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いつも笑っている君の、笑顔が殺しているものと、笑顔が救っているものと。

「笑ってんじゃねえよ」
あの日投げつけられた言葉が、未だに心に刺さっている。


だけど、と記憶が蘇るたびに反論したくなる。

幸せな時に人は笑顔になるけれど、笑顔だから幸せだとは限らない。
笑う事で心をどうにか守っている、そんな時だって人にはあるんだ。

「笑わなくても良いよ」という人は、時に無自覚なまま、残酷だ。「笑顔が幸せを呼びこむよ」とご高説をたれる人と同じくらい。

あの日の教師の正しさから、はみ出していた私。


今時期のような、じっとり湿った梅雨の頃だった。
教室の中央にほど近い席で、私はうつむいたまま立ったされていた。湿気でうねる前髪が視界の半分を覆って、教壇にいる教師の表情も、一斉に私を見ているクラスメートの表情も見えなかった。

「虐められて、どんな気持ちでしたか?」
「あなたの気持ちを、みんなに教えてあげて下さい」


うつむいたまま首を傾げた私は、結局最後まで一言も発さなかった。
教師はお題目のように「他人の気持ちを思いやりましょう」とまとめ、長いHRは終わった。いつものざわめきが教室に戻りほっとした私に、隣の席の男子が吐き捨てるように言ったのだ。
「虐められてへらへら笑ってんじゃねえよ」と。

その言葉に込められた苛立ちが、正しさが、未だに棘のように残っている。
古い校舎の歪んだ窓ガラスに私の顔は映らず、自分がどんな表情をしていたのか、確かめる事はできなかった。でも、私は笑っていたらしい。平気な顔をして、何でもない事のように。

記憶を辿りながら、ふと思う。
あの日、教師が期待した役割を果たせていたら、少しは違った人生になっていただろうか。私はかわいそうな被害者になり、教師や私に言葉を投げつけた彼は正義の側に立ち、もしかしたら、いじめは止んだのかもしれない。
私を可哀想な子供にすることが、あの時の教師なりの優しさであり、彼の正しさだったのかもしれない。


だけど、私はそんな優しさは欲しくなかったんだ。
私は立たなくちゃいけなかった。どんなに世界が優しくなくても、どんなに世界が苦しくても、弱くて可哀想で被害者な私にはなれなかった。
平気な私でいたかった。いなくちゃ、いけなかった。父や母のまなざしの先に居る私は、心配の要らない優等生のお姉ちゃんでなくちゃいけなかった。


人の心なんて、外側からは分からない。笑っていて欲しい、それは望む側のわがままだよね。


どういう訳か、笑顔が素敵だ、と言ってくれる人が沢山いる。

あれから何年もたち、結婚をし、子供を持ち、離婚をした。保育園、PTA、たくさんの人との出会いがあった。職場を転々とし、様々な職業を経験した。どこへ行っても、優しそうだとか、悩みが無くて楽しそうだと言ってくれる人が沢山いた。だからきっと、私の笑顔は素敵なのだろう。

決して、その人たちの見る目が無いという話ではないし、私が浮かべてきた笑顔の、全部が嘘だというつもりもない。

笑顔は確かに幸せのしるしで、誰かを救うもの。
不登校だった娘の笑顔が戻った事で、親の私が救われたように。私が笑っていた事で、両親が安心してくれたように。私が笑顔でいる事が、誰かへの贈り物になるのなら、いつも笑っていたいと思う。


だけど、ね。
心の隅では忘れずにいたい。あの日の私のように、笑顔で必死に立つ人も同時にいるのだという事を。笑顔でいてねと願われる事で、殺される心もあるのだと。


泣きたいときに泣けない人も、苦しい時に笑う人も、心の底から笑う人も、肩を寄せ合って生きている。
笑顔でいようと言うのなら、自分自身に向けてだけ。あなたが泣くのも笑うのも、心のままにできるような居場所になれれば良いなと願いながら。







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