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【エッセイ】下野①─祇園城に行けなかった─(『佐竹健のYouTube奮闘記(21)』)

 一週間後。私は赤羽駅まで自転車で向かった。

 4月から10月まで暑い日が続くので、本来であれば電車で行くところだ。だが、この日は涼しかったので、自転車で赤羽駅まで飛ばしていくことにした。

 自転車を駐輪場に停めたあと、駅まで歩き、Suicaのチャージをして、改札を通った。そしてそのまま京浜東北線に乗り、大宮で宇都宮線に乗り換えて小山を目指した。


   ※


 先週悩んでいたテーマについては、結構さっくり決まった。茨城へ行ったときに土浦城へ行ってきたから、

「関東各地の城を巡ろう」

 ということになったのだ。

 どういう感じで城を巡るかというと、まず旧令制国、武蔵国とか下総国にあるものを一つ巡ることにした。そして巡ったら次の国へ移るといった感じで。

 もちろん寄り道もする。お城を巡って帰るのも味気ない気がするので。ただ、寄り道は寄り道なので、経路や時間によってはしないこともあるが。

 例外もある。武蔵国だ。東京と埼玉、両方巡ろうと思っている。それに住んでいるところなので、時間もたっぷり取れるから、時間をかけて巡ることができるからだ。あと、どうせ旧令制国の城を全て制覇するなら、都県の方も全部制覇してやりたいという思いもある。

「やりたいこと、やってみたいこと」

 結局これらを優先する形となって「関東城巡り」という企画につながった感じだ。自分ながらに、私らしいな、と思った。


   ※


 埼玉の市街地や住宅街、茨城の田園風景。車窓から見える風景を楽しんでいるうちに目的地である小山へと着いた。

 小山駅は東北新幹線が通っているということもあってか、かなり規模が大きかった。

 ここから歩いて小山御殿と今回の目的地祇園城を目指す。

 小山の街は栄えていた。駅の近くには業務用のスーパーやダイソーもあったし、歩いてすぐのところには何軒もコンビニがあった。これも新幹線が通ていることの効果なのだろうか。

 駅の前から伸びている大路を少し歩いたところに、今回の寄り道先である小山御殿が見えた。

 小山御殿は、江戸時代に徳川将軍家が日光参拝のとき、休憩と宿泊をするために作られた施設。小山の地に建てられた理由は、小山評定という軍議の故事に由来しているらしい。

「小山評定」

 わからない人のために説明しておくが、会津の上杉家討伐のため行軍していた徳川家康が、石田三成挙兵の報を聞いて開いた軍議。このまま北上して上杉家と戦うか、西へ引き返して三成を討つかについて話し合われた。

 家康率いる東軍には、豊臣家に恩のある者や大阪に妻子を人質に取られている者が多かった。だから、家康に味方したら、恩を仇で返すことや大阪に妻子が危険な目に遭うかもしれないという不安が諸将の中にはあった。そのため、

「徳川方に着くのも三成方に着くのも各々の自由」

 という結論に落ち着いた。

 だが、ここで豊臣恩顧で武勇の誉れ高い福島正則が、

「上方のことはどうでもいい。俺は内府あんたに味方する」

 と宣言した。

 福島正則に続き、今度は山内一豊が、掛川城とうちにある兵糧全部出す、と言ってきた。

 福島正則と山内一豊の二人に続いて、俺も俺もと家康の陣にいた諸将がこぞって家康に味方することを表明したのだ。

 多くの味方を得た家康は、美濃国と近江の境関ヶ原で石田三成率いる西軍と激突。動かない島津義弘などの西軍の味方たち、小早川秀秋の裏切りもあって、戦いはわずか6時間の間に終わってしまった。これが世にいう関ヶ原の戦いである。

 この戦いに勝利した家康は、石田三成、小西行長、安国寺恵瓊を斬首にし、西軍に与した大名たちを次々減封もしくは改易させた。

 小山御殿の跡地は、北側にある土塁以外に当時の名残と言えるものは無かった。ほとんどは芝生が敷き詰められていて、少し広めの広場といった感じになっていた。

 看板をざっと見て御殿跡を出ようとしたとき、芝生の中にアスファルトで舗装された空間を見つけた。

 何だろうと思った私は、その空間が何なのか確かめた。

 舗装されたスペースには、案内板があった。ここに台所や老中の詰所があったとかそんな感じの。どうやら、ここは当時将軍が使っていた御殿の跡があった場所のようだ。

 考古学者は本当に偉大だ。芝生の中にある御殿の跡地を見て、私は思った。礎石といったわずかな手がかり、そして文献などから、御殿の大きさを想定し、こうしてわかるのだから。


 小山御殿を見終えたあと、今回の目的地である祇園城へと向かった。

 祇園城は藤原秀郷を祖先に持つ名族小山氏が、戦国時代に没落するまで居城としていた。江戸時代の初めには本多忠純が城主となったが、宇都宮転封の関係で廃城となった。

 ここには3年前足を踏み入れている。群馬の桐生の方に用があったときに立ち寄った。城のあった台地から見える思川とその向こう側から見える山々がきれいだった思い出がある。

 もう一度3年前に見た風景を見たかったので、私は下野に来た際に立ち寄る城を祇園城と決めた。それ以外に特に深い理由はない。

 歩道を歩いて、祇園城のある台地へとやってきた。入ろうと思ったが、門の前に「公園の工事のため関係者以外立ち入り禁止」と書かれていたのだ。

「え、工事中……」

 私は何度も入口にあった看板を見た。

 何度見てもそこには、

「公園の工事のため関係者以外立ち入り禁止」

 と書かれてある。

 何という不運。私は落胆した。行きたい場所にいけないとは。やはり厄年はろくなことがない。

「はあっ……」

 ため息を一つついた私は、とりあえず思川の土手から見える山々の写真を撮った。せっかくここまで来たので、何か収穫が無いと嫌なので。

(続く)


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