救ってくれたのは、冷蔵庫のプリンだった
1ヶ月ほど前から、週に1回のペースでこちらから実家に帰ったり、逆に母に来てもらい、買い物やちょっとした家事などをお願いしている。
30代半ばにもなり、己の面倒さえも己で見れず、むしろ本来なら逆の立場なのに、年老いた母親に身の回りのお世話をしてもらっているこの状況。
情けなくもあるし、抵抗もある。
けれど、最近はほんの少しずつだけど、
「…ごめんね。お願いしてもいいですか」
と言えるようになった。
きっかけは、母の言葉と、冷蔵庫に入っていたプリンだった。
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1ヶ月程前のある水曜日。
仕事から帰って、ベッドの上に倒れ込むと、そのまま起き上がれなくなった。
電気もつけず、カーテンを閉めきった真っ暗な部屋の中で、さらに布団をあたまから被って、ありとあらゆる光と音を完全に遮断した。
体はガタガタ震えている。
止めようとしたけど無理だった。
前の日の夜からほぼ何も口にしておらず、水だけ辛うじて飲んでいたが、本当は水分さえ体に入れたくない状態だった。
食べものを見ると、吐き気がした。
人の話し声が鼓膜に響いて、ラジオが聴けなくなった。
文字が文字として理解できず、本も読めなくなった。
部屋は脱ぎっぱなしの服や下着で床が埋めつくされ、足の踏み場がない状態だった。
テーブルには茶渋がこびりついたマグカップや飲みかけのペットボトル、コンビニの袋が散乱していたし、シンクには何日か前に使ったまま、洗っていないお皿や鍋がそのまま時が止まったみたいに陣取っていたし、お風呂の排水溝には髪の毛が溜まっていて、ちょっとしたホラー映画みたいになっていた。
それでも考えていたのは仕事のことだった。
明日も会社に行かなきゃいけない。
お風呂に入らなきゃいけない。
少しでも何か口に入れなきゃいけない。
「〜しなきゃいけない」と思えば思うほど、体はダンゴムシみたいにギュッと硬直して、動かなかった。
「自分なんて生きていても役に立たない。生産性もなく何の価値もない」と、歯をぎりぎりさせながら泣いた。
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ずっと、ちょっとおかしいかな、とは感じていた。
「面白いな」と思うことがなくなったし、極端に体が疲れやすくなったし、食べものを食べても、美味しいなあ、あれ食べたいなあ、と思わなくなっていた。
「わたし、なんのため生きているんだろう」と思いながら、ゆるやかだけどだんだん業務が増えていき、どんどん不安はつのっていく。自分ではどうしようもなかった。
そのうち休みが冗談抜きで本当にとれなくなって、ほぼ週6勤となり、1日の休日は溜まった家事をやっつける。
次の日はまた夜遅くまで仕事。
全然休んだ気がしなかった。
「病院に行きたいのですが、休んでもいいですか」と上司に何度も相談しようとしたが、できなかった。
また他の人が、余分に仕事を抱えてしまうからだ。
自分よりもっとハードな状況で仕事をこなしている人もいたし、むしろ自分はまだマシな方で、熱もないのに、「しんどいから休みたい」「病院に行きたい」とは言い出せなかった。
そして、「他の人はもっと頑張っている」「なんでこなされへんの」「そんなの甘えだ」と、自分だけ楽をしているように思われるのがとても怖かった。
けれど、もう限界だった。
布団から手を出して、スマートフォンを探して、震える手で
「すみません、明日お休みいただきます」
とだけ連絡した。
すぐに
「了解しました」
とだけ、上司からメールがきて、それは今思えばふつうの、なんてことのないメールだったのだけど、なんだか突き放されたような気分になった。
怒っているのかと心配になったが、「明日はとりあえず、会社に行かなくていいんだ」と思うと、一気に胸の支えがとれたようだった。
会社に行かなくていい。
ホッとして泣いた。
⭐︎
「怒られるかもしれない」と思いながら、恐る恐るもう一人連絡したのは、実家の母だった。
こちらから実家に帰るのは別として、自分の面倒さえ見れない自分を母にさらけだすなんて、また「弱い」と軽蔑されて終わる。
結局嫌な思いをして終わるのはこちらのほうではないか。
とても悩んだけれど、ためらいながら「明日すみませんが来ていただけますか」と連絡した。
次の日、病院に行って診察と薬を出してもらい、ベッドで横になっていたら、母が来た。
仏頂面だった。
「何したらいいのか早く言ってくれる?」
「お風呂、入れば?」
「年末、お墓行くでしょ?」
怒っている、絶対怒っている。
答える間もなく、矢継ぎ早に質問がとんできたが、声を出す元気もなかったのでボソボソ声をだすと、
「なにいってるか全然わからへん」
とぴしゃっと言われてあっさり終了。
来てもらってアレだが、なんだかボディクローを食わされた気分だった。
母はその間も、もくもくてきぱき、ぐちゃぐちゃの部屋を片付けていく。
わたしはベッドで横になりながら、焦点の合わない目で、魂を抜かれたようにぼーっとそれを見ていた。
ピシッと正されていく部屋の中で、だらしない自分がそこにいることはとても異質で、まるでゴミみたいだった。
もう自分なんて、どうでもいい。
そう思うとまた勝手に涙が出た。もう悲しいとかそういう域ではなくて、条件反射のようだった。
⭐︎
「終わったよ」
母は掃除機を片付けている。
ありがとうございます、とわたしは言ったけれど、相変わらずボソボソ声だったので、聞こえたかどうかはわからない。
母は分厚いジャンパーを着ながら、帰り際にこんなことを言った。
「…ねえ、あんたもう少し人に頼っていいんやで?助けを借りないと、ひとりで生きていける人間なんて、どこにもおらんのやから」
「人に頼ってもいいし、助けを借りてもいい。むしろ必要としなさい」
「でもな、そうやって人に頼りながらでも、最後に結局なんとかできるのは自分だけやで」
「冷蔵庫にプリン、入れといたから、食べなさいね」
そう言って母は帰った。
なんとかできるのは、自分だけ。
ハッとした。そうだ、そうだった。
どんなに人を頼っても、自分で歩こう、立とう、という意思がなければ、一生歩くことはできない。
人に頼ることが悪いことではなく、自分で生きよう、立とうという意思がなくなってしまうことが、1番ダメなんだ。
母はいつもわたしのこういうところにイライラしていたのかもしれない。
大事なのは、生きること。
それから手でゴシゴシ涙を拭って、のそのそと冷蔵庫まで歩き、プリンを手に取った。
相変わらず食欲はなかったけれど、スプーンにひとさじの半分だけプリンをのせて、口にふくんだ。
甘くてやさしい、卵の味がした。
冷蔵庫に入っていたのに、とてもあたたかかった。
胃が久しぶりに、固形物を受け入れてくれた。
誰かが入院して手土産を持っていくときはプリンを持っていきなさい。
胃にやさしいから。
そういえば、そう教えてくれたのも母だった。
小さなプリンひとつに、30分ぐらい、ゆっくりゆっくり時間をかけて食べた。
久しぶりに美味しい、と思った。
食べれた、と思った。
小さなプリンひとつで、とてもお腹いっぱいになって、胃薬を飲んで、そのあと久しぶりにぐっすり眠った。
それから会社をもう1日休んだ。
たくさんではないけれど、胃薬を使いながら、ご飯も少しずつ食べられるようになった。
レンジでチンするパックのご飯だけど、美味しい、と思いながら食べた。そう思えることが、嬉しかった。
2日間休んだことで、仕事はどっさり溜まっていたけれど、この2日間で脳と体が少しでも落ち着かせることができたのと、もう少しでやってくるお正月の休みを唯一の励みにして、連日をなんとか乗り切った。
やっぱり疲れがたまっていたのだろうか。
思い切って助けを借りてよかった、と思った。
自分の足で立とう、と思えるぐらいには、やっとなれた。
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やさしさって、多分色々なかたちがあると思うけれど、めざすところは割と一緒なんじゃないかと思う。
それは、「その人がその人の足で立って歩けるように、支えてあげること」。
「何か悩みがあったら、ご家族や友人に相談を」
会社の健康診断のストレスチェックの項目に、そんな文言がいつも当たり前のように書かれているけれど、相談できるご家族や友人がいない場合はどうするんだろう、といつも思う。
わたしの場合、近くに実家があり母がいたが、諸事情により家族・友人に頼ることのできないひとだってたくさんいるだろう。
特にこのご時世だし、心細い孤独な気持ちになっている人も多いはずだ。
これからはきっと、「家族・友人以外の立場の頼ることができる人」がもっともっと、必要になってくるのではないかと思う。
そして、「家族・友人以外の立場の人」に自身がなることも、多くなっていくと思う。
そういうとき、ちゃんと「家族・友人以外の立場の人」に、「助けて」って言えるだろうか。また「助けて」って言えるように、手を広げてあげられるだろうか。
「仕事をやめる」という選択ももちろんあると思うけれど、そんなに急にはやめる決心はつかないと思う。大人だもの。
なんかそうじゃなくて、そうじゃなくて、支えられたい。
また自分の足で立って歩けるように。
そんな我慢に代わる「頼る」「頼られる」という居場所や、関係がもう少し増えたらいいのに、と思うし、意外と全然知らないだけでそういう場所はたくさんあるのかもしれない。
わたしも力不足かもしれないけれど、「我慢しなくていいよ、頼ってよ」と言えるように、少しでも誰かを支えられる人になれたらいいな、なんて思う。
この記事が受賞したコンテスト
ありがとうございます。文章書きつづけます。