慶長5年(1600)7月25日は石田三成挙兵を受け家康が小山評定を開いた日。福島正則は命をかけて戦うと誓い山内一豊は自らの城を差し出すと豊臣恩顧の武将が家康の味方を宣言した。これで他の諸将も追従し東軍が結束したとドラマでも描かれる逸話。実は東軍は豊臣恩顧の大名が多くを占めていた。
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