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児童・生徒指導㊴行事における教師のマインド その1

学校行事が多い時期になりました。大きな学校行事には少なくとも1か月程度は準備や練習の期間を要すると思います。また、教科学習において、授業の行事化をすることによって、子どもたちの意欲を高め、主体性をもって取り組めるようにする実践も増えてきているのではないでしょうか。

そのようなある程度の準備・練習期間を要する行事において、教師はどのようなマインドでいればよいのでしょうか。大切なことが大きく2つあるのではないかと考えました。今回はそのうちの、1つについて考えをまとめてみました。

目的の一貫性

行事を成功させること自体が目的ではなく、その行事を通して「子どもたちに何を身に付けてほしいのか」「終わった後にどのような姿になっていてほしいのか」を確認することの大切さはよく取り上げられることと思います。運動会を例にすると、「運動会を通して、どのような力を身に付けるのか」「どのような学級になりたいか」などを教師と子どもたちとではじめに確認をすることは重要であると思います。

しかし、練習に取り組む中で、当初は子どもたちが上記のような力を身に付けていくことが目的であり、運動会自体は手段であったのが、いつの間にかそれらが逆転してしまっているという状況が起こり得ます。

運動会の種目や演技を「きちんとした態度で」「正しく」本番で行い、運動会を「成功させる」ことが目的となり、身に付けてほしい態度等が手段になってしまうのです。例えば、「協力し合う態度」「一生懸命やり抜く気持ち」「責任感」などの本来の目的が、「素晴らしい運動会を成立させるための手段」として語られてしまうのです。

「責任をもって係の仕事に取り組まないと、運動会が成り立たない」
「みんなで協力して取り組まないと、いい結果がでない」
「一生懸命練習しないと、素晴らしい演技ができない」など。

教師の中で「運動会を成功させなければ」という意識が強くなるあまり、準備・練習~本番~その後の振り返りを通して身に付けていってもらいたかった態度等が、それがないと運動会が成功しないという語られ方で手段化してしまうことがあるのではないでしょうか。

行事を通して、最終的に身に付いたり、気付いたりできればよかったはずのものが、途中で行事を成功させるために必要な要素のように語られてしまい、教師が語気を強めて指導するような形になってしまう。それならば、ふだんの教室で、協力や責任等の大切さを語ることと差がなくなってしまうかもしれません。

もちろん、準備・練習の段階で、「これは指導のタイミングだ」という場面があれば、このように教師から直接的に指導を行うことも必要です。ただし、そのときにも教師のマインドとしては、行事を成立させるために必要な要素としてそれらの態度等のことを伝えるのではなく、行事を通して身に付けていってほしいものであると、初心に立ち返るような語りであるべきなのではないかと思います。その時点では、言葉の意味上の理解にとどまっている子どもや周りの雰囲気に合わせて態度を改めている子どももいることと思いますが、それでいいのだと思います。最終的に行事が終わり、振り返る段階で、実感や体感を伴って目的が達成されることを見込んでいることが大切なのではないでしょうか。「そうか、確かに当初、この態度の目的について確認し合ったな」と子どもがリマインドできるよにし、もう一度そのことを心に留めて練習に取り組んだり、ふとした瞬間のその子の行動の選択・判断に生かされたりするような声掛けになることが大切なのではないでしょうか。

私自身、行事を成功させないといけないという責任や子どもたちが不用意に失敗しないようにという気持ちなどから、ついつい「行事の成功」というとろに重きをおいてしまい、それ自体が目的になってしまうことが多々ありました。しかし、教師の言うことについてこさせるだけのような声掛けで、子どもたちが本来の目的に近づけたかは疑問が残り、反省すべきところです。ときおり、目的に立ち返る意識をもつことはとても大切なことだと考えています。

ここまでお読みいただきありがとうございました。