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【伊豆国・山中城 vol.4】山中城の主要部・二の丸

今回は山中城二の丸エリアを紹介します(前回〔西の丸〕はこちらから)。
二の丸エリアは鳥瞰図でみると、赤丸で囲ったエリアになります。

山中城鳥瞰図から二の丸エリア

拡大します。

山中城二の丸鳥瞰図拡大

溜池

溜池
二の丸見張台から見下ろした溜池(左は元西櫓)

溜池ためいけ元西櫓もとにしやぐら直下にある山中城の水の手の一つです。この溜池は天然の谷を人口の土手で仕切って貯水池にしたもので、北の丸や本丸の堀水が集まり、西の丸だけでなく、元西櫓からも雨水が集められる仕組みになっていました。
発掘調査では4mの深さまで掘りましたが、池底までは到達しなかったそうです。

元西櫓

二の丸北西角櫓台から見た元西櫓
元西櫓(画面奥は西の丸)

元西櫓は西の丸と二の丸の間にある小曲輪で、面積は640㎡あります。
この曲輪は当初名前が伝わらず無名曲輪とされていましたが、発掘調査の結果から元西櫓と名づけられたと解説板にあります。
西の丸や西櫓は豊臣軍の襲来に備えてのちに増築された曲輪であるため、最初に山中城が構築された時は、この曲輪が山中城の西端でした。

元西櫓は堀を掘った際に出た土砂で1メートルほど盛土をして、平らに整地されていますが、その盛り土の下にはロームブロックを敷き、そのロームブロックは曲輪の北面直下にある溜池に向かって傾斜していることが発掘調査で判明しました。
このロームブロックは粘土質の土塊であるために水を通しにくい性質があり、曲輪に降った雨水を溜池へ排水するための装置であると説明されています。

元西櫓を堀底から(南側)
上の写真を元西櫓側から撮影
溜池方面から元西櫓への上り口(この赤土が湿るとすべりやすい)
元西櫓から見た西の丸との間の空堀(真ん中の木より左側は西の丸へ入る土橋)

なお、この元西櫓の西方(西の丸側)と南方は空堀、東方(二の丸側)は畝堀、北方は溜池によって四方を囲われおり、特に西側から南側にかけての空堀の堀底から曲輪まではかなりの高低差があり、元西櫓の堅固さが偲ばれます。

元西櫓から二の丸の間に架かる橋
元西櫓と二の丸を繋ぐ橋の上からの畝堀(北側・左が元西櫓、右が二の丸)

元西櫓と二の丸の間には橋が架けられていました。
発掘調査では掘り残された橋脚台の四隅に橋脚を立てた柱穴が検出され、橋脚の幅は南北4.3m、東西1.7m。柱の直径は20~30㎝であったことがわかっていて、しっかりした橋だったようです。
現在復元されている橋はもともとの遺構を保護するために、盛土して本来の位置より高く架けられているようですが、当時の趣を感じることができるようになっています。

二の丸(北条丸)

二の丸(北条丸)(画面左が北、右が南です)
二の丸北側土塁(かなりの高さがあります)
二の丸北西角櫓台
二の丸北東角櫓台(手前は本丸西堀)

二の丸は本丸と並んで山中城の主要部を構成する曲輪です。
この曲輪は西側と北側が土塁に囲まれ、東側は畝堀を挟んで本丸に接しており、南側は土塁がなく開放的な状況となっています。そして北西と北東の角に櫓台が備えられています。

また、二の丸は北から南にかけてかなりの勾配で傾斜しており、南側は土塁がなく、田尻の池や箱井戸の方へと落ち込む形となっていることから、西の丸や元西櫓が傾斜をつけて溜池へ雨水が流れていくようにしたのと同様、二の丸もわざと傾斜させることで、雨水を田尻の池や箱井戸の方へ流すための工夫が施されていたと考えられます。

二の丸北側の堀(本丸堀)1(堀の向こうは溜池方面と北の丸とを繋ぐ帯曲輪)
二の丸北側の堀(本丸堀)2(画面奥に北の丸と本丸とを繋ぐ橋が見えます)

二の丸北側にある高い土塁の北側には空堀があります。
この空堀は東西に延び、西は溜池方面へ、東は本丸のすぐ北を通って本丸東堀へと繋がっているため本丸堀とも呼ばれています。
今は普通の空堀のように見えますが、当時はここも畝堀であったと解説板にあり、畝堀に雨水が溜まって、貯水池のような役割を果たしたとあります。
なお、この堀の外側は溜池・西の丸方面と北の丸とを繋ぐ帯曲輪が走っています。

二の丸虎口と大手道

二の丸虎口(画面奥が元西櫓、手前が二の丸)
二の丸虎口からの大手道(屈曲スロープ)

二の丸虎口には高くて大きな櫓台(二の丸北西角櫓台)がありますが、その直下で直角へ曲がる道があります。その道が山中城の大手道おおてみち(城の正門である大手門から続く道)になります。

山中城大手道は小田原北条氏の城ではよく見られる「屈曲スロープ」と呼ばれるカーブを描いているのが特徴的で、これは攻め手から見てすぐに奥の構造や状況が把握できないようにするための工夫と思われます。また、この大手道の両側には高い土塁が築かれており、敵勢がこの大手道を駆け上がってきた際には、この左右の土塁から包むように攻撃できるようになっていたと思われます。


と、いうことで今回はここまでです。
次回は山中城の中枢部である本丸、北の丸をご紹介します。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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