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児童・生徒指導㉜あの選択をしたから

教師は日々、様々な選択を迫られる。同様に、子どもも学校生活の中で多くの選択をしている。


教師の選択

教師が迫られる選択は多くが子どもたちに関係することである。

授業準備では、どのような内容・展開にするか選択し、どのような発問をするか選択する。授業が始まれば、子どもたちの様子や反応を見ながら、展開の仕方を変え、説明の仕方を変え、発問の言葉の表現を少し変えたり大きく変えたりもする。子どもが意見を述べるような場面では、その言葉にどのように反応するか選択し、それをその後の展開にどのように生かすか選択する。発表の場面で子どもが言葉を発することができずにいるようなときには、待つのか、助言の声を掛けるのか、準備を整える時間をもう一度確保させるのかなど、次の行動をどうするかの選択を短時間に迫られる。

生徒指導は、子どもたちのよりよい成長を願って行われるべきであるが、例えば、人間関係に関わるトラブルが起きたときにどのように指導するかの選択で、子どもたちのその後は大きく変わっていくことになると思う。教師が導くべき部分と、子ども自身が選択する部分にどのように折り合いをつけるのか選択することは難しい。「あれは、こちらが決めることではなく、あの子自身が選択してよいことだったのではないか?」と後で思考を巡らせることもある。「自分はどうしたいのか?」「いつからその行動を起こしたいのか?」「どこで、だれと話をする場をもちたいのか?」「その子とどのような関係が築けることを望むのか?そのために何をするのか?」これらのことは、状況に応じて子どもに選択をさせることもできるだろう。

これらはほんの一部分であり、教師は往々にして瞬間的または短時間で選択を迫られ、指導をしていくことが多い。

よく考えなければならないことは、その教師の選択によって、子どものその後がどう変わるのかということである。「どう変わってしまうのか」と考えた方がよいかもしれない。教師の選択で、子どもをあらゆる方向に導いてしまうことができる。これはとても恐いことでもあるかもしれない。だからこそ、考えることなしに選択をしたり、させたりしてはいけないのだと感じる。

「子育てに正解はない」とよく言われる。学校教育においては、もちろん法的な根拠や指針等はあるが、ひとつひとつの場面でどのように子どもに接し、言葉をかけ、指導をするかの選択肢は無数にあり、正解は示されていない。

いずれにせよ教師は自分の選択が「正解だ」と決めつけることなく、考え続けることが必要なのだと思う。ついつい、自分の選択をただ一つの正解かのように思ってしまうことがないように心がけるべきであると思う。

子どもの姿

思い描くべきは、「その選択をしたことで、よりよい成長ができた子どもの姿」である。これには、教師がした選択によってということもあり、その子自身がした選択によってということもどちらの意味もある。

人は一日に多くの選択をする。もちろん、大小様々であり、意識もできないようなささいな選択もあるだろう。いずれ子どもたちは大人になり、学校という場を離れれば、自分で選択しなければならない場面が増える。

学校や学級では、子どもの安全・安心を確保したうえで、ひとつひとつの選択には、その子のよりよい成長が結果として表れることを目指す必要があるのだと思う。

教師は、子どもがよりよい選択をするためのサポーターでありたい。「あの選択をしたから、今の自分がいる」と子どもにとってのポジティブな未来につながることができるようにしていくことが大切なのだと思う。



ここまでお読みいただきありがとうございました。それでは。