瀬戸風 凪

名画の面白い見方を探索の散歩人です。中でも北斎の「富嶽三十六景」連作の読み解きは、これ…

瀬戸風 凪

名画の面白い見方を探索の散歩人です。中でも北斎の「富嶽三十六景」連作の読み解きは、これまでの北斎の絵解きでは、最もサブカルチャー的と自負してます。 もうひとつのマストは、青木繁と明治近代洋画。ブラボー青木繁!の拍手を添えて、青木繁に問いかけています。どうぞその仲間になりませんか🌞

マガジン

  • 俳句のいさらゐ

    松尾芭蕉の俳句が、上質のエピグラム(寸鉄詩)であることを探ります。

  • 絵のアルバム

最近の記事

  • 固定された記事

Essay Fragment/ 追憶のブランディーユ ④ おばあちゃん

🔘 ― 冬が来るけんねェ と言って、おばあちゃんは納戸の中から、冬服を出してきてためつすがめつ見ていた。 ― それをどうするん? ― 破れがあったらね繕 ( つくろ ) うんよ そのときぼくの靴下に破れがあるのを見つけると、 ― 貸してみ と言ってその場ですぐに繕ってくれた。ぼくは傍 ( かたわ ) らで絵を描いていたけれど、 ― もっと大きいに いっぱいに描かにゃあいけんで とおばあちゃんは言った。 ― 大きい人にならにゃあいけんで おばあちゃんはやさしくよくそう口にし

    • 詩の編み目ほどき⑭ 野木京子「花崗岩ステーション」

      「詩の編み目ほどき」シリーズでは初めての現役詩人。野木京子さんはH氏賞受賞詩人。私と同い年の方だ。管理のもとに整然と動いてゆく社会に収まり切らず、溶けこめない思いや感覚を、非現実の場面によって寓意し、ざわざわとした想念へと導いてゆく。 代表詩集は『ヒムル、割れた野原』(思潮社、2006年第57回H氏賞)。最新詩集は2024年3月刊の『廃屋の月』。 この詩は、いかようにも解釈できる詩であろう。詩人が書き続けている作品系譜から詩作動機を考えれば、以下の解釈は的外れの空へ向けて矢

      • ワタクシ流☆絵解き館その262 明治生まれ世代の「海の幸」「わだつみのいろこの宮」評

        青木繁の二大名作のうち、「海の幸」は、その絵柄の不可思議さと迫力とが現在なお絵の価値を更新し続けていることを、「わだつみのいろこの宮」は、1907年(明治40年)3月20日から7月31日の東京府勧業博覧会においては、情実による三等賞という入選末席の評価しかなかったが、まだまだ調べ尽くされていない青木の修養の末の集大成作であることを、「ワタクシ流☆絵解き館」の記事で何度も触れて来た。 では、東京府勧業博覧会では、鑑賞者にどんな感想を持たれたのか、またその後どのように好まれて、

        • 俳句のいさらゐ ❍✡❍ 松尾芭蕉『奥の細道』その十三。「あかゝと日は難面もあきの風」

          🟡 あえて同じ季語の句を同じ段に並べた◈ あかゝと日は難面(つれなく)もあきの風  芭蕉  この句を解釈しようとすれば、同じ段にある句 ◈ 塚も動け我泣声(わがなくこえ)は秋の風  芭蕉 に目が止まる。同じく「秋の風」を季語に用いているからだ。 先ずは、「塚も動け我泣声は秋の風」について、考えてみなければなるまい。 この句には、「一笑と云ものは、此道にすける名のほのぼの聞えて、世に知人も侍しに、去年の冬、早世したりとて、其兄追善を催すに」と本文にある。金沢蕉門の実力ある

        • 固定された記事

        Essay Fragment/ 追憶のブランディーユ ④ おばあちゃん

        マガジン

        • 俳句のいさらゐ
          28本
        • 絵のアルバム
          5本

        記事

          ワタクシ流☆絵解き館その261 青木繁 その絵は描かれなかった!(のだろうか?)

          🏳 帰郷により幻に終わった仕事渾身の絵画「わだつみのいろこの宮」を、高く売る気でいた青木繁の目論見に反し、買い手はつかず、困窮生活は打開出来なかったのだが、その時期、まとまった画稿料が入るであろう仕事を受けていた。分類すれば挿絵の仕事になろうが、文芸雑誌「白百合」終刊号に、青木が描くはずだった書籍の発刊予告が載っている。 青木に予定されていたその仕事は、以下の内容だ。 ■ 書籍名     前田林外月間詩集「沼の人」 ■ 体裁      (シリーズとして出版 現在のムック本の

          ワタクシ流☆絵解き館その261 青木繁 その絵は描かれなかった!(のだろうか?)

          俳句のいさらゐ ❂◙❂ 松尾芭蕉『奥の細道』その十二。「野を横に馬牽(ひき)むけよほとゝぎす」

          🔶「走馬看花聞香下馬」の思い「野を横に馬牽むけよほとゝぎす」 この句から先ず連想するのが芭蕉の次の句だ。 いざ行む雪見にころぶ所まで     芭蕉『笈の小文』より 上に引いた「いざ行む」の句は、まるで童子のしぐさのような滑稽な姿を詠んで、ややおどけている。心の弾みをそれで示しているのだ。 『奥の細道』の「野を横に」の句にも、この無鉄砲さに通うおどけぶりが、かすかに含まれていると私には感じられる。 「野を横に」は「野の横道方向に進もう」という意で、つまりは、横道に逸れて、(

          俳句のいさらゐ ❂◙❂ 松尾芭蕉『奥の細道』その十二。「野を横に馬牽(ひき)むけよほとゝぎす」

          賢治童話の 🚶‍♂️ 岸辺散歩 音韻を読む「風の又三郎」

          🍃 又三郎 ― 仏様の化身として宮澤賢治を取り上げたこの記事を読んでくれる人は、ストーリーなどは語らずもがなであろうから、前置きなしですぐに本論に入ろう。 現とも幻ともつかめない迷い径に入り込んだ嘉助 ( 又三郎を囲む児童のひとり ) の前に現われた、救済の使者としての又三郎の様子はこう描かれてい。る。 又三郎のこの姿から私にはある偶像が浮かぶ。それは、仏様 ( 仏像 ) である。 ガラスのマントを想像してみて、最も当てはまるのは、仏像の羅 ( うすもの ) の法衣である。

          賢治童話の 🚶‍♂️ 岸辺散歩 音韻を読む「風の又三郎」

          三島由紀夫 ⦿壮麗なる遺偈(ゆいげ)ー『豊穣の海』

          🔈 太宰治に発した三島由紀夫のことば日本の物語の原型は『竹取物語』と言われるが、それは奇想天外のプロット、予想しきれない結末へのしかけが読ませるための大きな要素であると示していることでもあろう。 『竹取物語』の系譜にある現代の小説を思うとき、その作り手として太宰治の名を挙げられるはずだ。そして太宰治を思うと、著名な戦後作家同士としてよく引き合いに出される組み合わせなのだが、三島由紀夫の名がひとつながりに浮かんで来る。 それは、三島由紀夫が先輩流行作家太宰治の文学をあからさまに

          三島由紀夫 ⦿壮麗なる遺偈(ゆいげ)ー『豊穣の海』

          和歌のみちしば ― 若山牧水「白鳥はかなしからずや」

          🔷 自らの心に問いかける「かなしからずや」「白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」 近代短歌の中で最もよく知られ愛唱されるこの歌は、若山牧水が早稲田大学在学中、23歳の時に詠まれた。当時の恋人園田小枝子との恋が背景にあるのは、歌に添えられた「女ありき われと共に安房の渚に渡りぬ われその傍らにありて夜も昼も断えず歌う」という詞書から明確である。 この歌が、人々の心に強く呼びかけて来るのは、白鳥に向けられながら、その実は自問にほかならない「かなしからずや」

          和歌のみちしば ― 若山牧水「白鳥はかなしからずや」

          俳句のいさらゐ ✿◎✿ 松尾芭蕉『奥の細道』その十一。時間の奥行きを詠む

          「奥の細道」の中の、名吟の特徴として、 🔷 激しいもの、苦難を強いるもの、心を落ち着かせないもの、大きな力に動かされているもの、といった出来事や現象が先にあって、 🔶 そのあとに訪れた平穏を天の恩恵ともとらえ、ゆえにこの無常の刹那を愛おしむ寂情であり惜情でもある思い が詠まれている、と思う。 「奥の細道」の中の句の数々には、旅路ゆえの偶然性がもたらす景との遭遇に、反証的な視点を据えて、芭蕉が嘱目した時点に至るまでに過ぎ去った事象も内含された世界が表されている。偶然性がもたら

          俳句のいさらゐ ✿◎✿ 松尾芭蕉『奥の細道』その十一。時間の奥行きを詠む

          ワタクシ流☆絵解き館その260 クリシュナとラーダー幻想/青木繁「わだつみのいろこの宮」

          過去の記事で、青木繁の《白馬賞》受賞作品のひとつ、詳細所在ともに不明でタイトルのみ伝わる「唯須羅婆拘楼須那」の読みは、「ユー・スーラセーナ・クルシュナ」と解釈し、インド神話の全知全能の祖神ヴィシュヌの8番目の化身であるクリシュナを描いた絵だと推測した。 ※クルシュナ=一般的に通用しているのはクリシュナ ( 以下クリシュナで通す ) インド神話を白馬会の出品作の題材に選ぶほど、インド神話にのめりこんでいたのは、青木自身が語っておりはっきりしている。そのことから、後年の制作「わ

          ワタクシ流☆絵解き館その260 クリシュナとラーダー幻想/青木繁「わだつみのいろこの宮」

          和歌のみちしば―『万葉集』柿本人麻呂、讃岐国狭岑の島で、屍を見て詠んだ歌を考える。

          「万葉集」の中で、柿本人麻呂が讃岐国で詠んだ歌として次の一連がある。その詞書は次のとおりだ。 詞書はただそれだけである。どこどこへ行く折にとか、説明は全くない。以下、長歌と短歌からなるこの一連を読みゆけば、海が時化て、やむなく船を着けた島の磯の岩間に、男の亡骸を見つけて、あなたがこのような姿になっているとは妻は知る術もなく、あなたの帰りを待っているだろう、という憐憫 ( れんびん ) の情を表した歌であることがわかる。 その中で目に止まるのは、「ころ伏す」の表現である。「こ

          和歌のみちしば―『万葉集』柿本人麻呂、讃岐国狭岑の島で、屍を見て詠んだ歌を考える。

          歌人俳人の名にちなむ和菓子名あれこれ

          伝統和歌にちなむ名を持つ和菓子のあれこれを、以前探ってみた。 今回は、歌人だけでなく俳人まで範囲を広げて、人名そのものを ( 略称を含めて ) 銘に使っている和菓子商品を探訪してみた。 パッと思いつくように、〇〇最中、〇〇饅頭といった名付けが確かにある。 けれど、菓子の形とか意匠に、名前からイメージされるものを使う工夫もあって、ただ冠に○○と、名前を借りればいいという発想ではないことにも気づいた。写真は各菓子匠のホームページからお借りした。 菓子の名に使われる歌人俳人は、間

          歌人俳人の名にちなむ和菓子名あれこれ

          ワタクシ流☆絵解き館その259 フェルメール「絵画芸術」の不思議な箇所

          フェルメール「絵画芸術」は、魅力ある絵だ。 けれどじっくり見ると、不思議に思える箇所がある。それを以下に列挙してみた。 そう見えてしまうのは私一人なのかどうかもよくわからない。読んでくだった方に解釈は預けて、問いを投げかけるだけにとどめておこう。 ❓ 不思議1◉ 架台の左側の脚は見えないようだが、どうなっているのか。 ❓ 不思議2 ◉ 靴下のような履物の左右の形状の違いは何を暗示するのか。 ❓ 不思議3◉ 椅子は左側が浮いているようで、座りが不安定に見えるのだが。

          ワタクシ流☆絵解き館その259 フェルメール「絵画芸術」の不思議な箇所

          俳句のいさらゐ ◍◪◍ 松尾芭蕉『奥の細道』その十。「しほらしき名や小松吹萩すゝき」

          🟡 二句一対の構成の句ではないか『奥の細道』で、7月24日に金沢を出て小松に着き、7月26日までいた間の句が 「しほらしき名や小松吹萩すゝき」と 「むざんやな甲の下のきりぎりす」である。 別種の趣のように並んだ句だが、この両句は一対の構成になっているのではないかというのが、私の解釈である。 「しほらしき名や小松吹萩すゝき」は、「小松と云所にて」とごく短い前書きがあるだけである。たとえば   妹が名は千代に流れむ姫島の小松がうれに蘿 ( こけ ) 生すまでに        

          俳句のいさらゐ ◍◪◍ 松尾芭蕉『奥の細道』その十。「しほらしき名や小松吹萩すゝき」

          俳句のいさらゐ ⊡▩⊡ 松尾芭蕉『奥の細道』その九。「あやめ草足に結(むすば)ん草鞋(わらじ)の緒」

          🟩 あやめは、草鞋の紺の染緒の見立てか?⦿あやめ草足に結 ( むすば ) ん草鞋 ( わらじ ) の緒   芭蕉 は、仙台での句で、俳文には「あやめふく日也」と『奥の細道』にある。あやめふくは、あやめ草を葺く、の謂であり、今に続く邪気払いの風習である。 当地の画工加右衛門が、一日名所案内をしてくれて、最後に描いた絵とともに、「紺の染緒つけたる草鞋二足」をくれたことを詠んでいる。 餞として用意してくれたのが、旅の必需品である草鞋というのがありがたい上に、消耗品でもある草鞋に、

          俳句のいさらゐ ⊡▩⊡ 松尾芭蕉『奥の細道』その九。「あやめ草足に結(むすば)ん草鞋(わらじ)の緒」