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旧日光街道ウォーク⑫ 間々田宿→小山宿

こんにちは、ばーどです。

2024年2月28日(水)。
今日のゴール、小山宿を目指します。



1.国道沿いの風景

間々田宿と小山宿、どちらも小山市内。
引き続き国道(途中から県道)をたどる、旧街道感が薄い区間です。
こういう時は、幹線道路沿いの風景を楽しむしかないです。

セブンイレブン、すき家、ゲオ
カワチ薬品 〈栃木県小山市〉

地元に本社があるドラッグストアです。

民間企業が設置した「みんなの広場」
㈱鴇商(ときしょう)〈群馬県館林市〉

産業廃棄物回収業の企業が、自社敷地の空き空間を整備したようです。地域貢献の取り組みですね。
この時は利用者はいませんでしたが、子供の遊び場やペットの散歩に活用できそうです。

この辺りに間々田の一里塚があった

江戸から十九里、詳細の所在地は不明。
ここまでの19塚中の8塚が「不明」。遺構探しも難しいです。

スリランカ食堂
駐車場がかなり広いコンビニ
らーめん じゃんじゃん亭
おたちゅう(お宝中古市場)小山店

市街地が近づくと、車の通行量が増えできました。道幅を広げられない区間は、信号機のポールの場所にも苦労して、ついに民家の庭に建てられたものまで。

庭に建てられた信号機のポール
押ボタンは塀を越えて歩道側に下りていた
白梅が見事だ
浅間神社

浅間(せんげん)神社は各地にあって、富士山信仰に繋がる社です。富士山を望める場所に建てられることが多く、特にここは円墳の丘の上に位置してます。

台湾料理 福味居

歴史的な碑や遺構などはあまりありませんが、面白そうなショップやスポットが目につきます。
ここもそんなうちの一つ。

駐車場を囲んで不思議な店が並ぶ
ソロモン奪還作戦西側支部?
野外活動道具店?

一角には、ラジコンカーを走行させるコース、結構面白そう。

コンセプトは、ワイルドなウェスタン風

車好きの大人達が集まりそうな場所です。


2.西堀酒造

長屋門のある民家
ここはたぶん、道路拡張用地
これも道路拡張用地、かなり広い

東西に走る県道バイパスは、土地収用に余裕があるようで、今ある道幅の倍くらいに広げられそうです。

その県道と交わる粟宮(南)交差点の先に、明治5年創業の西堀酒造があります。

西堀酒造

当主の西堀家のルーツは近江商人。
日光社参の往来で賑わうロケーションと、渡良瀬川水系の硬水が酒の醸造に適していることに注目して、ここ小山に酒蔵を構えたのが起源。

酒蔵は国登録有形文化財
二大銘柄の一つ、「若盛」
「門外不出」は栃木の地産地消銘柄
儒学者 大橋訥庵の旧居跡
白梅

ひたすら国道を辿ってきた日光街道が、わずかに脇道に外れる区間がやっと現れました。

大橋農場直売所の看板を左に入る
久しぶりの脇道に入る
100mほどで再び国道へ
東京から75km
安房神社 隣はチャペル
家族葬のタクセル

ここ辺りだけではないですが、街道沿いに「家族葬」「小さな葬儀」が目立つようになりました。
これからの時代、接する機会が増えるマーケットになりそうです。

粟宮交差点で右の県道へ

国道が左に反れ、分岐するはずの県道が直進。元国道だったことがわかります。

レース鳩 の看板
レース鳩市場 の看板

営業しているようには見えませんでしたが、調べるとこの場所に「オグラ鳩舎」と出てきました。

県道265号をたどる
左右にクルマ関連企業
ボロボロの案内表示
東側に東北新幹線の高架が並ぶ
ゴルフ練習場
左右に住設関連企業が並ぶ
お気軽フレンチ 向日葵
立派な長屋門のある民家
左 メンズエステ
右 タイ古式マッサージ
「神鳥谷」 なんて読む?
正解は、「ひととのや」

地名の由来は諸説あり。
① 小鳥を指す古語「巫鳥(しとど)」が神鳥に転じたという説
② かつて湿地で、しとしと濡れる谷で「しととのや」という説
どちらにしても、ロマンがわきますね。

ここも葬儀関連業社 しめっぽい感じはしない
手前も向こう側も、車止めは固定されている
右の軽トラックはどうやって出る?
関東自動車のバス車庫
国道50号と交差
国道50号の東側は東北新幹線・東北本線

国道50号は、群馬県前橋市と茨城県水戸市を結ぶ、北関東の大動脈。
小山市が、鉄道・道路の交通拠点になっていることが、わかります。

歩行者・自転車のスペースは、白線で区分け
マルシェ(ジョイマート)<埼玉県春日部市>

3.<第十二番>小山宿 

小山宿の南の入り口(江戸口)に到着です。

天満宮前が小山宿の江戸口
天満宮の鳥居 1803年建立
日光ゆば ゴールが近くなってきた?
小山天神郵便局
鉄焼きうどん鍛冶屋寅次郎 <茨城県結城市>
コンテナ型ホテル R9 The Yard
スーパー「かましん」<栃木県茂木町>
小野塚イツ子記念館

醤油醸造業で財を成した小野塚家。工場の建物敷地を市へ寄贈し、記念館として公開しています。

小山の一里塚があったのはこの辺り
江戸から二十里めにあたる
須賀神社の参道

朱塗りの灯篭と、白い鳥居のコントラストが、とても美しいです。
ちょうど薄暮の時間帯だったので、幻想的にも見えました。

須賀神社の案内看板

小山市といえば、歴史好きには「小山評定」の地として知られています。
1600年、会津の上杉氏討伐に向かう徳川家康のもとに、石田三成の挙兵の報が入り、この地で軍議を開いたのが「小山評定」。
討議の結果、西へ向かった徳川軍が、関ケ原の戦いで勝利をおさめたことで、天下人としての道を歩むことになったわけです。

小山宿の中心
街道は「小山宿通り」と名付けられている

小山宿の本陣がどこにあったか、資料にも記されておらず、脇本陣と控え本陣跡が、遺構として残されています。

脇本陣 17:30 空き地の奥の唐破風造り
明治天皇行在所の碑が目立つ
控本陣跡 現在はきもの屋
旧商家を活用した観光交流センター
JR小山駅西口
小山宿の日光口はこの辺り
元須賀神社 当初はここにあったとされる

今日の行程は、ここで終了。

帰路につく前にこちらで一杯
あつあつおでんが美味い

間々田宿→小山宿
 距離 7.4km
 所要 1時間30分(休憩除く)

旧日光街道ウォーク3日目は、栗橋宿から小山宿まで、トータルで24.2kmを歩きました。
次回は、小山宿から宇都宮宿までを予定しています。
日光連山の風景が近づいてくるのが、楽しみです。



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