見出し画像

さてもさてもの日本古典 👁‍🗨『平家物語』①

📖📖 仏教思想の面からは、物語の主役と言ってもいい平重衡 


 平家物語の中で、目立たない章ではあるが、これぞ、全編を貫いている仏教思想を最も象徴的に見せていると思う場面がある。それは、平清盛の五男で二位の尼、時子を母に持つ、物語の中では脇役と言える平重衡という人物と、浄土宗開祖の法然上人とのやりとりを語った章、そしてその重衡が斬刑に処せられる場面を語った章である。

杉本健吉「新・平家画帖上」( 1956年 ) より 奈良大仏殿炎上の図

平重衡とは?その大罪とは?
彼は平家少壮の武将として各地の戦いに出陣するが、一の谷の合戦で捕えられて、ついには仏敵の汚名のもとに都で斬首される人物だ。捕らわれてのち、最後の望みとして、法然に会うのを許された重衡は法然に胸中を吐露する。要約すれば次のようなことだ。
重衡が仏敵として身に負っている罪とは、父清盛から、反平家の勢力であった奈良興福寺攻めの大将に任ぜられて出陣し、その際に失火により、東大寺大仏殿を含め、奈良の堂塔伽藍を焼き尽くしてしまったことである。重衡は法然にすがる。
(現代語訳)
「よくよく一生の行いを顧みると、罪業は須弥山  ( しゅみせん ) よりも高く、善業は塵ほどの蓄えもありません。極楽往生は望めず、三悪道で苦しむことは疑いありません」と。
その言葉に法然はこう答える。

杉本健吉「新・平家画帖下」( 1958年 ) より 法然上人 重衡に得度を授くの図

( 現代語訳 )
「罪深いからといって卑下される必要はありません。十悪五逆を犯した者でさえ、改心すれば往生を遂げることができます。功徳 ( くどく ) が少ないからといって絶望する必要もありません。一念十念の心を込めて唱 ( とな ) えれば仏は迎えに来てくださいます。」
その教えを受け、重罪人の身の重衡は、お布施として、父清盛が宋の皇帝から貰った硯 ( すずり ) を渡す。
法然は「これを取つて懐に入れ墨染の袖を顔に押し当て泣く泣く黒谷へぞ帰られける」とある。善人は当然往生できるけれど、真に救われるべきは悪人であって、阿弥陀にすがる者をこそ阿弥陀は救うという思想が、はっきりと示されている。ここには、虚構を感じさせない真実の会話があると思う。

☯☯☯  重衡の苦悶のことば

( 現代語訳 )
「本当に、私は逆罪など少しも企ててはいませんでした。ただ世の中の理というしかありません。誰が父の命令に背けるでしょうか。この世を生き抜こうとする者で、誰が天皇の命令をないがしろにするでしょうか。どちらとても断ることはできません」
これは責任逃れの言い訳などではない。重衡の立場に立てば、きわめて真っ当な言い立てである。父の命であり、朝命でもあった奈良興福寺攻め。それを断ることがどうしてできたでしょうか、という主張だ。
同じ構図に成り立っている「強いられた悪行」は、現代においてもさまざまな状況で、繰り返されているのではないか。
たとえば近い例では、財務省の職員による公文書書き換えの事件を思い起こす。この事件で当事者の書き遺したものによれば、逆らえない圧力のもとで、自らは望まぬ行為を為さざるを得なかった。時の政権に阿 ( おもね ) った組織の論理が、そこに属する個人の感情を押しつぶしている。それを断ることは、自分の生活基盤と人生展望を失わしめることにつながるからだ。
心ならずも為したことが、天下の大罪になってゆき、その罪を一身に負わなければならない。ときにそれは死をもって証さなければならにことにさえなる。

もっと究極の例を持ち出せば、オウム真理教事件であろう。平然と殺人行為を遂行した若き操られ信徒たちもまた、捕らえられてのちには、重衡と同じ言葉を漏らしたに違いない。絶対的な存在であった教主の命には従うほかはなかった、と。
卑小な例にしかならないが、人を傷害するような犯罪ではないというだけであって、不正不道徳と心の底では思いつも、それを口には出来ず、経営者の思惑に従ったことは、サラリーマンとしての身過ぎ世過ぎを味った自分にもあると思い至る。平家者物語の重衡の苦悩は、命じ命じられる縦関係の人間社会では、自分のこととして発生し続けているのだ。だからこそ重衡がたどりついたであろう安寧の境地にあこがれる。

「勅伝 法然上人行城絵図」より 教えを受ける平重衡

💫💫💫 苦悩する重衡によって何を描いているのか

真に救済されるべき人物像を、平重衡に造形していると思うのだ。そして、処刑の場で重衡の声を実際に聞いた経験をもって、この章は創作されたと思わずにはいられない。
清盛や頼朝や後白河法皇といったトップの心中は、物語創作者のいわば思い込みと言ってもいいはずだ。なぜなら生殺与奪の絶対的な権力を握った者の胸の内は、当人より他は伺いようもない。極論すればトップに立った時点で、いくら物語作りの巧者であっても、その深い部分までは理解は及ばないであろう。

つい、そういう英雄たちの言動に気を奪われもし、鮮やかな場面の名言に心を引き付けられもするけれど、そしてそれがポピュラーな人気を持ち続ける要因であるのを認めた上で、平家物語が読者を深い思索に連れてゆく滋味とも言える魅力は、今日の市井人の苦悩にまっすぐつながっている平重衡の生と死を、物語の核として、埋め込んでいるところにあると思う。
『平家物語』多くの登場人物の中で、ただ平重衡にのみ、私は心情を重ね合わすことができる。
                  令和5年5月   瀬戸風  凪
                           setokaze nagi

 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?