旅の記:2023年9月のツアー㊲富田八幡宮(島根県安来市)
【旅の記:2023年9月のツアー㊲富田八幡宮】
欽明天皇31年(570年)にオオクニヌシの分霊を勧請して創建されたという富田八幡宮。八幡宮なのにオオクニヌシ?
オオクニヌシが国造りの際に、船によってやってきた小さな神様・スクナヒコ。突然やってきて、助けてくれたのに、突然いなくなってしまって、途方に暮れるオオクニヌシ。その時、幸魂神が現れてオオクニヌシを救った場所が月山だった、ということで月山山頂に勝日高守神社を、山麓に勝日神社を創建した。ちなみにこの幸魂神(=オオモノヌシ)は三輪山に祀られ、大神神社になっていますね。さて、保元年間(1156~1159年)に藤原景清(平景清)が月山富田城を築く際に神社を遷すこととなり、城から矢を放って、刺さった場所を霊地として現在の地に遷座したそうです。それ以降、富田城の守護神として、歴代城主から崇敬を受け隆盛する。この間、誉田別尊の分霊を勧請合祀すると八幡信仰が盛んになって、八幡神社が中心的存在となったそうです。戦国時代は尼子氏が社領を安堵、天正3年(1575年)尼子氏に代わって富田城に入った毛利氏の毛利元秋が社殿を造営、慶長4年(1599年)には吉川広家が社殿の修復をしています。江戸時代は歴代の松江藩主である堀尾氏・京極氏・松平氏から社領を安堵され、松平氏には祈願所に定められた。その後、松江藩支藩の広瀬藩になってからも、藩主の祈願所として大切にされました。
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