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児童・生徒指導㊲生徒指導における「曖昧さ」の大切さ2

昨日の記事で、生徒指導において「曖昧さ」に目を向ける必要性についてまとめました。

自分の中でもう少し、深掘りし、具体的に考えてみたくなったので、考えてみることにしました。

例えば、「廊下を走る」という行為について、その学校では「廊下は走らず、歩きましょう」というきまりがあるとします。

そこで、廊下を走っている子どもがいた場合、教師がきまりを「守っているか・守っていないか」という両極端な二択でしか物事を捉えられなかった場合、当然その子は「守っていない」ことになり、その子が廊下を落ち着いて歩けるようになるための指導を行うことになります。

また、逆に、廊下を歩いている子どもがいたときに、「きまりを守って落ち着いて歩いて移動しているね。」などと声を掛けるかもしれません。こちらの場合も、教師の中で「守っている・守っていない」のどちらになるか、判断し(無意識下のレベルですが)、そのような指導を行ったということになります。

このように、物事を両極端な二択で考えることによって、教師からすると、自分がどのような行動を起こすか決めやすくなるのではないかと思います。「守っていれば」、ほめたり、認めたり、肯定的な声を掛けようとし、「守っていなければ」、行動を改められるような指導をしよう、となるわけです。

しかし、物事はそう単純ではないことが多いです。

廊下の例であれば、安全面を考慮して事情はどうあれ、「走ることは、怪我の危険性につながるからやめるように」と指導をする必要があるかもしれません。しかし、もしかしたら、廊下を走っていた子にもやむを得ない事情があったのかもしれません。その子がその行動に至った文脈を考慮にいれずに指導をすることは適切ではないように思います。

他にも、宿題を「やっているか・やっていないか」の二択で判断することや、「やるのか・やらないのか」のどちらかを選択するような指導があります。しかし、取り組み方においては、その子の特性や学習に向かう姿勢、家庭の状況等を考慮に入れる必要があります。そして、取り組み方も分量や数を調整するなど、「やるか・やらないか」の間に無数の選択肢があります。

子どもの人間関係において、「仲良くするのか・しないのか」を迫るような問い掛けもあります。「近づく」のか「離れる」のか、以外にも人間関係には多くの付き合い方があります。相手が同じクラスなのか、他クラスなのか、他学年なのか、他校なのか等で、選択や判断は変わってくることでしょう。また、このような二者択一を投げかけるときに、教師が意図する方を選ぶように圧力をかけるために問い掛けているという場合もあるかもしれません。「仲良くできるの?できないの?」と問い掛けることによって、「仲良くできます。」という子どもの返答をはじめから期待しているのです。これはもはや、子どもが自己選択をするためではなく、教師が誘導するためにしていることになり、注意すべきことだと思います。

他にも両極端な二択を迫ってしまう場面はたくさんあるのではないでしょうか。いずれにしても、教師の都合で物事を両極端な二択にして子どもに選択を迫ることや端と端の間にある無数の「曖昧な」部分に目を向けるべきなのにできなかったということがないようにするべきであると思います。


ここまでお読みいただきありがとうございました。