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【 おじいちゃん、お誕生日おめでとう。】
「うれしいねぇ、なみだがでてきた。」
今日何度もそう言って涙を流していたのはおばあちゃんだった。
おじいちゃんのお誕生日を、自分のことのように涙を流して喜ぶおばあちゃん。
おばあちゃんが認知症って言われてどれぐらいの月日が経っただろうか。
初めの頃は忘れてしまう自分と、ハッキリ思い出せる自分を行き来していて、忘れてしまう自分が嫌でものすごく怒っていた。
彼女が、自分自身に怒っていたの
わたしが日本を飛び出したお話し。
19歳のとき、失恋をした。
なにもかもキラキラ輝いてた日常は一瞬にして色を失ったように思えた。
バックパック片手に、日本を飛び出した。
行く宛もなく、現地に頼る人もおらず、宿も決まっておらず、少しだけバイトで貯めたお金握りしめ
ガンジス河に涙と思い出流そうって。
言語も知らなければ、どんなところかも知らない。歴史も、文化も。
馬鹿みたいにまっすぐで、純粋で、信じやすく、騙されやすいわた
砂漠の町、ジャイサルメール。
コロンビア人、ホアナとの出会い。
わたしが砂漠の街ジャイサルメールの安宿、パレスイントーキョーに泊まっていたときのこと。
まず名前に笑った。
ネーミングセンス良すぎ。
安宿のくせにプール付きで、ルーフトップからはアラジンのお城が見えていた。
お部屋も砂壁にハンモックがかけられていて、すごくいい雰囲気醸し出してる。
長い長い列車旅のあとだったから疲れて、衝動的に服着たままプールに飛び込ん
ふたつの命から学んだこと。
忘れないよ。
東日本大震災を。
決して忘れないよ。
福島原発事故を。
宮城県の丸森町から保養に来てくれた双子ちゃん。
原発事故と言えばみんなは福島のことを真っ先に想像するかもしれない。
でもそれもそのはず。
だって事故は福島で起きたのだから。
宮城県の丸森町はね、宮城県の南部の方にあるの。
東日本大震災から5年経った今、日本の中でその記憶が薄れてしまいつつある。
でもね。福島だけじゃ
NAGASAKI HAPPEACE PROJECT
はじめまして。わたしの名前は松永瑠衣子と申します。生まれも育ちも長崎で、3月まで4年間小学校の先生をしておりました。わたしの故郷長崎は、海と山に囲まれ魚も野菜も新鮮で美味しく、歴史も深く、伝統文化を大切に守り抜いている とても素敵な街です。
そんな長崎の街には、決して忘れてはならない記憶があります。
1945年8月9日の11時2分。一発の原子爆弾が投下されました。祖母は「被爆者」と言い、孫にあ