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冬は冬のままでそこに居てくれるから



冬の欠片が道端に落ちていた。それは粗大ゴミの中に『冬のはじまり』と書かれた看板で、その字のペンキは雨風に浸食されて溶けて無くなっているし、それ自体が錆びて朽ちているし、まるで原型を留めていないけれど『冬』という字は薄らと主張していた。私は少し立ち止まってその看板の由来を考えていたけれど全く思い浮かばず、風に背を押されるようにその場を離れた。

久しぶりに歩く田舎の街並みは不易を背負って呼吸をしているように思えたが、私の知らない間に根が生えたように居座っていた喫茶店が閉店していたし、その横の手芸店だった場所はブルックリンスタイルのカフェに変身していたし、そのまた横にあるケーキ屋のショーケースにはペンギン(?)を模した新発売のケーキが並んでいた。街全体が錆び付いて微動だにせずこのまま朽ちていくのだろうと思っていたのに、ゆっくりと新陳代謝を繰り返しながら新しい細胞が誕生しているようだ。

おいしい珈琲が飲みたいな。

ふわりと浮上した思考に誘われて真新しいブルックリンスタイルのカフェの前にはお洒落なフォントで、


ドーナツとコーヒーのテイクアウトやってます。


と、貼り紙がしてあった。その字を読んだ途端に胃袋がドーナツを欲したので、欲望に従いショーケースの前でドーナツを吟味した。

「いらっしゃいませー。…あれ?北野?」

そう聞こえてきたから咄嗟に目線を上げると店員さんが同級生だった。

「え?山田?ひさしぶりー!」

山田はこちらにやって来て互いに原監督のように両手でグーを作りそれをチョンと合わせた。マスク越しだけれど、山田の優しい目はあの頃と変わりがなくて私は少し安心した。時の流れと共に連絡を取らなくなったけれど、山田は元気そうな声で、

「最近どう?」

と、訊いてくるから、

「どうしようもないくらい、ぼちぼちやなあ。」

と、応えたら山田も、

「私もだいぶぼちぼちしてる。」

と、話していたらお客さんがいらしたので、山田は小声で、

「後で連絡先教えて。茶でもシバきに行こうよ。」

と、ジェスチャーをしながらショーケースの向こう側へ帰った。私は後から来たお客さんにダチョウ倶楽部の「どうぞどうぞ。」で道を譲って後ろでドーナツを吟味して、そのお客さんが帰った後に山田と電話番号とラインを交換した。それから山ほどドーナツを購入して家に帰り着く頃にコーヒーを買い忘れたことに気が付き、とびきり美味しいドリップコーヒーを淹れていたら山田からラインが入った。


さっきはサンキュー!
北野に会えたことが嬉しくて早速連絡したよ。
オミクロンが落ち着いたらお茶いこー♡


山田も私と再会できたことを喜んでいる様子が文字から伝わってくるから心がほんのり柔らかくなる。私も返信して淹れたばかりのコーヒーとドーナツを食べた。ドーナツはシンプルな見た目ながら生地がふかふかしていて余計な雑味がない懐かしい味がした。一気に三つ食べてあと三つを母へ残して紙袋に封をしたら、母からラインが入った。


厚揚げないから買っといて。


「ええ〜。さっき帰って来たばっかりやのに。」と、少々の悪態をつきながら、鞄を持って家を出た。その道中にある粗大ゴミ置場にあった『冬のはじまり』の看板は無くなっていた。

冬、喪失。

そう頭の底から剥がれてゆっくり浮上してきた。あの看板好きやったから持って帰りたかったとか思ったけれど、それを見た母には「何考えてんの!?」と、怒りを頂戴することになるしな、とかしょーもないことを考えていたから木枯らしが吹いて落ち葉がしゃらしゃらと舞った。少しだけ目を細めて景色を見ると、背の高いススキは穂を垂らして木枯らしに揺れているし、落葉樹は裸でなんか申し訳なさそうだし、虫の寝息も聞こえないほどに空気は冷たさを含んで収縮しているし、母親と手を繋いだ幼女は足元に転がってきた松ぼっくりを拾い上げてニコニコしているし、広場を走り回る小学生は帽子とマスクがズレてるし、ベンチに座る女子高生たちは「さっっぶー!」しか言わないし、冬は行雲流水で晴天霹靂で諸行無常で、すこしの寂寞を連れてそのうちに過去へと変化してしまうのだろう。けれど冬は冬のままでそこに居てくれるから安心して今を堪能しようと思えた。このありふれた平穏な景色が未来に残りますようにと祈りながら景色と空気と時間を圧縮して記憶の箱にそっと置いて、

あ!厚揚げ!

と、買い物を思い出してスーパーマーケットへと向かった。










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