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昨晩、娘とフルーチェを作った。
6歳になった娘は、もう一人でフルーチェを作ることができる。
娘に全てをお任せして、私は他のことをしながら、横目で見守っていた。

必要なものは、ボウル、泡立て器、計量カップ、牛乳、フルーチェの5点。

フルーチェの硬めの袋も自分で開ける。
フルーチェをボウルに注ぐ。
牛乳を200ml計ってフルーチェの入ったボウルに注ぎ入れる。
泡立て器で混ぜ合わせる。
あっという間にフルーチェが完成した。

「すごいなぁ。フルーチェ、もう一人で作れるんだ。」
娘に声をかけると誇らしげにニコッとしていた。

そのフルーチェを、娘と私の二人分の小皿につぎ分けてくれるそうだ。
大きなスプーンで注ごうとするが、皿からはみ出る。
何杯か注いでいるのだが、結構な量のフルーチェがテーブルにこぼれている。
なかなか小皿にフルーチェが溜まらない。

傍らでフルーチェを待っていた私は
ついつい手を出してしまった。
テーブルにこぼれたフルーチェを都度都度拭き始めた。

フルーチェを小皿に注ごうとする娘の隙を狙って、いちいちテーブルを拭く私に娘が言った。

「もう!失敗もさせてよ」

「あ、ごめん。失敗していいよ。」と、娘に伝え、
こぼれたフルーチェを拭くのをやめた。

娘が生まれて6年。
歩けるようになり、言葉を話せるようになり、できなかったことができるようになっていく。目の前で起きる人間の成長に感動している。
でも、気をつけていないと、その成長の細かいところを見逃している。

”できる”と”できない”はセットなのだ。
”できる”ようになるまでには、何度も”できない”を繰り返しているはずだ。
”できない”がないと”できる”もないのだ。
”できない”を経験するチャンスは沢山あった方がいい。

娘が放った言葉、

「もう!失敗もさせてよ」は、

できたことばかり褒めずに、”できない”も黙って見ててよ!ってことだ。

娘は、私の”できない”も黙って見てくれている。
大人になっても”できないだらけ”の私を笑って見てくれている。

”できない”を経験できること、”できない”を味わえること、
大人になっても大切にしたい。
あれこれ言わなくていい。
”できない”ことをやろうとしているその人を、黙って見守っていたらいい。
”できない”と決めずにやろうとしていることを。

娘よ、いつもありがとう。
あなたはいつも大切なことを教えてくれる。








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