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戦争から災害まで、国境を超えあらゆる緊急事態に駆けつける無給のドクターがいることを知っていますか?


こんにちは。編集長のOです。
今日は9/24発売の注目のノンフィクション『野戦のドクター 戦争、災害、感染症と闘いつづけた不屈の医師の全記録』(トニー・レドモンド著/不二淑子訳)をご紹介します。


本書は、緊急医療支援の世界的レジェンドである一人の医師の貴重な手記であると同時に、死と隣り合わせの極限状態で交錯する絶望と希望、人々の姿が綴られた壮絶なドキュメンタリーです。
カバーのそでに、

2020年1月、「Covid-19」の最初の2例が英国で確認された。それから2ヵ月もしないうちに、患者数が急増。急速な医療崩壊が懸念され、急遽、緊急の「野戦病院」が全国に設置された。私たちは650床の病院を一から開設し、スタッフを配置し、わずか2週間で患者を迎え入れた。
しかしながら、それは私が開設した初めての野戦病院ではなかった――

とあるように、著者トニー・レドモンド医師は、ボスニア内戦、クルド人難民キャンプから、スマトラ島沖地震、パンアメリカン航空爆破事件、新型コロナウイルスに至るまで、30年以上にわたり世界中の緊急医療の最前線に立ち、救急救命に従事してきた人物。

政府や組織からの独立・中立をモットーに、出動依頼があれば危険地帯にまっさきに飛び込む猛者であり、毒にあてられ重い後遺症を患ってなお還暦過ぎまで第一線で命を救ってきた不屈のお医者さんです。

なんだかイギリスにすごい医者がいるな――
それが、ハーパーコリンズUKから送られてきたプロポーザル(あらすじや概要、著者情報などをまとめた企画書のような資料)を読んだときの第一印象。すぐに原稿を取り寄せ、翻訳者の不二淑子さんに読んでもらったのですが、シノプシス(原書を読み込んでまとめてもらったリポート。日本語版を出版するか決めるうえで超重要な存在)にあったこの最後の1行に、心鷲づかみにされました

『前線(*FRONTLINE)』というタイトルに偽りなしだった。著者があまりにすごい人なので驚いた。ボランティアで命をかけて医療支援を行なう善意と勇気はもちろんだが、政治・外交分野の人々との交渉、新たな仕組みの提案、現地人との交渉など、長いものに巻かれずに折衝を続ける政治的能力にも長けているところがまたすごい。現地の惨状に心を痛め、ときには帰国後に心身の調子を崩しながらも、諦めず、希望を失わずにとにかく続けていく不屈の精神。正真正銘の偉人だ。

プロの翻訳者さんにリーディングをお願いした結果、絶賛が返ってくるのは20作に1作あればよいぐらいでしょうか。
しかし、その1作はたいてい掛け値なしに面白い本です。
実際、それから数ヶ月後に届いた翻訳原稿を読んで思い浮かんだ言葉はまさに「不屈の精神にして、正真正銘の偉人」。不二さんの言ったとおりでした。

百聞は一読にしかず。
ということで印象的な場面を2つほど抜粋(一部中略)してみます。

早朝、私たちのチームはホールに集まり、警察幹部の話を聞いた。その幹部は清潔でしっかり睡眠をとったすっきりした顔をして、皮肉ではなく、私たちに言った。「ほんとうの仕事はこれから始まる。君たちは世界中の注目を浴びることになるだろう」。そして、これは犯罪捜査だと念を押した。すべての死体はそのままの状態にしておくこと。タグと番号はつけてもいいが、動かしてはならない。屋根の上に、丘の上に、町じゅうに散らばった死体を、朝日が次第に明るく照らしはじめるなか、その言葉はずっと私の頭から離れなかった。町の住民が丘を見あげるところを、この町が世界の報道機関を招き寄せるかがり火となるところを想像した。
だから、私たちは乗客の女性の遺体を屋根から降ろした。通りを歩いて戻っていると、ラジオ局の記者が頼んでもいないのに、マイクを顔に突きつけてきて「今まであなたが見たなかで最悪のものは?」と言った。「あんたたちだ」と私は答えた。それが放送されることはなかった。
 ロッカビーの住民は苦難に見舞われた。空から飛行機が落ちてきて、隣人を殺し、町を永遠に変えた。そうした突然の恐怖に見舞われると、人は強引に正常さを求めようとする。恐怖を排除し、災害の数秒前までの生活に戻すために。ある男性は、大勢の報道陣や救助隊員をかき分けて、地元の店のドアを叩いた。「なぜ開いてないんだ? 牛乳と朝刊が必要なのに!」彼はすでに一面のニュースを知っていたが、日常を求めて叫んでいたのだ。
1ヵ月たたないうちに、私の人生は一変した。夜は死体の山のなかで窒息する夢を見て目が覚めた。恐怖のあまり汗をかいていた。目撃した惨状と耐えがたい悲しみが濃い霧のようにまとわりつき、体を動かすことも何かを考えることもできずにいた。

 選ばなければならないことはわかっていた。二度と緊急支援はしないと決意し、記憶を葬り去り、すべてを忘れて、自分自身と家族を守るか。あるいは、緊急支援をライフワークにして、適切に行なうか。良くも悪くも、私は後者を選んだ。

第3章:もっとも過酷な1ヵ月 より(パンアメリカン航空爆破事件 1988年)

明け方、ザグレブに到着した。私はホテルのロビーで外務・英連邦省の代表だという人物に出迎えられ、「なぜあなたたちがここに来ているのかわからない」と言われた。しゃれたサファリスーツを身にまとったその男によれば、「外務省は、現地入りした赤十字国際委員会から、サラエボには〝世界レベル〞の病院とスタッフが揃っていると報告を受けた」のだという。
海外開発庁の担当者に電話したところ、外務省の担当者は無視して、その日のうちにサラエボに向かう準備をするようにとアドバイスされた。空港に到着すると、飛行機はすでにタキシング中で、私たちの搭乗手続き書類は官僚の不手際か怠慢による不備で却下されていた。私はサファリスーツを着た友人の策略ではないかと疑った。疑念を深めたのは、乗るはずだった飛行機が離陸した直後に、彼が上ポケットから紛失したはずの搭乗許可証を取りだしたときだった。
しかし、まだ完全に道が閉ざされたわけではなかった。ユニセフで働くイタリア人小児科医から、声をかけられた。彼はサファリスーツの不正行為を目撃しており、医師同士連帯して、私たちがイタリア機に搭乗できるように協力すると申し出てくれたのだ。
イタリア空軍機のクルーは公的な書類を持たない私たちを受け入れ、〝透明人間〞と呼んで大歓迎してくれた。サラエボ空港に着陸するとき、イタリア機はミサイル攻撃を避けるための急降下着陸――私が事前に説明を受け、のちに何度も経験した着陸方法――をしないで、通常の緩やかな着陸をしているように感じた。
6週間後、その空軍機は撃墜され、新しく知り合ったイタリアの友人たちも殺害された。機体の残骸は、アンコーナ空港のモニュメントになった。私はサラエボ紛争末期の数年間、たいていアンコーナ空港を経由してサラエボに出入りした。空港に立ち寄ったときは、かならずそのモニュメントのまえで足を止めて敬意を表し、彼らの勇気や温かさ、優しさを思いだした。

第4章:包囲された街 より(サラエボ 1992年)

ほんの一部ではありますが、いかがでしたか?
目を背けたくなるような悲劇の最前線へ駆けつけ、時に銃弾が飛び交うなか治療し、時に一触即発の地域の権力者と交渉し、時に国際政治のパワーゲームに巻き込まれ、時に命を狙われ……著者はまさに「超人」と呼びたくなるバイタリティの持ち主。しかし、極限状態で起きるのは予測不能なことばかり。決して綺麗ごとだけでは通用しません
そうした事態に直面しながら、怒りや弱さを時ににじませる著者トニー先生の人間らしさが、本書にさらなるリアリティをもたらし、信じがたいような出来事の数々を読む者にぐっと身近に感じさせます。

平常時は病院のドクターとして勤務しつつ、要請があれば無給で最前線へ駆けつける。命を落とした仲間もいる。死亡記事を書くために記者に取材されたこともある。
正直「なぜそこまでやるのか?」と思わずにいられなかったのですが、その答えは、本書の「はじめに」にありました。
海外ノンフィクションでは、著者の人となりやバイオグラフィー的な内容が本のテーマとは関係なく盛り込まれることが少なくないのですが、本書もその例に漏れず、冒頭でトニー先生の幼少期、家族の話が語られます。
もしかすると、日本にはなじみない出来事や地名にとっつきにくいと思う読者もいるかもしれません。そういった方は、まずは「はじめに」を飛ばして1章から読んでいただいても大丈夫です。
でも。もし最後まで読んだら、ぜひ遡ってはじめのページを開いてみてください。ああ、そうだったのか。そんなふうに感じてもらえたら嬉しいです。

***

「人道支援を通じて偽善者と言われることもある。それでも、シニシズム(冷笑)は何も生み出さず、何もしないことを正当化しようとする」――とトニー先生は語ります。
綺麗ごとでも感動秘話でもない、緊急医療現場のリアルが全編に貫かれた本書。正解が見えなくても行動することに意味があるというメッセージは、国や性別、年齢を問わず今を生きるあらゆる人々に大事なことを問いかけてきます。

「あのとき現場ではなにが起こっていたのか?」
「悲劇や修羅場のなか人々はどう動くのか」

歴史的出来事の裏側を通じて「人間のあり方」を知る意味でも価値ある作品。コロナ禍、ウクライナ/ロシア戦争など混沌としたニュースが続くいまだから読みたい、魂の1冊です。

最後になりましたが、本書の医療用語については、広島大学の公衆衛生学の久保達彦教授にお世話になりました。
久保先生は、著者トニー先生の知己であると同時に、JICA(国際協力機構)やWHOと連携しながら国際緊急医療支援に携わる、いわば日本版の「野戦のドクター」のひとり。
実はわれわれのすぐそばにもそんなすごい先生がいた、そう知るだけで、ちょっと熱い気持ちになりました。

世界中の野戦のドクターたちへの感謝とともに。





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