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児童・生徒指導㊳「厳しい指導」への一考察

教育現場では、「厳しい指導」や「叱る」といったことについて、様々な考え方があります。今回は、「厳しい指導」について私の一考察をまとめてみました。


厳しさと優しさは同居する

よく「厳しい」先生か「優しい」先生か、なんて二択で語られることがありますが、私は「厳しさ」と「優しさ」は同居するものだと考えています。

指導においては、

「優しさ」は、相手の心や感情を考えて不適切に傷つけることがないようにすること。相手の受け取り方を考慮して物事を伝えたり、相手の立場が脅かされないように言葉を選んだりすることであると思います。

「厳しさ」は、相手、そして周囲の人々ががよりよく生きるために一貫性と毅然とした態度をもって向き合うこと。「相手、そして周囲の人々がよりよく生きるために」という視点が大切であり、これがなくなった場合、それは「厳しさ」ではなく、自己都合の指導や自分の欲望のための指導になると思います。

この両者が合わさったときに、「思いやり」になるのではないでしょうか。優しさ=思いやりのように語られることもありますが、私は「優しさ+厳しさ」が思いやりになるのではないかと考えています。

そして、難しいのは「優しさ」にも「厳しさ」にも、相手の立場という視点があることだと思います。指導する側に、その視点が抜け落ちてしまった場合、思いやりのある指導ではなくなってしまうのではないでしょうか。

「厳しさ」は相手が受け取る

「優しさ」を意識して子どもたちと接する先生方は多くいることと思います。そこに、「厳しさ」をもって接しようと考えたとたんに、「威圧する」とか「大声を張り上げる」という行為一択になってしまうことがあると思います。

ときに語気を強めて指導する必要がある場面もあることも否定はしません。しかし、それが=「厳しい指導」ではないと思っています。上記で述べたように、「相手、そして周囲の人々ががよりよく生きるために一貫性と毅然とした態度をもって向き合うこと」。ここが意識できていれば、必ずしも語気を強めることなく、「厳しい指導」を行うこともできます。

そして、毅然とした態度や一貫性は、相手が受け取って初めて意味があるものになります。子どもが「先生は一貫性をもって伝えようとしてくれている」とか「言葉に先生の強い気持ちを感じる」などと感じ、そこに「優しさ」も同居しているときに、子どもたちは「思いやりのある指導」と感じられるのだと思います。



非常に難しいテーマのため、様々な考え方あることと思いますが、いずれにしても、指導をする側には「相手=子どもたち」の受け取り方や視点というものを忘れてはならないのだと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。