈がうまく表れている。ある日、お京は突然めかけになることを決め、そのことを吉三に告げる。女たるものこうでしか(男に身を寄せるしか)出世はできなかったため、もう破れかぶれの選択であった。これを聞いた吉三は怒りと驚きと落胆とで、すねにすねて、もうお前さんとは逢わないと振り切ろうとする。しかしここに、少年から大人の男になる一歩があり、それは立身出世の道への第一歩かと思われる。社会に抑圧された女が歩むほかないしがない道、そして出世へ向かう男の道が分岐するまさにわかれ道。何も私だとて行きたい事はないけれど…誰も願うて行く処ではないけれど…世の中ってやな物だね、このお京の科白に、明治社会における寄る辺なき女性の現実が端的に表現されている。ただ悲しいとか切ないに終始しない、文学に託した一葉の生きた社会のしがらみがきわめて美しく刻まれている。

吉三さす傘に二人の姿がおさまることはついになく、最後に吉三が涙ながらに振り向いて放った言葉は、多くの人の心にずっと残ることだろう。


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