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What is real?

Who is your hero?と聞かれれば、食い気味に私ならこう答える…

「ウルトラマン」


子どもの頃に初代ウルトラマンから80までの昭和シリーズは一通り観たし、平成シリーズはウルトラ兄弟が集合する映画を観に行った。

そんなウルトラマンの魅力とは何か。ウルトラマンや怪獣の造形美、この世界について考えさせられるストーリー、そして特撮だと思う。

何年か前の特撮博物館はもちろん行って大満足で、つまりはそこで館長だった庵野秀明が作るエヴァンゲリオンは私好みでは?!と帰り道にレンタルして観てみたらビンゴ!で、そこからは庵野秀明も追うようになっていった。

ここまで書いたら今回どの映画を取り上げるかはお分かりかと思う…そう、「シン・ウルトラマン」である。(怪獣や星人の呼び名は私準拠なので(笑)今回のシン・ウルトラマンとは漢字などが違うこともあるのでよろしくです)

ネタバレしない感想としては、ウルトラマンをCGで描くことで当時の特撮では再現できなかったシーンを作れたり(例えばザラブ星人との対決)、2022年現在の世界にウルトラマンや怪獣が現れたらというIfなど、ワクワクは止まらなかった。

ただし、長澤まさみに関連することは違うだろうと色々言いたい。原作オマージュならスカートではなくズボンだろだし、結局あれをしてまで追ったのに現実世界であれを確保したのなら意味がなかった気がするし、今時あんな風に気合い入れる人もいるかだし、とりあえず他人にそういう風に触れるのはアウト!(ネタバレしないようにしているため曖昧なのはご了承を)

と、ウルトラマンを語ると夜が明けそうなので、今回取り上げるもう一つの作品をここから書いていきたい。

その作品は「トップガン・マーヴェリック」だ。

前作「トップガン」は36年前に公開され、私は当時から現在までその前作を観ないままに今回の「トップガン・マーヴェリック」を観てきた。

マッチョな感じや、他国に秘密裏に侵入して施設を爆撃するのはそもそもどうなのよ?!と、こちらにもモヤモヤポイントはあるが、映画としては楽しめた。

この「トップガン・マーヴェリック」はCGが当たり前の今、本当に戦闘機を飛ばしてそれを地上から撮るだけでなく、トム・クルーズはもちろん、他の俳優たちも実際に戦闘機に乗ってGを耐えているので、リアルな緊張感が伝わってくる。

昭和のウルトラマンは、実際に着ぐるみを着てミニチュアの街で怪獣と戦うことである意味のリアルさを出していて、それを現代のCGによってアップデートしようと試みたがどこか突き抜けなかったと感じるのは、「シン・ウルトラマン」の予算がどうやらあまり高くなかったことが一つの理由ではと考えている。

というのも、劇中のあるシーンでいきなり画質が悪くなってまた普通に戻ることがあって、何かの演出(例えばザラブ星人が盗み見ていた)かとも思ったが結局そういうことではなく、単純にサブカメラのものを使っただけのようだ。

メインカメラ以外にサブカメラも回しながらの撮影だったようだが、サブカメラは予算の都合上iPhoneだったようで、どうしてもサブカメラになると画質が下がり、物語を邪魔される。私にはノイズなのだ。

撮影時に角度を決めきれずに編集段階でいくつかのカメラの中から納得できる角度を選ぶのは良いのだが、予算がないことでサブの画質がメインに及ばないのならこの方法は避けるべきだったと思う。

それに対して「トップガン・マーヴェリック」は海軍から戦闘機を借りるなどの撮影協力だけでもかなりのお金がかかっているだろうし、戦闘機の中にIMAXのカメラを取り付けて撮影した。

それだけお金をかけて撮ったので、コクピット内の画質は他のシーンと変わりなく、ノイズにならずに没入感は高い。

「トップガン・マーヴェリック」はトム・クルーズが前作公開後に次作の権利を買い取っていたぐらい大事にしてきたものだし、ハリウッド超大作は予算規模が違う!と言えばそれまでだが、ちょっと待ってくれよと!

庵野秀明といえば、もはやエヴァンゲリオンだけでなく、シン・ゴジラなどでも名を知られるようになっていて、彼が制作に関わっているということは「シン・ウルトラマン」邦画大作と言ってもいいだろう。

それなのに、一部あの画質にならざるを得ない予算規模というのは悲しいことだ。なぜサブもメインと同じクオリティのカメラを用意できるほどの予算規模にならなかったのか。素直に悲しい。

このハリウッドと日本、それぞれの大作から見えてきたのは、この国の映画産業の脆弱性だ。改めてになるが。

ふと目線を隣の国、韓国に目を向けてみると映画はアカデミー賞を取るぐらいにまでなっているし、ドラマとしてもNetflixで人気になる「サバイバー 60日間の大統領」「イカゲーム」を制作している。この2作品はエンターテインメントに政治や貧困という社会問題をうまく組み込めているところが素晴らしいと思う。

それに対してこの国はどうかといえば、公開中の白石和彌監督の「死刑にいたる病」など邦画の底力を感じさせれるものもある。そうなのだが、しかしなのである。

ここで大事なのは、予算規模が大きい大作になると、どうも中途半端になるということなのだ。

大作というのはある程度しっかりお金をかけないとならないもので、それがこの国ではどうやら庵野秀明であってもできないらしい。

なんとか国として映画を大事にする方向へ進んでほしいと切に望む。

それと共に私たち観客側が映画をもっと大切にする動きを一つひとつしていくことも大切だ。

ということで、

私からの提案を書く。


・映画はできるだけ映画館で観よう!

・家で観る場合は携帯OFFかマナーモード(できればサイレント)にしよう!観始めたら最後まで!

・映画には無駄な場面などないように作られているのだからシーン飛ばしや倍速視聴はNG!

・人の意見を聞く前に自分がどう感じたかを大切にしよう!そのために新しいものだけでなく昔の作品も観て感性を高めよう!「サイコ」や「東京物語」オススメ。

・この本「映画評論家への逆襲(小学館新書)」を読んで映画について考えてみよう!


このままでは、この国の映画もまた危うい

様々な映画を観て映画の未来を考える

それが私たちが今

リアルに向き合うべきことではないだろうか。



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