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旅の記:2023年8月のツアー㊱最終回・食とか!

【旅の記:2023年8月のツアー㊱最終回・食とか!】 というわけで、2023年8月のツアーは10日仙台BARTAKE、12日青森SUBLIME、15日米沢ARBでした。ご来場いただいた皆様、スタッフの皆様ありがとうございました! ブッキングするのが遅くなってしまい、3か所でのライブでしたが、移動日も計3日もあり、おかげで歴史探訪は十分すぎるほど楽しめました。 仙台で伊達政宗の霊廟をお参りして、米沢では政宗誕生の碑があったり、八戸から盛岡までは南部の歴史を堪能できましたし、7

    • 旅の記:2023年8月のツアー㉟普門院(山形県米沢市)

      【旅の記:2023年8月のツアー㉟普門院】 普門院は仁寿3年(853年)英慶法印という僧が創建したとされ、伊達家の城下町だったころに現在の地にお寺が建てれた。その後火事で焼失し、寛政年間(1789‐1822年)に再建された。山号を岩上山とする真言宗智山派の寺院です。 寛政8年(1796年)羽黒堂(羽黒神社)で師・細井平洲を迎えた上杉治憲(鷹山)はここ普門院に案内し、休憩をとり旅の労を慰めたそうです。治憲は46歳、平洲は69歳であった。 細井平洲は尾張国知多郡(現・愛知県東海

      • 旅の記:2023年8月のツアー㉞羽黒神社(山形県米沢市)

        【旅の記:2023年8月のツアー㉞羽黒神社】 福島から板谷峠を越えて米沢の入り口にある羽黒神社。創建は大同元年(806年)、出羽三山の羽黒山から羽黒神を分霊して勧請したのがはじまりとされ、当初は羽黒堂と呼ばれていた。 歴仁元年(1238年)に現在の地に遷座。元亀元年(1570年)に伊達と蘆名の戦いに巻き込まれ社殿を焼失し衰退したが、慶長3年(1598年)米沢城主となった直江兼続が社殿を再建した。 元文3年(1738年)火災により社殿を焼失、天明8年(1788年)に再建された

        • 旅の記:2023年8月のツアー㉝笹野観音堂(山形県山形市)

          【旅の記:2023年8月のツアー㉝笹野観音堂】 真言宗豊山派の寺院である笹野観音堂は山号を長命山、幸徳院笹野寺とも称する。 坂上田村麻呂が国家鎮護を願って観音菩薩を勧請、旅の僧が霊木を刻み鎮守とし、笹野山の中腹に観音堂と羽黒権現をお祀りしたのがはじまりとされ、弘仁元年810年に現在の地に観音堂が完成して移った。 永享年間(1429~1441年)に長井の高僧が観音と羽黒の両尊を秘仏として、新たに千手千眼観世音菩薩を刻みご本尊とした。 上杉家が米沢に入ると、直江兼続が庄内羽黒山

        旅の記:2023年8月のツアー㊱最終回・食とか!

          旅の記:2023年8月のツアー㉜林泉寺<上杉家・直江兼続菩提寺>(山形県米沢市)

          【旅の記:2023年8月のツアー㉜林泉寺】 林泉寺は山号を春日山とする曹洞宗の寺院で、米沢藩上杉家、そして直江兼続の菩提寺です。山号が示すように、新潟県上越市は春日山城の麓にあったお寺ですが、慶長5年(1600年)関ケ原の戦いの後、米沢に移封になったときに上杉謙信の姉で、景勝の母でもある仙桃院が元和3年(1671年)に建立した。伽藍は元和5年(1619年)に完了、享保17年(1732年)の火災で大半が焼失したが、元文5年(1740年)に再建、現在に至る。「2023年7月のツ

          旅の記:2023年8月のツアー㉜林泉寺<上杉家・直江兼続菩提寺>(山形県米沢市)

          旅の記:2023年8月のツアー㉛上杉家廟所(山形県米沢市)

          【旅の記:2023年8月のツアー㉛上杉家廟所】 法音寺を過ぎると米沢藩歴代藩主の墓所である上杉家廟所があります。元和9年(1623年)に上杉景勝が亡くなると、現在の廟所に埋葬され、以後12代藩主までここに埋葬されることとなった。 明治に入ると廃城令によって米沢城は解体、本丸に上杉謙信の霊櫃を御堂を建立し安置していたが、謙信もまたこの廟所に移ることとなった。 春日山城で亡くなった謙信の霊櫃は春日山城不識庵にあったが、国替えによって会津へ移動、そして関ケ原の戦いのあと、米沢城に

          旅の記:2023年8月のツアー㉛上杉家廟所(山形県米沢市)

          旅の記:2023年8月のツアー㉚法音寺(山形県米沢市)

          【旅の記:2023年8月のツアー㉚法音寺】 法音寺は真言宗豊山派の寺院で山号を八海山、ご本尊は大日如来です。上杉家の菩提寺で、慶長6年(1601年)上杉景勝が会津、そして米沢に移封に伴い春日山城から米沢城二の丸に移転した。 明治3年(1870年)神仏分離により現在の地に移された。 もと天平9年(737年)越後八海山の麓に聖武天皇の勅命によって創建されたそうで、建久8年(1197年)には源頼朝の祈願寺にもなったという。 こちらには上杉謙信が春日山城の毘沙門堂を建立し、日々

          旅の記:2023年8月のツアー㉚法音寺(山形県米沢市)

          旅の記:2023年8月のツアー㉙藩校興譲館跡地(山形県米沢市)

          【旅の記:2023年8月のツアー㉙藩校興譲館跡地】 米沢城の城下町にある藩校・興譲館の跡地。もとは元禄10年(1697年)米沢藩4代藩主上杉綱憲が儒臣・矢尾板三印の邸宅に学問所を設け、藩士の教育を行ったことがはじまり。しかしその後、財政貧窮によって衰退してしまう。 明和4年(1767年)に9代藩主となった上杉治憲(鷹山)が藩校設立の必要性を説き、学問所に普請を加えて再建、安永5年(1776年)に落成した。入学生は上士が主だったが、才能があれば中・下士出身でも選ばれて入学する

          旅の記:2023年8月のツアー㉙藩校興譲館跡地(山形県米沢市)

          旅の記:2023年8月のツアー㉘白子神社(山形県米沢市)

          【旅の記:2023年8月のツアー㉘白子神社】 伝承では和銅5年(712年)の創建とされる白子神社。ご祭神は防火の神様・カグツチと農業の神様・ハニヤス。承和2年(932年)に出羽国国司・小野良春によって社殿が再建された。 暦仁元年(1238年)に出羽国置賜郡の領主で米沢城を築いたとされる長井時広が社殿を修理、置賜郡の総鎮守とされた。 以降、伊達氏・蒲生氏ら領主から崇敬を受け、上杉氏が米沢に入ってからも米沢総鎮守として大切にされた。慶長3年(1598年)には直江兼続が社殿を修

          旅の記:2023年8月のツアー㉘白子神社(山形県米沢市)

          旅の記:2023年8月のツアー㉗法泉寺(山形県米沢市)

          【旅の記:2023年8月のツアー㉗法泉寺】 上杉景勝を支えた重臣・直江兼続が1618年に創建した臨済宗の寺院。当初は禅林寺という名前だったそうです。 兼続は足利学校で学ばせいていた九山禅師を呼び寄せて、文書を集め「禅林文庫」という学問所を開設します。収集された蔵書は後に上杉鷹山が開設した興譲館へと受け継がれ、現在でも市立米沢図書館などに伝わって、貴重な文化財となっているそうです。 元禄三年(1690年)に2代米沢藩主・上杉定勝の三女・亀姫の法名(法泉院殿)をとり、寺名を法泉

          旅の記:2023年8月のツアー㉗法泉寺(山形県米沢市)

          旅の記:2023年8月のツアー㉖米沢城・松岬神社<鷹山>・上杉神社<謙信>(山形県米沢市)

          【旅の記:2023年8月のツアー㉖米沢城】 米沢に到着、一泊してライブまで朝から歴史探訪です。まずは米沢城から。 鎌倉時代中期の暦仁元年(1238年)に大江広元の次男・長井時広が築城したのが最初とされる。出羽国置賜軍長井郷の地頭として赴任してきた時広は地名から長井姓を名乗り、長井氏が150年近くこの地を治めた。 室町時代初期に伊達宗遠に侵略され長井氏に代わり伊達氏の支配下になる。天文17年(1548年)伊達晴宗は居城を桑折西山城から米沢城に移し、晴宗から輝宗、政宗の時代に本

          旅の記:2023年8月のツアー㉖米沢城・松岬神社<鷹山>・上杉神社<謙信>(山形県米沢市)

          旅の記:2023年8月のツアー㉕盛岡城(岩手県盛岡市)

          【旅の記:2023年8月のツアー㉕盛岡城】 平安時代末期から陸奥国北部に拠点を置き、勢力を広げていった南部氏。天正18年(1590年)第26代当主・信直は小田原に参陣し、豊臣秀吉に謁して領地を安堵された。よく天正19年に九戸政実の乱では豊臣秀次を総大将とした10万とも言われる奥州仕置軍の協力を得て政実を倒し、三戸城から政実の居城であった九戸城に本拠地を移した。しかし九戸の不便さを浅野長政に説かれ、不来方(盛岡)の地に移ることを決め整地を開始した。 慶長3年(1598年)信直

          旅の記:2023年8月のツアー㉕盛岡城(岩手県盛岡市)

          旅の記:2023年8月のツアー㉔櫻山神社(岩手県盛岡市)

          【旅の記:2023年8月のツアー㉔櫻山神社】 櫻山神社は盛岡城三の丸跡にある神社で、寛延2年(1749年)盛岡藩8代・南部利視が藩祖・信直をお祀りして盛岡城淡路丸に神殿を建立、淡路丸大明神として祀ったのがはじまり。 第11代・利敬が文化9年(1812年)に櫻山大明神と改称して、南部家初代・光行を合祀した。 戊辰戦争後、明治政府に盛岡城が接収されると明治4年(1871年)にご神体を妙泉寺に仮遷座、明治10年(1877年)に聖寿寺に社殿を造営して再遷座した。 明治23年、旧盛岡

          旅の記:2023年8月のツアー㉔櫻山神社(岩手県盛岡市)

          旅の記:2023年8月のツアー㉓住吉神社(岩手県盛岡市)

          【旅の記:2023年8月のツアー㉓住吉神社】 盛岡住吉神社は康平年間(1058年~1065年)に源頼義が阿部貞任討伐の命を受けた際に、大阪住吉大社から住吉三神(底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命・神功皇后)を勧請して岩手郡厨川村に奉祀したのがはじまりとされる。歴代の南部藩主の崇敬もあつく、寛政7年(1795年)に現在の地に遷座したそうです。 住吉さんは旅の神様です。ツアーの無事をお祈りさせていただきました。

          旅の記:2023年8月のツアー㉓住吉神社(岩手県盛岡市)

          旅の記:2023年8月のツアー㉒東禅寺<南部家墓所>(岩手県盛岡市)

          【旅の記:2023年8月のツアー㉒東禅寺】 建武年間(1334年~1336年)無尽和尚を開山として遠野市附馬牛に創建されたという東禅寺。盛岡南部氏の墓所のひとつ。山号を大宝山、曹洞宗の寺院です。この無尽和尚、ムジナから生まれたという伝説があるそうです。。 南部家13代守行が戦死した際に無尽和尚が焼香師となったことから、南部家との縁がはじまり、寛永12年盛岡藩2代・重直の時に盛岡城が完成すると遠野から移った。 九戸政実の乱の際に、九戸城内へ交渉に入り、降伏を勧めた薩天和尚。

          旅の記:2023年8月のツアー㉒東禅寺<南部家墓所>(岩手県盛岡市)

          旅の記:2023年8月のツアー㉑榊山稲荷神社(岩手県盛岡市)

          【2023年8月のツアー㉑榊山稲荷神社】 盛岡・聖寿寺の裏手にあります榊山稲荷神社は、慶長2年(1597年)に南部信直が盛岡城築城の際に城内に創建した。 祖先である源義光の時代から崇敬してきた「さかきやま稲荷大明神(豊受之大神)」を、藩と盛岡の街の総鎮守として祀ったそうです。 明治4年(1871年)に廃藩置県の影響で一度廃社となるが、昭和5年(1930年)に隠されていたご神体を北山の地に鎮座し、再建された。 境内には14ものお社があって、「もりおかかいうん神社」という異名も

          旅の記:2023年8月のツアー㉑榊山稲荷神社(岩手県盛岡市)