マガジンのカバー画像

人物・氏族紹介 ~平安後期・鎌倉前期~(11C~13C初頭)

34
平安後期(11C)~鎌倉前期(13C初頭)にかけての人物・氏族紹介記事を集めたものです。
運営しているクリエイター

記事一覧

【菊池氏 vol.4】 肥後国の菊池氏

今回は肥後国内で勢力を拡げる菊池氏についての話です。 ということで、早速菊池氏初代当主と…

およまる
4か月前
8

【菊池氏 vol.3】 藤原蔵規について

前回お話ししました志方正和先生の御高論「菊池氏の起源について」(『熊本史学』第15・16)に…

およまる
6か月前
6

【菊池氏 vol.2】 菊池氏の起源(後)

⇒前回 「則隆」・「政隆」の発見昭和34年(1959年)、志方正和先生による論文「菊池氏の起源…

およまる
8か月前
7

【菊池氏 vol.1】 菊池氏の起源(前)

菊池氏は中関白家の子孫?近代まで菊池氏は藤原道隆(中関白)の子孫であると考えられてきま…

およまる
8か月前
12

【鎌倉党 vol.5】 鎌倉党の終焉

大庭景義と梶原景時 大庭景親亡きあとの鎌倉党は武士団としての結束力はほぼ喪失していたと思…

およまる
1年前
3

【鎌倉党 vol.4】 鎌倉党の勢力拡大と分裂

大庭御厨の分割相続 下総国の相馬御厨の騒動に介入したり、大庭御厨の乱入事件を引き起こした…

およまる
1年前
4

【鎌倉党 vol.3】 大庭御厨乱入事件

大庭御厨と伊勢神宮 今回は大庭御厨最大の危機と言ってもいい、大庭御厨乱入事件の話ですが、事件の話をする前に、まず大庭御厨と伊勢神宮の関係についてお話します。 大庭御厨は伊勢神宮(内宮)の庄園です。御厨というのは天皇家・伊勢神宮・上下賀茂社や摂関家などに、お供え物や食料として魚介類その他諸々を貢物として奉るための所領です。つまり、大庭御厨は伊勢神宮(内宮)へその貢物を奉っていたということになります。 伊勢神宮(内宮)は大庭御厨から貢納物を徴収するためにどのようにしていたの

【鎌倉党 vol.2】 鎌倉党と大庭御厨

大庭御厨の成立 大庭御厨は鎌倉党の祖とされる鎌倉景政(権五郎)によって相模国に創設された…

およまる
1年前
7

【鎌倉党 vol.1】 鎌倉党のルーツ

今回は平安末期に相模国で勢力を拡げた武士団、鎌倉党の紹介です。 鎌倉党は主に相模国中部に…

およまる
1年前
5

【平井久重】 一時の戦功が身を滅ぼした?

今回の人物紹介は北条宗時を討ち取ったとされる人物、平井久重(小平井久重、紀久重、平井紀六…

およまる
1年前
1

【甲斐源氏 vol.4】 甲斐国を代表する勢力へ

八代庄停廃事件 源義清と清光は、甲府盆地北西部へ進出して、馬の産地を勢力下に置き、着々と…

およまる
1年前
1

【甲斐源氏 vol.3】 甲斐源氏発展のきっかけ

馬の産地だった甲斐国 流罪に処されたとはいえ、新天地の甲斐国へやってきた格好になった源義…

およまる
1年前
4

【甲斐源氏 vol.2】 甲斐源氏のはじまり

源義清と清光父子の甲斐国土着 天承1年(1131年)ごろ。源義清と清光父子は近隣勢力との対立…

およまる
1年前
2

【甲斐源氏 vol.1】 甲斐国と河内源氏

はじめに 今回は甲斐源氏について、それが史上に登場し始めた頃から治承・寿永の乱が始まる頃までの話を何回かに分けてお話ししていきたいと思います。 甲斐源氏というと真っ先に思い浮かぶのは、甲斐武田氏かと思いますが、この甲斐源氏という氏族はすそ野が広くて、小笠原氏、南部氏、三好氏などこれまた室町・戦国時代でおなじみの一族もルーツを辿っていけば、みんなこの甲斐源氏につながります。 甲斐源氏という氏族は別の言い方をすると、河内源氏義光流という氏族のうちの一つで、新羅三郎こと源義光