およまる

歴史愛好家です。今は特に日本中世前期の歴史を追っています。 記事では日本中世の史料や諸…

およまる

歴史愛好家です。今は特に日本中世前期の歴史を追っています。 記事では日本中世の史料や諸先生の御著書・御高論などをもとにした史話を綴っています。

マガジン

  • 城館跡・古城探索

    城館跡や古城といった旧跡の探索記事です。

  • ~史話~ 治承・寿永の乱

    治承・寿永の乱(源平の争乱)を史料や諸先生の御著書・御高論を参考にお話ししたものです。

  • 人物・氏族紹介 ~平安後期・鎌倉前期~(11C~13C初頭)

    平安後期(11C)~鎌倉前期(13C初頭)にかけての人物・氏族紹介記事を集めたものです。

  • 史跡・旧跡散策

    これまでに訪れた史跡・旧跡の紹介記事です。

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はじめに

こんにちは。およまると申します。 これからこちらにて日本中世前期の史話や人物紹介記事、または史跡探訪した際の記事などを綴っていこうと思います。 いずれ違う時代の話もしていきたいとは思いますが、当面は日本中世前期(とりわけ平安末期~鎌倉初期)メインでお話ししていきたいと考えています。 プロフにもありますが、私自身は専門家ではない一般の歴史愛好家です。 しかし、記事の内容としては何の根拠もなく勝手気ままに自分の見解や雑感(俗にいうトンデモ説)を述べるわけではなく、日本中世史の

    • 【治承~文治の内乱 vol.52】熊野騒乱(前)

      前回の冒頭で治承~文治の内乱は単純に平家と源家との戦いではなく、様々な勢力が反乱を起こし、様々な階層の人々が多かれ少なかれ内乱の影響を受けたことをお話ししましたが、今回は紀伊国(今の和歌山県、三重県南部)の熊野で起こった騒乱についての話です。 熊野三山と熊野別当熊野騒乱のお話しをする前に、まず今回の話の土台となる熊野三山とそれを統括した熊野別当についてお話ししたいと思います。 熊野三山というのは、本宮・新宮・那智の三つの神社(※1)の総称です。 本宮は家津御子神(家都美

      • 【菊池氏 vol.4】 肥後国の菊池氏

        今回は肥後国内で勢力を拡げる菊池氏についての話です。 ということで、早速菊池氏初代当主とされる藤原(菊池)則隆から見ていきたいと思います。 前回記事はこちらから↓ 肥後で勢力を拡げる菊池氏菊池氏が肥後国にいつごろから勢力を築いていたのか明確ではありません。 現在、肥後国に菊池氏が勢力を持っていた時期が明確にわかるのは、長暦4年(1040年)以降ということです。これは従来菊池氏の氏祖とされた菊池則隆(藤原則隆)が“彼の国(肥後国)の人”と藤原資房の日記『春記』の長暦4年(

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          【駿河】葛山城(スライドショー)

          今回の葛山城レポ、noteへリライトした記念にこちらも貼っておきます。 比較的小規模ながらとてもよく遺構が残ってる山城で、地元有志の方々が定期的に草刈りなどをしてくだってるようで大変見やすくなってる城跡なので、ぜひお近くへお越しの際は来てみてください^^

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          【駿河国・葛山城 vol.4】葛山城の東西の城域はどこまで?

          今回は葛山城の城域の西と東はどこまで?ということで、『日本城郭大系』の言う東郭・大手曲輪・西郭などを探るべく、、東二重堀切のさらに東側、西二重堀切のさらに西側を紹介してみたいと思います。 それと、葛山氏の平時の居館だった「葛山館」も付け足しでご紹介したいと思います。前回vol.3はこちらから。 東郭と南郭 葛山城は東西の二重堀切によって仕切られた区画が城域であるとみなされていますが、『日本城郭大系』では東西の二重堀切の外側にも曲輪があったと説明しています。 それが東郭、

          【駿河国・葛山城 vol.4】葛山城の東西の城域はどこまで?

          【駿河国・葛山城 vol.3】葛山城の主郭

          今回は葛山城の主郭部分、二の郭と一の郭を主に紹介していきたいと思います。前回vol.2はこちらから。 二の郭虎口と二の郭 前回お話しした横堀(堀底道)西端から二の郭へ入る道があり、「く」の字型に屈曲して急斜面を上っていく感じになります。 堀底道から上った所にあるのが二の郭虎口です。この虎口はだいぶ良い状態で残っていて、食い違い虎口となっていたことがわかります。この城が機能していた当時、この虎口が葛山城主郭部分に入ることができる唯一の所だっただけに、強固な防護が施されてい

          【駿河国・葛山城 vol.3】葛山城の主郭

          【駿河国・葛山城 vol.2】遺構がはっきり残る二重堀切

          今回から現地の写真も交えて葛山城の遺構を紹介していきたいと思います。vol.1の葛山城のあらましについてはこちらから。 仙年寺と葛山氏墓所 葛山城へは城がある愛宕山の南麓にあるこの仙年寺というお寺の境内から登っていきます。このお寺もかつては葛山城の寺曲輪としてその一部となっていたようです。 仙年寺は葛山氏の菩提寺とされ、浄土宗のお寺です。 『駿河志料』によれば、室町時代の文明12年(1480年)に没した光冏(増上寺四世)が開創したとされていますが、それまで仙年寺は葛山城

          【駿河国・葛山城 vol.2】遺構がはっきり残る二重堀切

          【駿河国・葛山城 vol.1】葛山氏の本城

          これから何回か分けて静岡県裾野市にある葛山城をご紹介していきたいと思います。 葛山城は駿河国(今の静岡県東部・中部)の国人領主であった葛山氏の本拠地にある山城です。小規模の城ながら遺構が比較的良好な状態で残されており、また近隣に葛山氏の館跡の遺構もあって、典型的な中世武士の本拠地の様子を今に伝えています。 では、第1回目の今回は葛山城の大まかな説明として、城の立地や歴史、構造(曲輪の配置)などについてお話ししていきます。 葛山氏の置かれた状況 葛山氏の説明でよく使われ

          【駿河国・葛山城 vol.1】葛山氏の本城

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          山中城(スライドショー)

          今回の山中城レポで使用した写真や使わなかった写真をスライドショーにしたものです。だいぶ前に作ったものなのでもはや懐かしい(笑) あと、これを見ればレポ読まなくても事足りる説も・・・。

          山中城(スライドショー)

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          【伊豆国・山中城 vol.6】未完の岱崎出丸

          今回は山中城岱崎出丸エリアを紹介します(前回〔本丸・北の丸〕はこちらから)。 岱崎出丸エリアは鳥瞰図でみると、赤丸で囲ったエリアになります。 例によって拡大します。 岱崎出丸について 岱崎出丸は「出丸」という名がつく通り、山中城の本城部分から飛び出したような曲輪となっており、岱崎出丸の中にもいくつか曲輪があります。そのためこの部分だけを城とみなして岱崎城とも呼ばれます。 また、この岱崎出丸は豊臣軍の襲来に備えて急ピッチで増設された曲輪でしたが、結局、天正18年(159

          【伊豆国・山中城 vol.6】未完の岱崎出丸

          【伊豆国・山中城 vol.5】山中城の中枢部

          今回は山中城本丸エリアを紹介します(前回〔二の丸〕はこちらから)。 本丸エリアは鳥瞰図でみると、赤丸で囲ったエリアになります。 拡大します。 本丸 山中城本丸は特徴的で三段構えとなっていますが、山の傾斜を削平して曲輪としているため各段の面積は狭いです。 本丸上段では西は二の丸、北は北の丸と接続し、北東隅には山中城で標高最高地点(586m)となる天守櫓があって、まさしく山中城の中枢となる曲輪でした。なお、本丸の広間は江戸時代に描かれた絵図によれば、本丸上段の写真中央右寄

          【伊豆国・山中城 vol.5】山中城の中枢部

          【伊豆国・山中城 vol.4】山中城の主要部・二の丸

          今回は山中城二の丸エリアを紹介します(前回〔西の丸〕はこちらから)。 二の丸エリアは鳥瞰図でみると、赤丸で囲ったエリアになります。 拡大します。 溜池 溜池は元西櫓直下にある山中城の水の手の一つです。この溜池は天然の谷を人口の土手で仕切って貯水池にしたもので、北の丸や本丸の堀水が集まり、西の丸だけでなく、元西櫓からも雨水が集められる仕組みになっていました。 発掘調査では4mの深さまで掘りましたが、池底までは到達しなかったそうです。 元西櫓 元西櫓は西の丸と二の丸の間

          【伊豆国・山中城 vol.4】山中城の主要部・二の丸

          【伊豆国・山中城 vol.3】小田原北条氏築城術の集大成

          今回は山中城西の丸エリアを紹介します(前回〔三の丸〕はこちらから)。 西の丸エリアは鳥瞰図でみると、赤丸で囲ったエリアになります。 拡大します。 西の丸 西の丸は岱崎出丸と同じく豊臣軍の襲来に備えて増築された曲輪と見られ、山中城の曲輪の中では新しい曲輪です。 そのため、西の丸周辺にある遺構には長年にわたって培われてきた小田原北条氏流の築城術が見られ、大変貴重なものとなっています。 西の丸は広さが 3400㎡と大変広い上、全方向に空堀(畝堀)が廻らされて高い防御力を持っ

          【伊豆国・山中城 vol.3】小田原北条氏築城術の集大成

          【伊豆国・山中城 vol.2】二重堀が特徴の三の丸

          今回から現地の写真も交えて山中城の各エリアについてお話ししていきたいと思います。第2回目はまず本城部分からということで、山中城三の丸エリアを紹介します。前回はこちらから。 鳥瞰図で言うと、赤丸で囲ったエリアになります。 もう少し拡大。 三の丸について 三の丸は現在の宗閑寺を中心とする平場にあったとされていますが、現在は宅地が建ってて後世の土地の改変もだいぶあると見られるため、曲輪の形は今一つはっきりしていません。 一説に三の丸は居住区だったとされますが、三の丸のすぐ

          【伊豆国・山中城 vol.2】二重堀が特徴の三の丸

          【伊豆国・山中城 vol.1】関東の西の守り

          これから何回か分けて静岡県三島市にある山中城をご紹介していきたいと思います。第1回目の今回は山中城の大まかな説明として、城の立地や歴史、構造(曲輪の配置)についてお話ししていきます。 山中城は駿河国(今の静岡県東部・中部)の東端、伊豆国(今の静岡県伊豆地方)の北端に位置していて、天下の嶮と歌われる有名な箱根山中にあります。 この城は永禄年間(1558年~1570年)といいますから戦国時代、小田原北条氏(※1)によって築かれたとされます。 小田原北条氏の本城(本拠地)であ

          【伊豆国・山中城 vol.1】関東の西の守り

          【菊池氏 vol.3】 藤原蔵規について

          前回お話ししました志方正和先生の御高論「菊池氏の起源について」(『熊本史学』第15・16)によって、『小右記』・『春記』に見える藤原蔵規・則隆・蔵隆らが『菊池系図』にある「政則」「則隆」「政隆」であるとされましたが、今回は菊池氏の氏祖と目された藤原蔵規についてもう少し詳しくお話ししてみたいと思います。 史料に登場する藤原蔵規志方説によって従来菊池氏祖であった菊池則隆(藤原則隆)の父として見出された藤原蔵規は『小右記』(※1)だけでなく、『御堂関白記』(※2)、『日本紀略』(

          【菊池氏 vol.3】 藤原蔵規について