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ふたつの命から学んだこと。

忘れないよ。
東日本大震災を。
決して忘れないよ。
福島原発事故を。

宮城県の丸森町から保養に来てくれた双子ちゃん。

原発事故と言えばみんなは福島のことを真っ先に想像するかもしれない。

でもそれもそのはず。

だって事故は福島で起きたのだから。

宮城県の丸森町はね、宮城県の南部の方にあるの。

東日本大震災から5年経った今、日本の中でその記憶が薄れてしまいつつある。

でもね。福島だけじゃないんだ。放射能汚染されてるのって。

普段長崎の人たちが生活していて日常にある放射線量は0,04マイクロシーベルト。

でも、ここ丸森町では0,3マイクロシーベルト。ほぼほぼ長崎の10倍はあるんだ。

お野菜も西日本産のものを買うようにしてて、飲み水もミネラルウォーターを買うように気をつかっている家庭の子どもでも尿検査でセシウムの高い数値が出たりする。

世間では福島のことばかりが心配されているが、かえってホットスポットと呼ばれる放射線量の高い県外の方がよっぽど危ないのかもしれない。

五年経ったからもう大丈夫だろう。

とんでもない。

時だけが経って、土壌も水も草も空気も汚されたままなのに、そんな場所に帰還されようとしている。

除染するのってお金かかるからね。

仮設住宅も国が補助しなきゃいけない。

だから早く出てってほしいんだ。

もちろん帰りたい人もいるよね。

でも、もう二度と故郷には帰れないって言ってる人もいるんだ。

子どもたちの命の心配をしている母親たちの声は、行政に届いていますか?

一年前に来てくれたときはとっても人見知りでママ以外はなかなか受け入れることが出来なかった。

600グラムで生まれてきた彼女たち。

ウサギの赤ちゃんサイズで生まれて4ヶ月間は保育器に入ってた。

本来次の年に生まれるはずだった

小さな小さな命は、一生懸命脈を打って。

幾度となく止まりかけた心臓もなんとか息を吹き返した。

そんな2人が一年経ってお姉ちゃんになっていた。

同学年の子に比べると身長も低いし、言語も少し遅れを感じる。

できないことはたくさんあるかもしれない。

でもね、そんなもの二人にとってもお母さんにとってもなんの「障害」にもならないんだ。

だってお母さんは知ってるんだもん。

「比べる」ということがなにも意味のないことだって。

わたしは小さい頃、周りの子たちに比べてモタモタしてて行動が遅くて、勉強も苦手で運動もヘタクソで

「なんでそんなこともできないの?」って言われてた。

わたしが聞きたかった。

自分ではみんなと同じようにしてるつもりなのにみんなは出来て、わたしだけ出来ない。

決められた時間の中でやるべきことが決まってて、思い通りにいかない自分に一番イライラしてた。

『るいちゃん、頑張らなくていいよ。もう十分頑張ってんだからー。』

双子ちゃんのお母さんに、ギューってされてそう言われたとき、

なぜかわたしは小学生のときのわたしに戻っていた。

すーっと涙が零れた。

彼女は、頑張っていた小さなわたしにそう言ってくれたような気がしたんだ。

中学までのわたしは、死にたいとかそんなんじゃなくて、自分のことを認めることができずに

正直に自分には生きる価値がないと思ってた。

だってわたしにはなにもない。

人よりなにか秀でてるものもないどころか、むしろ足を引っ張ってしまってる。

でも、それでも一生懸命生きてた。

生きる意味なんて分からなかったけど、いつか分かる日が来るかもしれないって。

『るいちゃん、だーいすき。』

あのとき精一杯生きてたわたしに想像できただろうか。

こんな言葉をもらえる日がくるなんて。

わたしのために涙を流してくれる人がいるって。

本当の愛が伝わったとき、人は嬉しくても涙が出るんだってことを。

だから今度はわたしの番なんだ。

小さなわたしを救ってくれたように、そのお返しがしたい。

伝えなきゃ。

真実を。

わたしが目で見てきたこと

耳で聞いてきたこと

さわってきたもの

疑問に思ったこと

悲しかったこと

怒りでいっぱいになったこと

わたしが伝えることで彼らの助けになるならば。

原発事故は終わってないよ。

お母さんたち、家族の苦悩は続いてることを。

ありがとう。

今年の保養もたくさんの学びをもらいました。

きっとまた来てね。愛してやまない長崎でまってるから。


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