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何度でも読み返したいnote1

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何度でも読み返したいnoteの備忘録です。 100作品たまったので、何度でも読み返したいnote2を作りました。
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#日記

あんぱんは、欠けて、満ちて

久しぶりにあんぱんを食べた。 それも横綱級のあんぱんだ。 まず仕事が終わって、職場近くの美味しくて安いパン屋さんに行こうと思っていたのだけど、風がとても強く吹いていたのと、空に広がった灰色の雲が今にも雨を降らせそうだったので、それをやめて、地元のパン屋さんに行くことにした。 地元のパン屋さんは、最寄駅を降りたらすぐ何軒かあって、たまたまふらりと入ったそのパン屋さんは、あんぱんがとても有名なお店で、けれど10時と15時しか焼いていなくて、しかも30食限定で、すぐ売り切れる

座る場所ひとつ考えてしまう人が好きなのです

質問です。 カウンターに7つ、椅子が並んでいます。 スタバとかドトールとかによくある席です。7人座れる電車の座席でもいいです。 先客が2名。1番と7番(緑色になっている部分)に人が座っているとします。 自分が3人目として2~6のどこかに座る場合、何番に座りますか。1も7も赤の他人です。 ここで4番の席に座る人、いると思うのです。 1番の人からも7番の人からも距離を開けて、真ん中に座る人です。 ちょっと意味が分かりません。僕が1番か7番に座っていて、3人目が4番に座ったら(

たまごに愛された男

誰もいないキッチンから、「ぱさっ」という音がした。 あぁ、またか。 想像したくないけど、きっとアレに違いない。 渋々、音のしたほうへと歩いていくと、悪い予感は当たっていた。 ふきん掛け(吸盤式)の落下。 ゆうべ洗ったばかりのふきんが、シンクで水を吸ってへたっていた。 落ちたふきん掛けとふきんを手に取り、なんか言ってやりたい気持ちになる。 ものにも心があるならば、言霊的にはけっして言ってはならない言葉だが、もろくもブチ切れた私の堪忍袋は収まりがつかず、捨て台詞のようなク

桜の季節、誰かが誰かを待っている。

noteをふいに訪れていると、誰かが 誰かのためだけを想っている言葉に であうことがある。 ふだんは、わたしはわたしのことしか 考えていないようなにんげんなので。 宛先がいつも誰かであるひとに会うと、 どうしようもないぐらい、恥ずかしく なってしまう。 じぶんの心を整えるために書いてきたので たぶんわたしの言葉はいつも宛先はじぶん だったような気がする。 だから、いっそもうじぶんのことは置いておき たいと思うことがある。 「わたし」や「じぶん」から遠

チャーハンのようなものに、わたしはなりたい。

「今日のしょうチャン、おいしかったなあ」 わたしが小学生のころ、土曜日のお昼過ぎによく交わされていた会話だ。 平日の月曜日から金曜日まで、小学校では給食が提供されていたのだけれど、土曜日は12時頃までの授業で終了し、お昼ごはんは自宅で食べることになっていた。 学校から走って帰って、息を切らせながらテレビをつける。土曜日のお昼は吉本新喜劇を見ながらお昼ごはんを食べるのが常だった。 母親が準備してくれていたお昼ごはんのレパートリーはいくつかあったけれど、俄然しょうゆチャー

恋人が寿司を作った

 恋人は釣り人で、魚が大好きで、恐らく三日に一度は「寿司食いたい」と言っている。  わたしは恋人と会うまで、寿司というのは特別な日か、そうでなくても「今日は寿司だ!」という心持ちで食べるものだと思っていたので、これほどまでに高頻度にカジュアルに寿司を食べて生きている人を目の当たりにして驚いた。  しかし幸いなことに、わたしは食べることが大好きだった。魚も例外ではない。  とはいえ意外と変なところで倹約家な彼は、毎回高い寿司を食べることを強請るわけではなく、スーパーの半額を狙

フルーチェと娘が教えてくれたこと

昨晩、娘とフルーチェを作った。 6歳になった娘は、もう一人でフルーチェを作ることができる。 娘に全てをお任せして、私は他のことをしながら、横目で見守っていた。 必要なものは、ボウル、泡立て器、計量カップ、牛乳、フルーチェの5点。 フルーチェの硬めの袋も自分で開ける。 フルーチェをボウルに注ぐ。 牛乳を200ml計ってフルーチェの入ったボウルに注ぎ入れる。 泡立て器で混ぜ合わせる。 あっという間にフルーチェが完成した。 「すごいなぁ。フルーチェ、もう一人で作れるんだ。」

冬は冬のままでそこに居てくれるから

冬の欠片が道端に落ちていた。それは粗大ゴミの中に『冬のはじまり』と書かれた看板で、その字のペンキは雨風に浸食されて溶けて無くなっているし、それ自体が錆びて朽ちているし、まるで原型を留めていないけれど『冬』という字は薄らと主張していた。私は少し立ち止まってその看板の由来を考えていたけれど全く思い浮かばず、風に背を押されるようにその場を離れた。 久しぶりに歩く田舎の街並みは不易を背負って呼吸をしているように思えたが、私の知らない間に根が生えたように居座っていた喫茶店が閉店してい

5歳!500メートルの大冒険。

ついに幼稚園が休園になってしまった。 期間は、1週間ちょっと。 「外出は控えてください」と園からのメールが届いている手前、堂々と公園に遊びにいくのも気が引ける。 休園開始からの2日間は、真面目に家の中で過ごした。外の空気が吸いたくなったら、ベランダでシャボン玉をしたりして。でもついにシャボン玉液がなくなってしまった3日目、私は息子を散歩に誘った。 「りんりん!ファミマにお菓子買いに行かへん?」 「いくいくー!」 「今日はファミマまで歩いていこうや。近いしさ。」

救ってくれたのは、冷蔵庫のプリンだった

1ヶ月ほど前から、週に1回のペースでこちらから実家に帰ったり、逆に母に来てもらい、買い物やちょっとした家事などをお願いしている。 30代半ばにもなり、己の面倒さえも己で見れず、むしろ本来なら逆の立場なのに、年老いた母親に身の回りのお世話をしてもらっているこの状況。 情けなくもあるし、抵抗もある。 けれど、最近はほんの少しずつだけど、 「…ごめんね。お願いしてもいいですか」 と言えるようになった。 きっかけは、母の言葉と、冷蔵庫に入っていたプリンだった。  ⭐︎ 1

人生の肩書を考える

ないないない、肩書ない。そう、わたしには、肩書がない。 課長!部長!社長!みたいな、THE プロフェッショナル 仕事の流儀みたいな、肩書は、もちろんないが、○○ちゃんのお母さん、○○さんの奥様、○○くんの彼女、みたいな、人生の肩書もない。もちろん、芸名だってない。 (愛亀のお母さんは、ノーカウント?え、なんで、四足歩行だから?) ちなみに、戸籍が抹消されない限り、○○家の娘さんで、あり続ける。(平安時代じゃないんだから、大丈夫) ただし、それは、生まれたときから、右頬

平日の夕方、役所のトイレで泣いてしまった

この文章は、ツムラ#OneMoreChoiceがnoteで開催する「 #我慢に代わる私の選択肢 」コンテストの参考作品として主催者の依頼により書いたものです。 数年前にできたのであろう、白を基調とした清潔感たっぷりのトイレで、私は泣いていた。なるべく息が漏れないように、歯を食いしばり、顔を手で覆いながら涙が止むまでじっと耐える。めんどくさいヤツだと思われるだろうが、小学生の時からたまにトイレに閉じこもって泣いてきた。公の場で突然目頭がカッと熱くなったとき、私は我慢ができない

いつも笑っている君の、笑顔が殺しているものと、笑顔が救っているものと。

「笑ってんじゃねえよ」 あの日投げつけられた言葉が、未だに心に刺さっている。 だけど、と記憶が蘇るたびに反論したくなる。 幸せな時に人は笑顔になるけれど、笑顔だから幸せだとは限らない。 笑う事で心をどうにか守っている、そんな時だって人にはあるんだ。 「笑わなくても良いよ」という人は、時に無自覚なまま、残酷だ。「笑顔が幸せを呼びこむよ」とご高説をたれる人と同じくらい。 あの日の教師の正しさから、はみ出していた私。 今時期のような、じっとり湿った梅雨の頃だった。 教室の中

ベランダ

私の家庭での大きな役割は、水回りの掃除である。ただ、もうひとつ、大きな役目を、ここ半年ほど忘れていた。 それは、ベランダの掃除である。 引っ越してきて数年経った、9月のある日、家内から言われたのだ。 そろそろ、また、ベランダの掃除、お願いします。 その前の掃除から、半年以上経っていた。感覚的には、そろそろやらねばならない時期だろう。私は、心の中の嫌がるリトル私を抑えつつ、 そうだ、ね....。 と、こたえた。 すると、家内が言葉を継いできた。 Eさん、知ってい