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373.文章を紡ぐことがメンタル安定剤

遡ると、中学二年生の頃から、僕は文章を書いてきました。

当時はただ思いついた物語を書き殴るだけの、アウトプットというより感情の吐露に近い文章表現でした。

語彙も表現力も、文章を書く力も何もなかった頃は、ある意味でとても自由だったような気がします。

今では恥ずかしくてなかなか読み返せません。
ケータイ小説黎明期だったので、まだネットには残ってるんだよなぁ。

さて、その頃からいくつもの物語を書いてきました。
中学二年生から卒業するまでに長編(10万字以上)を二作品、高校でも長編二作品、大学では中編(5万字前後)を二作品と長編を二作品。懐かしい。

社会人になってからは、ファンタジー長編を一作品と、完結間際まで書いた青春長編が一作品。

ブランディングやライティングの勉強を三年前ほどに始め、2021年は300記事、2022年は200記事ほど書いてきました。

あとは五年半ほど前から毎日、日記のような文章も短いながら書き続けています。

書くことの意味は変遷してきました。

学生の頃は、単に自分の中にある世界を表現したかったから。
欲を満たすような感覚で、拙いながらも文章表現にこだわり、日々頭の中の想いを言葉に変えて、編み物のように紡いできました。

社会人になってから、あわよくば世間に自分の小説を届けるとしたら、とより小説のインプットも増やし、商用と自己陶酔の間を突く作品を届けようと孤軍奮闘していました。

出会う人も仕事も生活環境も、新卒の頃より大きく変わった今となっても、まだ書く意味は増えたり減ったり、自分で決めたりしています。

二年前は、ブランディングが必要だからという将来に向けての必要性が大きな原動力でした。
おかげでnoteをこうして続けるようになっています。

今となっては、ブランディングというよりは自己の発信を目的に文章を書いています。

僕の体験や学んだことや考え方、未来や過去、主に世界に自分を発信して、何かにつながるかもしれない撒き餌をあちこちに仕掛けています。

あとは、最近の文章を書く目的に、自分のメンタルの安定というのが加わりました。

書いていると、自分の頭の中が整理され、言いたいことをこうして回りくどく表現を通して記し、こんな経験をしていたと来年思い返している自分を想像して、よし頑張ろう、と自分で自分を奮起するように書いています。

自己満足といっても過言ではないかもしれません。

でも、こうして書くことは心を落ち着けることにつながっていて。

文章をただ書いていた初期とは違って、今の自分が納得のいく表現と文章で発信していて。

もしかしたら何にもならないかもしれないし、この時間は一円にもならないかもしれない。

ただ、無駄ではない。

そんなエゴの塊のような文章も、このnoteに書いていくことが増えると思う。

学びや気付きや、誰かの記事紹介もする。

自分の思うことも、たくさんたくさん発信する。
言葉にする。
文章にする。
表現する。

意味は、そのときに変わる。

継続しているから、わかること。

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