指導のタイミングは今ではないと考えて、気付いてはいたけれど言っていなかったことを、いざ口に出そうというときに、その「気付いてはいたけれど、今でないと思って言っていなかったんだ」を伝えることは大事だと思います。「え、どうして今更言うの」という気持ちにさせることになってしまいます。
「知っている」と「できる」はちがう。「知っていてもできない」ことはよくある。自分の場合は、①知っていても行動するまでの壁が高い ②知っているけれど行動しない方が「都合がいい」。こんな気持ちに負けてしまうことがある。「できなさ」は受け入れて、少しずつよりよい方へいけるようにしたい。
「与えられたことをやる」ことの意義と「自分でつくっていく(余地がある)」の目的は全く違うのではないか。それならば、同じ学校行事に取り組んでいても、どちらに重きを置かれているかによって、子どもが身につける力は全く変わってくるのだと思う。
体調を崩して数日投稿できなかったのですが、体調を崩すと、健康のありがたみをひしひしと感じます。でも、それが続くと、それが当たり前になってありがたみを忘れてしまう。不思議です。
効率を求める働き方と、心を大切にした働き方の、どちらも大切なのだと思っています。多忙感や体力的な辛さは、効率によって解消される。そして、人間関係など人と人との関わりも大切にすることで、心の通った働き方ができるのだと思います。
子どもがしにきてくれる話に、目的があるとは思わない方がいい。モヤモヤやソワソワした気持ちをとりあえず聞いてほしい、と思って来ていることもある。「話す」「聞く」それ自体が目的のときだってあっていい。そんな気持ちでいると、心にゆとりをもって子どもの話に耳を傾けられるのかもしれない。