【 おじいちゃん、お誕生日おめでとう。】

「うれしいねぇ、なみだがでてきた。」

今日何度もそう言って涙を流していたのはおばあちゃんだった。

おじいちゃんのお誕生日を、自分のことのように涙を流して喜ぶおばあちゃん。

おばあちゃんが認知症って言われてどれぐらいの月日が経っただろうか。

初めの頃は忘れてしまう自分と、ハッキリ思い出せる自分を行き来していて、忘れてしまう自分が嫌でものすごく怒っていた。

彼女が、自分自身に怒っていたのをよく覚えている。

あのときが1番苦しんでいたのかもしれない。

わたしが高校生のとき、おばあちゃんがお布団に入った私の隣に寝転がって手を握って話してくれた

「もしおばあちゃんが死ぬなら、『あら、林田さん昨日まで元気で過ごしとらしたとにね〜。。』って言われて寝てるのかな?って思われるぐらい安らかに死にたい。」

って言葉。

4人兄妹の長女として生まれて、まだ小学生のときに父を亡くしてるから、早く働かなきゃって学年成績1位で医学とか興味あったんだけどそんなお金もなく、中学校卒業したらすぐ働いた。

しっかりもので面倒見が良くて、料理に洗濯、掃除に裁縫、書き物もしてたしおばあちゃんに出来ないことなんてなかった。

同級生からも慕われていたし、家族、親戚もおばあちゃんのことが大好きで、お盆と正月は20人ぐらい集まることもあった。

「あら、るいちゃんいらっしゃーい!」って玄関で抱きしめてくれるおばあちゃんに会いたくて、どれだけ通いつめたか分からない。

そんなおばあちゃんだから、尚更自分が認知症に向かっていくことが歯がゆくて悲しくて辛くて仕方なかったんだと思う。

はじめのほう、おじいちゃんは 繰り返し同じことを言ったり、同じものを何個も買ってくるおばあちゃんの様子がおかしいなって思いつつも、家事全般おばあちゃんに任せていたので ほとんど口出ししていなかった。

だし、たまに「さっきも言ったやろうが。」と小さな声で怒っていた。

でも、あるときを境に おじいちゃんは勉強をはじめた。

そしておばあちゃんの認知症と向き合った。

認知症を知って、

おじいちゃんは怒らなくなった。

今まで一切やってこなかった家事のことも、教えてもらいながら ひとつずつ ひとつずつ 出来ることが増えてきた。

いつからおばあちゃんの認知症と向き合おうと思ったのか、どうして老老介護の大変さを知りながらも自分が面倒見ると決めたのか。。

おじいちゃんは教えてくれない。

わたしはそれを簡単に「愛」だなんて言えない。

「テレビに向かって、おおーーきな声で話しかけるとよ。手を叩いてみたりね。」

日々変わらない暮らしの中に、小さな変化を見つけているおじいちゃん。

きっとおじいちゃんは、生まれ変わってもおばあちゃんと結ばれたいんだと思う。

例え、いずれ認知症になることが分かっていたとしても、おじいちゃんはきっと おばあちゃんをお嫁さんにすると思う。

二人は 今までも、これからも、大切なことを教えて続けてくれる。

わたしは、この人たちに命をつないでもらった孫で本当によかった。

ありがとう、そして、おめでとう。


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