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2か月前

大河ドラマ「どうする家康」第42話

小山評定

徳川家康さま☘️をたどる#60☘️関ヶ原前夜

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慶長10年(1605)9月20日は土佐藩主の山内一豊が高知城で死去した日。一豊は秀吉のもとで武功をあげて出世した。関ヶ原合戦では東軍として参陣し土佐一国を与えられた。合戦前の小山評定において去就に迷う諸将の中で真っ先に居城の掛川城を提供する発言が家康を喜ばせたという逸話が残る。

慶長10年(1605)9月20日は土佐藩主、山内一豊が高知城で死去した日。関ヶ原合戦前に去就に迷う諸将の中で居城提供する発言が家康を喜ばせた。案を取られた堀尾忠氏は普段誠実な一豊と思えないと笑いあった逸話がある。必死なのもわかるし笑って済んだならいいですが抜け駆けはどう転ぶやら。

慶長5年(1600)7月25日は石田三成挙兵を受け家康が小山評定を開いた日。豊臣恩顧の福島正則、山内一豊が家康の味方を宣言することで諸将も追従し東軍が結束したとドラマで描かれる逸話。実は東軍も豊臣恩顧の大名だらけ。一芝居あったか知らないけど味方を増やす要素の一つは熱量なのかなと。

霧の中の関ヶ原 その2(全4回)

歴史・人物伝~関ケ原編⑥家康を後押しした小山評定での発言

慶長5年(1600)7月25日は石田三成挙兵を受け家康が小山評定を開いた日。福島正則は命をかけて戦うと誓い山内一豊は自らの城を差し出すと豊臣恩顧の武将が家康の味方を宣言した。これで他の諸将も追従し東軍が結束したとドラマでも描かれる逸話。実は東軍は豊臣恩顧の大名が多くを占めていた。

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