にごった

言葉がすき。人がすき。旅がすき。 何気ない日常のきらめきを記憶に留めておきたい、26歳…

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言葉がすき。人がすき。旅がすき。 何気ない日常のきらめきを記憶に留めておきたい、26歳オフィスワーカー。大学院進学を目指して勉強中。読書記録はTwitterにて。

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「大丈夫じゃない」と伝えることすらできないとき

一時期、私は心身共に弱りきっていた。 理由については割愛するが、 「大丈夫」か「大丈夫じゃない」の二択で言えば、間違いなく大丈夫ではなかった。 付き合いの悪さに加えて、度重なるドタキャン、ついには音信不通の有様。 心も身体も衰弱していく様は、顔を合わせていなくても伝わるものらしい。 『大丈夫?』『無理しないでね』『話なら聞くからね』 本当にありがたいことに、多くの人たちからメッセージをいただいた。 一度だけの人もいれば、何度か連絡をくれる人まで、様々だった。 だけど、

    • 目の調子が悪い私は、 再びnoteを書くことにした

      もう何ヶ月も、目の調子が悪い。しかも片目だけ。 ものもらいが再発を繰り返していた上に、軽度のウィルス性結膜炎になっていたので、もともとコンディションは良くなかった。 それに加えて、昨年は体調を壊して入院したのがまずかったらしい。身体の免疫力が急降下し、腫れ上がった目はなかなか治らない。 複数の眼科で、「腫れが引くまではできるだけコンタクトレンズの着用は避けなさい」と言われたこともあり、仕事など外出するときはだいたい裸眼で過ごしている。 メガネをかければ良い話なのだけど、

      • 「今の私は何かがおかしい」って、 もう少し言わせてもらうことにした

        どうやら、適応障害が再発したらしい。 深夜2:30、モンキー47のドライジンを片手に良い気持ちでこのエッセイを書いている。 (良い気持ちで書くトピックなのかというのは疑問だけれど) 別に気合を入れて書く必要はないのだけど、ここまで気合を入れずに書いたnoteは初めてかもしれない。 ◇ 以前、適応障害と診断されたときの話を(真面目に)noteに書いた。 適応障害はうつ病等とは違って、ストレスの原因が明確な分、ストレスから離れたり、折り合いが付けられる(適応できる)ように

        • 誰かの苦しさに、 心に、 寄り添うことは難しいけれど

          才能や美しさ、お金や社会的成功。 多くの人が欲しいと願うものを手に入れても、精神的充足感を得られるとは限らない。 心から寄り添ってくれる誰かが、 たった1人でも良いから生きる支えになるような人が果たして存在していたのだろうか。 もし存在していたら、結果は違っていたのか。 あるいは一緒だったのだろうか。 ◇ テラスハウスに出演していた木村花さんのインスタグラムを目にした。 最後の投稿は『愛してる、楽しく長生きしてね。ごめんね。』 どんな思いで最後にその言葉を投稿したの

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        「大丈夫じゃない」と伝えることすらできないとき

          人を憂えることを“優しい”というならば

          『人生は私にはとても重いのに、あなたにはごく軽いのね。私、その軽さに耐えられないの』 ◇ もしかしてその絵、トルストイになりかけた犬?という問いかけにこくりと頷く。 ”トルストイ” と名付けらそうになった犬・カレーニンが表紙を飾るのは、ミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」だ。 本作は映画化もされており、冒頭の文章はそこから引用している。 学生時代、表面をなぞるようにあっさりと読み終えたその本を、何度も読み返すようになったのは、つい最近のことだ。 学生時代

          人を憂えることを“優しい”というならば

          取り返せなくとも、 せめて、 日々を無事に過ごせるように。

          例に漏れず「まさか自分が」と思った。 同時にやっぱりそうか、とも。 複数の医師に下された診断は「適応障害」。そしてそれに伴う抑うつ気分および不安症状。 今後の経過次第ではうつ病という診断になるかもしれません、そう言われたあの日を今でもはっきり覚えている。 帰り道、人混みの電車に乗ってすぐに下車した。振動が身体に響いて、吐いてしまいそうだった。 結局、満員電車では帰ることができず、かといって人気の多いカフェなどで待てる気もしなくて、公園のベンチにぼんやり座っていた。 つい

          取り返せなくとも、 せめて、 日々を無事に過ごせるように。

          フランスでしか買えない 「ロシアン・アールグレイ」

          結構、お茶がすきな方だと思う。 紅茶、緑茶、玄米茶、ほうじ茶、麦茶、烏龍茶、ルイボスティー、ジャスミンティー、マテ茶、コーン茶・・・ あらゆる種類のお茶を自宅に常備しているし、 考えてみると、お土産やちょっとしたプレゼントなどでいただくものの8割はお茶な気がしている。 香水も、爽やかな紅茶の香りを彷彿させるミラーハリスのティートニックを数年愛用しているくらいにはお茶に目がない。 * ちょうど先日も、知人から出張土産としてフランスでしか手に入らない紅茶をいただいた。

          フランスでしか買えない 「ロシアン・アールグレイ」

          書けない日を、 書けない感情を、 書けない暗闇を、 わたしは忘れない

          「受付は17:45までなんですよ。ごめんなさいね。明日また診察にいらしてくださいね。」 少し申し訳なさそうに微笑む受付女性の視線を追うと、17:48という時計の表示が見えた。 大丈夫です。また、来ます。そう言って今さっき通ったばかりの病院のドアをくぐる。 仕方がない。 17:45が最終受付であることはホームページにも記載されているし、遅れたのは私なのだから。 ただ、何だか上手くいかないなとため息が漏れた。 そういえば前にも、似たような感情を抱いたこと思い出した。 誰の

          書けない日を、 書けない感情を、 書けない暗闇を、 わたしは忘れない

          正解は1つではないことを知っている人はしあわせ

          ふらりと訪れた図書館で、カウンターに鎮座した日めくりカレンダーを目にした。 水彩画と共に描かれた言葉は「正解は1つではないことを知っている人は幸せ」。 最近さまざまな場面で「何が正解か」ということを考えることが多く、疲れていたのだろう。 その一言に少し救われる、そんな気がした。 * 先日まで、1週間ほど休みを取ってニューヨークを旅行していた。 旅は、大きく2種類あると思っている。 「土地や景観、文化」を楽しむ旅と、「人」に会う旅。 この2つは不可分的な要素もあって、

          正解は1つではないことを知っている人はしあわせ

          人に恵まれていても、 そうではなくても。

          『3月のライオン』という将棋を題材とした漫画をご存知だろうか。 ここで詳しい紹介はしないが、 公式サイトによれば「様々な人物が何かを取り戻していく、優しい物語」である。 私はとにかくこの作品がすきだ。 なんだか疲れたなと感じるときに読み返すと、 生きること、一生懸命になること、努力すること、自分や他者を信じることへの希望が湧き、もう少し踏ん張ってみようという気持ちになる。 魅力は本編だけに留まらない。 本作の監修者、プロ棋士の先崎学九段のコラムは大変面白く、いつも楽しみに

          人に恵まれていても、 そうではなくても。

          心の中で君の手をにぎる。 近く、また。

          某日、ゴッホ展を目当てに上野の森美術館へ足を運んだ。 27歳ではじめて画家を志し、37歳で自ら命を断ったゴッホは、短い生涯の中で弟テオに宛て多くの手紙を書き送ったという。 そんな彼が送った手紙の中ですきな一節がある。 「心の中で君の手を握る。近くまた。」(テオ宛 第559信)だ。 * あるときまで、すごく仲の良い友人がいた。 学生時代にひょんなことから知り合った彼女と私はすぐに意気投合した。 コーヒーを片手に共に卒論を書いた朝もあれば、 文学やファッションついて議論を

          心の中で君の手をにぎる。 近く、また。

          受けとる準備をする、 届けられようとする声のために。

          「すいません、ちょっと手伝ってくれませんか?」 1月2日。ぶらりと歩いていた初売り真っ最中のデパートで、声をかけられた。 声の主は、車椅子に乗った初老の女性。 「車椅子の背のところに鞄があるでしょう。その中に上着を入れてくれないかしら。」 そう言って差し出されたのは腰より少しだけ長めのダウンジャケットだった。 暖房が効いたデパートの中で着るのは暑い。 しかしボリュームのあるダウンジャケットを膝にかけると、車椅子の操作が困難になる。 車椅子の背にかけてある鞄に上着をし

          受けとる準備をする、 届けられようとする声のために。

          「あのころの感性が、今のわたしを育てた」 と4年後わたしは言えるだろうか

          「ぼくはね、太宰やドストエフスキーを貪り読んだ、10代のあの頃の少し尖った感性を失ってしまった」 その人はそうぽつりと呟いた。 わたしはもう26歳で10代ではないけれど、 後から失ったことを寂しく感じるような感性を、少しは持ち合わせているのだろうか。 * 2019年12月30日。 世間より一足遅れて仕事納めを迎えた。 私の仕事は「AIや機械への置き換えが可能な事柄を探すこと」だと考えている。 いろんな業務に携わっているのだけど、根底で共通しているのはそういう

          「あのころの感性が、今のわたしを育てた」 と4年後わたしは言えるだろうか

          これは他所の国の話ではない。 『家族を想うとき』 を観て思うこと

          「イギリスの中のブータンみたいな街です。」 学生時代に10ヶ月留学していた、イングランド北部の街・ニューカッスル。 どんなところ?と聞かれるたびに、こんな風に説明していた。 欧州委員会が調査した「ヨーロッパの幸せな街ランキング」で英国の都市で唯一のトップ10入りを果たし、フレンドリーな街として挙げられることも多いこの街は、私にとって特別な場所だ。 (ちなみに、2019年の世界幸福度ランキングは、フィンランドが2年連続でトップのため、ブータンではなかった。) 初めての長期海

          これは他所の国の話ではない。 『家族を想うとき』 を観て思うこと

          ジム選びはムズカシイ

          本日、ジムを退会した。 1ヶ月に1回しか通わない月もあれば、週5で通う月もある、という波のあるジムライフも、早6年目。 「ジム通いが趣味です」とはとても言えないけれど、 自分が自分を好きだと感じられる身体づくり、基礎体力の向上、そして何より純粋に楽しさが融合して、飽き性の私でも細く長く続いている。 しかし少し前から生活エリアが変わったので、今契約しているジムは来月いっぱいで退会することにした。 遥々訪れたわりに手続きはあっけないほど簡単で、3分ほどで全てを終えてしまった。

          ジム選びはムズカシイ

          あなたの涙に、私は祈ることしかできないけれど

          2019年を振り返ると、人生でこんなに涙を流したことはないというくらい泣いたと思う。 今年は、これまでで最も嬉しかったことも、想像すらしないほど悲しい出来事もあった。人の死に触れる機会も、多かった。 いろいろなもののために泣いた。 家族のため、友人のため、自分のため、見知らぬ人のために枕を濡らした日もあれば、社会の理不尽なあり方に涙がこぼれることもあった。 感謝の気持ちが止めどなく溢れる日も、世界の美しさに心打たれる日もあれば、 やり場のない憤り、虚しさ、悲しみを胸に、何

          あなたの涙に、私は祈ることしかできないけれど