【治承~文治の内乱 vol.54】熊野騒乱(後)
治承4年(1180年)8月半ば頃から熾烈さを増していった熊野の田辺別当家の内紛は、11月中旬に湛増が朝廷に恭順の姿勢を示したことで鎮静化し、以後湛増の目立った動きも見えなくなりました(vol.52)。
しかし、12月末には熊野別当(当時の熊野別当は範智)以下の者たちが平清盛に背いたとウワサが流れ、これは直ちに誤報と判明するものの(※1)、こうしたウワサが出ることからして、依然熊野では紛争の火種が燻っていたことをうかがわせます。
暴れ回る熊野の武装集団年が明けた治承5年(11