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これは他所の国の話ではない。 『家族を想うとき』 を観て思うこと

イギリスの中のブータンみたいな街です。
学生時代に10ヶ月留学していた、イングランド北部の街・ニューカッスル。
どんなところ?と聞かれるたびに、こんな風に説明していた。

欧州委員会が調査した「ヨーロッパの幸せな街ランキング」で英国の都市で唯一のトップ10入りを果たし、フレンドリーな街として挙げられることも多いこの街は、私にとって特別な場所だ。
(ちなみに、2019年の世界幸福度ランキングは、フィンランドが2年連続でトップのため、ブータンではなかった。)


初めての長期海外滞在、初めての一人暮らし、自炊生活を経験した場所であり、長く付き合った大切な人と出会った場所でもある。

日本からだと直行便がなく、ロンドンかドバイで乗り換えて訪れる人が多い。
この記事のヘッダー写真はニューカッスルの一押しスポットで撮ったお気に入りの一枚なのだが、その美しさは伝わるだろうか。


ニューカッスルは強烈な文化的アイデンティティを持つ街だ。
サッカーチームは強豪とは言えないけれど、熱狂的な地元ファンが多く、
”ジョーディー”と呼ばれる独特のアクセントは聞き取りがあまりにも難しくて困り果てたことが何度あったことか。
街を意味する”Town”はジョーディーで”Toon”というのだが、もう全くの別言語に近い。

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そんなニューカッスルを舞台にした映画、『家族を想うとき』が公開されると知り、年末に駆け込みで鑑賞してきた。
『わたしは、ダニエル・ブレイク』でも知られるケン・ローチ監督の最新作だ。

【あらすじ】
イギリス、ニューカッスルに住むリッキーは、ゼロ時間契約(※)の配達ドライバーで、「個人事業主」。
パートタイムの介護福祉士として働く妻のアビーと共に、夢のマイホーム購入のため、懸命に働きつづけていた。
しかし、家族を幸せにするはずの仕事は、家族と過ごす時間を奪い、2人の子供たちは寂しい想いを募らせてゆく。
そして、様々な出来事が起こり、リッキーとその家族を取り巻く環境は悲惨になるがー。
(※)近年イギリスで社会問題となっている「ゼロ時間契約」は、週あたりの労働時間が明記されない形で結ばれる雇用契約を指す。
労働者は雇用主が必要とする時間のみ就労し、報酬は就労時間に対してのみ支払われる。
この映画では、宅配事業を行う際に必要となる車両費等はリッキーが負担しなければならない上に、あくまで個人事業主扱いとなるため、
社会保障も受けることができず、あらゆるリスクは個人事業主であるリッキーに帰属してしまう。


勝つのも負けるのもすべて自分次第だ
物語の初盤に、配送会社の責任者・マロニーは残酷な現実を突きつける。


この映画を鑑賞して、印象的だったことが3つある。

・貧困層ではなく、労働者階級の話であること
・それぞれが家族を想い、悪意ではなく善かれと思って行動していること
・「自分たちだけではない」と理不尽さを半ば受容していること

主人公のリッキーとその家族は、貧困層ではなく一般的な労働者階級に属する。

贅沢をするためでも、自分の欲を満たすためでもなく、ただ家族が慎ましくとも幸せに暮らせることを願い、”勝利“を夢見て必死に働き続ける。
しかし蟻地獄のような搾取システムは次第に彼らを苦しめ、追い詰めてゆく。


劇中で、写真を手に過去を振り返る場面がある。
10年ほど前の金融危機で取引銀行が破綻し、
それまで払っていた住宅ローンが泡の如く消えたこと、その頃リッキーが建設作業員としての職を失ったことを語るとき、
妻・アビーは”自分たちだけじゃなく多くの人が同様だった”と言及する。

社会のシステムに理不尽さと憤りを感じつつも、
同じ苦しさを抱えるのは自分だけではない」という諦めのようなものが根底に感じられて苦しいのは、私だけだろうか。


英国人ジャーナリストによるゼロ時間契約労働についてのルポタージュで『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した』という本がある。

そこでは「自由」という名の欺瞞、
残酷なまでの個別化
あらゆる行動が監視、追跡、記録され、まるで”電子式パノプティコン”と言える管理システム、
誇りの源ではなく尊厳と人間性を奪う容赦ない攻撃としての”仕事”の姿が述べられる。


まさに本作のリッキーを取り巻く過酷な環境が、
今この瞬間も多くの人々の現実として存在していると突き付けられる。


この映画の中で、ニューカッスルの美しく代表的なスポットはほぼ出てこない。
妻のアビーが介護訪問先のお年寄りに見せる、
幸せな過去の家族写真の中で見つけられるのが唯一だ。

英国の中でも「幸福度が高い」と見なされるニューカッスルを舞台として選んだのは、
リッキーの物語は、貧困地域のみならず、イギリス全土ならびに資本主義国家で起こりうる話だと、伝えたかったからではないだろうか。

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日本にはゼロ時間契約という形態はないので安心、という認識は誤りだろう。
コンビニエンスストアなどでフランチャイズ経営は存在するし、終身雇用制度の綻びが明らかになり始めた今、リスクの個人への帰属は加速していくと予想できる。
これは 「他所の国の話」ではない。


人並みの生活に見合った努力をしていないから貧しいのだ」と、貧しさを自己責任論だけで片付けてしまうのは簡単だ。

しかし、働いても、努力しても抜け出せない蟻地獄がこの社会に確かに存在することを、私たちは認識しなければならない。
あらゆる場所に存在する蟻地獄の穴を埋めるには、社会構造を変化させる必要があるだろう。

どのように、そしてどうやって変化させるか
それを考え、議論し、行動を起こすために、今自分ができることは何か。
私は自問自答し続けている。


最後に、ケン・ローチ氏のインタビューでの言葉を紹介したい。

「1日14時間、くたくたになるまで働いているバンのドライバーを介して買った物を手に入れるということが、持続可能なシステムなのか?
友人や家族の関係性までに影響を及ぼしてしまうほどの、プレッシャーのもとで人々が働き、人生を狭めるような世界を、私たちは望んでいるのだろうか?

資本主義のシステムは、金を儲けることが目的で、労働者の生活の質には関係がない。ごく普通の家族が、ワーキング・プアに追い込まれてしまう。
だから登場人物に共感し、彼らと共に笑い、彼らの問題を自分ごとのように感じて欲しい」


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