#バンド
10年やっても、コロナ禍を経ても、家庭と仕事をもちながらでも、音楽を続けていくことについて
どうやっても振り切れない悲しみを、それならばいっそ抱いて歩いていかなければならないのが人生だとしたら、音楽はそこに寄り添って共に歩いていこうとしてくれる。
2021年までを抜けてきた2022年の今、とてもはっきりと思うのは、そんな音楽を作って人に聴かせようとすることに幸せがあるということです。
こう思うようになったのは、コロナ禍で窮地に追い込まれた人たちの苦悩を目の当たりにしたり、自分の家族や
未来は今の連続の先でしかないことを忘れずにいたい
新年あけまして おめでとうございます!
昨年はいろいろな形で応援してくださった皆さんに支えられて、生かされていることを実感し尽くした年でした。ここを通して改めてありがとうと伝えさせてください。
今年は蓄えた力を放つ年。焦らずじっくり頑張ります!これからも応援よろしくお願いします!
今のライブ会場と、そこに集まる人たち(美談したいわけではない)
名古屋 吹上 ライブスペース鑪ら場。どうしたらインターネットの向こうの人に、生のライブ体験のよさや自分の曲の良さが伝わるのか考えてる。
いい曲を書いて歌っていれば、お客さんが自然と寄ってきてくれる。そんな夢みたいな憧れを、僕はもうもっていないよ。
いい曲を書いて、歌って、なんやかんやいろいろやることが大事。100個くらいあるんだけど、その中で1番ちゃんとそのもののあり様が伝わるのがライブ。
今、音楽に必要だったもの
ライブを全部観てくれた人に向けて書きます。最初から最後まで観てくれて本当にありがとうございました。そういう人がいてくれることが、僕は主催者として一番嬉しいです。
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僕が考えていたことは3つで、1つは観てくれる人にこの音楽配信ライブを楽しんでもらえるものにするということ。2つ目に、出演者にこの日を楽しんでもらえるものにする。3つ目に、音のことはMr
僕らがライブハウスでしか得られなかったもの
それは、爆音のことじゃないし、臨場感のことじゃない。そうじゃなくてそれは、家族でも友だちでも職場の人でもないただライブが好きな人たちと過ごす居場所のことなんだって思った。
人生は波に乗って歩けばいつもありふれてしまうけれど、本当に好きなものを好きな人たちで集まって楽しむだけで、ちゃんと元いる平日の明日へ還って行ける気がした。
人生は波に乗れずに溺れては苦しいけれど、限られた好きな場所に身をもた
音楽ライブのこれからを眺めて -フジロックの延期を受けて-
ライブ会場は満員になってこそだった。たくさんの人が集まる景色はアーティストから見てもお客として見ても気持ちよくそれだけで価値のあるものだった。
その価値は、少なくともここ1年は変わることになる。新型コロナウイルスの特効薬が人々の手に行き渡るようになるまでなのか。もしくは、そうなる頃には社会全体の空気や慣習が変わってしまっていたとしたら、たくさんの人が密集する価値は最悪必然的になくなるのかもしれな