思い出せない 宣告の日

怪我の後、最初に父の会社の提携の整形外科へ。

そこでは怪我をした足の治療を
していただきました。

仕事は休職という形をとってくださり、
ここから、父の検査の日々が始まります。

このあと、別の都内の大学病院で検査。

ここでALSの疑いがある。。
確定はできない。
と言われ、また別の病院へ。


そして後に、父が最期を迎えることになった病院に、脳から全て調べる検査をしに伺いました。

この検査は入院して行うことになっており、
私も入院初日に仕事を休んで一緒に向かいました。

父は泣き言ひとつ言わなかったけど、
検査は電気を全身に流したり、髄液を抜いたり、
とても過酷なものだと、先生から伺いました。

その後、ALSでほぼ間違えないだろうと。


でもこの病院の入院初日以降の記憶があいまいで、
いつ検査の説明やその結果の話を聞いたのか、
先生から伺ったのか、母から聞いたのか、
どうしても思い出すことができません。


ただ、父の検査の期間中、この病気について
調べて調べて、宣告されたあと、
家族みんないるから。
と誰かに声をかけたことだけ覚えています。

それが母だったのか、父本人だったのか、
姉、兄だったのかは思い出すことができず、
起きたときうっすらとだけ覚えている夢のような
感覚なのです。


それからは母が介護の手続きなど全て
すぐに対応してくれて、
在宅での闘病生活が始まります。

とはいえ、この時はまだ、足以外は動かせていたので、進行を遅らせることを期待されている
ラジカットという治療を、通院で通うことに。

通うのが大変だからと、主治医の先生の計らいで、
実家の近くの病院で行っていただけることに
なりました。


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