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小山の史跡を訪ねて

    今年のGWに栃木県小山市を訪れた。
 よくある地方の街並みを目にしながら市役所に向かった。幸いにも門は開放されていて、そのまま敷地内に車を乗り入れる。休日なので人影はない。目指すものは庁舎前広場の中央にあり、車を隅に止め、史跡と表示された石碑の前に降り立った。
 かつて小山は、歴史上に一日だけ地名を刻みつけている。なにがあったかは本や資料で知識は得られるが、一度は現地を歩いてみたいと思い立った。

史跡 小山評定跡(小山市役所)

 
 慶長五年(一六〇〇)七月二十四日、会津の上杉討伐に向かう途中の小山で、徳川家康は石田三成挙兵を報せる書状を受け取った。翌二十五日に仮御殿を急造し、諸将を集めて軍議を開いたと碑文にある。これを後世では「小山評定」という。
 評定の主な議題はただ一つ。
「このまま上杉討伐に向かうか、西に戻って三成を討つか」
 この評定での採決により、のちに天下分け目の合戦につながっていく。
 経緯をたどれば、小山が歴史的な舞台になったのは偶然のように見える。ただ家康の内心はどうだったのか。三成の挙兵を待っていたと言われ、これ以上は会津に近づきたくないが本心だったようだ。小山は時間的な都合により、家康に選ばれた地だったと言えるのではなかろうか。
 

史跡 関ケ原古戦場(岐阜県)


 一方で合戦が行われた関ケ原は早くから選ばれた地だった。大会戦が行われるにふさわしい条件が揃っていた。中山道、北国街道、伊勢街道が交わる交通の要衝で、人が集散しやすい。低い山に囲まれた盆地ながら東西4㎞、南北2㎞の田地の広がりがあり、京大坂も近い。双方が関ケ原を目指した。
 
 小山での滞在時間は三十分ほどだった。史跡の写真を撮り、碑文を読んで周辺を歩く。目を見張るような発見はなかったが、目的は果たせた。それで気が済んだのかと聞かれれば、「十分に」と答えられる。

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