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父とALS 〜父が残してくれた宝物〜 難病ALSを患って数年前天国へ旅った父。 闘…

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父とALS 〜父が残してくれた宝物〜 難病ALSを患って数年前天国へ旅った父。 闘病の日々を綴りたいと思います。 #ALS #筋萎縮性側索硬化症 #介護 #在宅介護 #糸

記事一覧

宝物の沖縄家族旅行の思い出

姉がすぐに旅行の計画や予約をしてくれて GWに家族揃っていくことに。 父の進行が早かったこともあり、 とても迅速にすすめてくれて、 家族旅行が実現できました。 介護…

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8か月前
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重度介護で学んだこと〜悩まない。考える。〜

父の介護をして自分が大きく成長できたことのひとつが「自身の悩みに対する対応」です。 もともと石橋を叩いて壊すよね と言われたほど慎重派の私ですが、 今は悩むことは…

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1年前
5

ALS確定診断 ラジカット治療開始

ALSと診断され、退院。 ラジカット治療に通うようになった父。 この時はまだゆっくり誰かの支えがあれば 自身で歩けていました。 自分の足で歩けることが、どれほどしあ…

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2年前
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思い出せない 宣告の日

怪我の後、最初に父の会社の提携の整形外科へ。 そこでは怪我をした足の治療を していただきました。 仕事は休職という形をとってくださり、 ここから、父の検査の日々が…

sora
2年前
2

ALS⑤〜繰り返す怪我〜

父の怪我も治り、また日常が戻ってきたと 家族みんな思っていました。 そんな中また、父が仕事中転んで 骨折をしてしまったと連絡が… この時は転んだ後、立ち上がること…

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2年前
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そらが大好き♡いつも心はそばに…

私は小さな時から空を見上げることが 大好きでした♡ いつも上を向いて歩いてるね と兄にもよく言われていました😂 父と母と3人で車でお出かけして 母のお買い物を、車で…

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2年前
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ALS④〜父との思い出①〜

私は、両親、母方の祖父、兄、姉の6人家族で育ちました。 営業職をしていた父は、休みは週一だけ。 自分は何の贅沢もせず、 いつも家族のために 仕事をがんばってくれてい…

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2年前
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ALS③〜病気がわかるまで〜

2017年 父は定年退職後も、非常勤で マンションの管理人の仕事をしていました。 とても整理整頓上手な父だったので、 住民の方に喜んでいただいたり、 現役時代とはちがっ…

sora
2年前
3

AlS②〜父と歩いたバージンロード〜

私の結婚式当日。 父は数ヶ月前に仕事中に転倒してしまい 捻挫をし、足を引きずって歩いていました。 私は無理しないでと伝えていましたが、 父は大丈夫。絶対歩く と…

sora
2年前
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筋萎縮性側索硬化症 ALS①

ALS(筋萎縮性側索硬化症)という 病気をご存知ですか。 alsという病が広く知られるきっかけとなったのは 2014年にアメリカからはじまった 「アイスバケツチャレンジ…

sora
2年前
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宝物の沖縄家族旅行の思い出

姉がすぐに旅行の計画や予約をしてくれて
GWに家族揃っていくことに。

父の進行が早かったこともあり、
とても迅速にすすめてくれて、
家族旅行が実現できました。

介護タクシーの予約やホテルへの事情連絡、
空港会社への連絡、沖縄の介護タクシー予約
など、全て調べて予約してくれた姉に、
本当に感謝です。

とはいえ、父が車椅子になってから
介護タクシー以外での移動ははじめて。

ましてや飛行機なので

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重度介護で学んだこと〜悩まない。考える。〜

父の介護をして自分が大きく成長できたことのひとつが「自身の悩みに対する対応」です。

もともと石橋を叩いて壊すよね
と言われたほど慎重派の私ですが、
今は悩むことはほぼありません。

それは
悩む=結局前に進んでない
作業になってしまっていたことに
気がついたからです。

父がALSと診断されて全介護必要になってから、
最初はよくひとりで泣いていました。

それは父がつらそうで、
変えられない現状

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ALS確定診断 ラジカット治療開始

ALSと診断され、退院。
ラジカット治療に通うようになった父。

この時はまだゆっくり誰かの支えがあれば
自身で歩けていました。

自分の足で歩けることが、どれほどしあわせで、
できることをどんどん奪われていくことが
どれほどの恐怖なのか、
まだこの時は家族みんなわかっていなかったです。

実家近くで、ラジカット治療を受け入れて下さった
クリニックさんも、ラジカットは初めて行うと説明を受けました。

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思い出せない 宣告の日

怪我の後、最初に父の会社の提携の整形外科へ。

そこでは怪我をした足の治療を
していただきました。

仕事は休職という形をとってくださり、
ここから、父の検査の日々が始まります。

このあと、別の都内の大学病院で検査。

ここでALSの疑いがある。。
確定はできない。
と言われ、また別の病院へ。

そして後に、父が最期を迎えることになった病院に、脳から全て調べる検査をしに伺いました。

この検査は

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ALS⑤〜繰り返す怪我〜

父の怪我も治り、また日常が戻ってきたと
家族みんな思っていました。

そんな中また、父が仕事中転んで
骨折をしてしまったと連絡が…

この時は転んだ後、立ち上がることもできず、
たまたま通りかかった方に助けていただいて
病院へ行ったと母から聞きました。

あまりにも怪我の頻度が多いこと、
父自身も足の運びが悪い事を感じていたので、
精密検査をすすめられ、
母と父、3人で病院へ。

得体の知れない怖

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そらが大好き♡いつも心はそばに…

そらが大好き♡いつも心はそばに…

私は小さな時から空を見上げることが
大好きでした♡

いつも上を向いて歩いてるね
と兄にもよく言われていました😂

父と母と3人で車でお出かけして
母のお買い物を、車で父と待つ時間は
後部座席に寝転んで、窓から見上げたり、
自宅でも自室ベット横の窓をあけて
空を見るのが大好きで、
寝転びなら空を見ると、空と一体化したようで
とても幸せを感じる瞬間でした。

当時、実家がバスを降りてから
少し歩く

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ALS④〜父との思い出①〜

私は、両親、母方の祖父、兄、姉の6人家族で育ちました。

営業職をしていた父は、休みは週一だけ。
自分は何の贅沢もせず、
いつも家族のために
仕事をがんばってくれていました。

今思えば仕事で疲れているはずなのに、
貴重な休みの日はいつも車で
いろいろな場所へ家族を
つれていってくれました。

そして結果をもとめるわけではなく、
色々な経験をさせてあげたいと
たくさん学ぶ場もつくってくれました。

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ALS③〜病気がわかるまで〜

2017年
父は定年退職後も、非常勤で
マンションの管理人の仕事をしていました。

とても整理整頓上手な父だったので、
住民の方に喜んでいただいたり、
現役時代とはちがったゆったりとしながらも
喜んでもらえる仕事に
やりがいをかんじているようでした。

派遣されるマンションが週ごとに
変わるため、
お嫁に行った私には毎日のように

今日は〇〇の現場だよ!

(私)のお家に近い現場だから、
遊びに行

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AlS②〜父と歩いたバージンロード〜

私の結婚式当日。

父は数ヶ月前に仕事中に転倒してしまい
捻挫をし、足を引きずって歩いていました。

私は無理しないでと伝えていましたが、

父は大丈夫。絶対歩く

といってくれ、
二人手を組んでバージンロードを歩くことが出来ました。

本当にしあわせでした。

このときはただの怪我。
家族みんなが思っていました。

もしかしたら、父本人は
何かおかしいと感じながらも
言えずにいたのかもしれません

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筋萎縮性側索硬化症 ALS①

筋萎縮性側索硬化症 ALS①

ALS(筋萎縮性側索硬化症)という
病気をご存知ですか。

alsという病が広く知られるきっかけとなったのは
2014年にアメリカからはじまった 「アイスバケツチャレンジ」でした。

私もこの病をはじめて知ったのは
このアイスバケツチャレンジでした。

後に私の父が、
その病と闘うことになるなんて
想像もしていませんでした。

情報の少ないこの病。
私自身、この病と闘う方々にSNSを通じて出会い、

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