見出し画像

【俺史】社会人20年間を振り返る #2

【前回までの振り返り】
小学校受験、中学受験と子供の頃に挑戦したことがうまく行かず、大学受験にも身が入らなかった私。なんとか現役で1校入学するも自分の大学に全く愛着を感じられない日々をすごしていました。

遂に打ち込むものを見つけた大学時代

アメフト部なら新しい世界が見つかるかもしれない

大学の入学式に行くと、様々なサークル・部活からの勧誘を受けます。
その勧誘に鬱陶しさを感じながら入学式会場に向かっていたところ、いきなり背後から肩を掴まれます。

「入学おめでとう、君はもうアメフト部に入ること決まってるから!」
と有無を言わさず2名の男女に止められました。
体の大きかった私は運動系の部活動の格好の的、餌食でしたが、真っ先に声をかけてくれたのはアメフト部でした。

話を聞くと、二人は私の学科の先輩で、4年生のミサワ先輩と3年のアヤコ先輩でした。
彼らはアメリカンフットボール部に所属しているとのことです。
「君は体格がイイね。入学式とガイダンス終わったら中庭に来て飯を一緒に食べようゼ」
彼らに誘われるがまま中庭に行くと、そこには体格の良い先輩や明らかにアスリートと思われる先輩がいましたが、話を聞くと皆、大学からアメリカンフットボールを始めた人ばかり。
一緒に昼食を食べた新入生もアメフト経験者もいません。
(今思えば、ここで昼食を食べた新入生は誰も入部しませんでしたが)

当然、勧誘活動の最中ですから、先輩もとても優しくお客様待遇をしてくれている中、今までの人生になかった「自己有用感」を感じられそうな雰囲気を強く感じました。
「あ、なんか自分が求められている。ここならば皆素人から一斉スタートで、なにか自分ができるものが見つかるかもしれない」

そうして、私はアメフト部に入部するのでした。

アメフト部での想い出は別途またnoteに書こうかと思いますが、アメフト部の活動はもう楽しかったの一言に尽きます。一方で大学生の間、勉強は身に入らず、アメフトだけの生活を過ごして、あっという間に4年生になっていました。それが2002年でした。

再度訪れる進路という関門

就職か大学院か、いや大学院入れる成績じゃない!

授業には全く出席しない私でしたが、部活の練習があったために学年で誰よりも学校に行っていました。
すると、3年の終わり(当時の就活はこの頃からだった)から、履修科目がほぼ終わっていて、日頃学校に来ていない同級生がスーツを着て頻繁に投稿するようになっていることに気づきます。

「あ、就活ってもうはじまっているんだ」

と気づくものの、部活は自分の代、つまり4年の代になっていて部活のことばかりに時間がとられている状況で、全く就活のことを調べる時間を確保できない日々を過ごします。

「部活しかやっていないし、いま時点では自分の進路は決められない」

と感じている一方で、

「大学院の一般入試に一発賭けてみるか」

などと、安易なことを考えていました。

「夢みたいなことを言うんじゃない」

親に進路の話を聞かれ、大学院入試を健闘していることを話をしたところ、彼らの答えはNoでした。
当然そうです。
学校の勉強は最低限留年しない程度にしかしておらず、アメフトばかりしてたので、親からすると早く自立してほしいと思っていたのも当然です。

「そうか、俺は就職するしかないのか・・・」

そう思いながら、当時の新卒採用ポータルNo.1のリクナビを検索しますが、全く入りたいと思うような会社や、なりたいと思うような職業が見つかりません。

どうしようか、と色々と悩む中で、私は一つのことを決めます。

「自分がどういう道を歩みたいのかは社会人になってから決めよう」

と。

そして、就活は以下のような活動方針としました。

 ・氷河期とか言われているけどエントリーは5社以下にする
 (時間の無駄だと思ったので)
 ・最初に決まった会社に決める
 ・賃金と福利厚生が平均以上の上場会社
 ・志望した会社は徹底的に調べる
 ・営業職等ではなく、なにかおもしろい技術が得られる技術職にする
 ・1ヶ月の就活期間で決まらなかったら別の進路を考える
 ・アメフト部の活動への影響を最小限とする

こんなルールで就活を始めてみました。

あれ?結構うまく進んでしまっているけどイイのかな?

色々と選んだ結果、自分でも就活という競争で勝負できそうな以下の4社を選びます。
家具メーカーの技術職(2番手)、トイレメーカーの技術職、大規模空調のエンジニア職、電力会社の技術職(本命)

ココにエントリーします。

書類で落とされたのがトイレメーカーと電力会社。
空調と家具メーカーは順調に採用面接が進みます。

「あれ?就活ってこんなものなのか?」

というくらい、トントン拍子に決まっていきます。
就活って厳しいと聞いていたのですが、、、いや、自分と同じアメフト部の同期は確実に苦しんでいるのに、こんな簡単に決まって良いのかしら?

そういう疑問を少し感じつつも、実際に受け取る「面接突破」の情報に心を躍らせる自分がいました。

とにかく、早く就活終わるといいなぁ、、早く部活に集中したい。

そう思っていながら、本命企業の最終面接に望みます。

最終面接に最大の試練が訪れる

1次面接、2次面接がトントン拍子に通り、いよいよ最終面接となります。

ここで、自分の今後に大きく影響する出来事が2つ起こります。

①「あれ?どう答えたら良いのだろうか?」
最終面談には取締役の方が参加されていました。
面談の会話の中で一人の方から、

「君がこの学生時代に学業や部活に打ち込んできたものは理解しました。」

「では、それ以外に何か大切にしてきたことや時間をかけて取り組んだことがあれば教えて下さい」

私の就活面接でのアピール戦略は大きく3つ有りました。
 1)SPIは圧倒的に良い点数を取る
 2)部活8割、学業2割でアピールをする。
 3)成績悪いのは部活が理由で授業出席できなかったためであって、その中で最大限頑張って留年しないで4年生になった
  (SPI高ければ基礎学力は疑われなくて済む・・・という戦略)

つまり、部活とチョットだけ勉強、その2本立てでした。

で、この取締役は「ではその2つ以外は?」と聞いてきたのです。

・・・そんなもの全く有りません。 
仮に、何かあるように装おうとしても全く準備してきていません。

「あ、どうしよう。なんて言おうかな。。。」

と焦る中、今でもなぜそんな事を言ったのか全く理由が思い出せないのですが、こんな事を口走ります。

「私は自分が所属する組織の皆さんに、明るく活動に取り組んでもらいたいと思っているので、いつも人のことを喜ばせたり笑わせたりすることに心を配ってきました!」

と口走り、

「今日もこの場にいる皆さんを明るくさせるために一つ見ていただきたいものがあります!」

と言って立ち上がります。

「では、失礼します!」と言って、

最終面談の面接室に活けてある一輪挿しを握りしめて、花をとり、一輪挿しの中の水を一気飲みをしたのです!!(何故そんなこと?笑)

立て続けざまに

「美味しいです! おかわりお願いします!」

と言って取締役におかわりをおねだり。

これ、今思えば冷や汗がでる思いですが、なぜかこの咄嗟の判断が功を奏します。

なんと、面接会場の全員が大爆笑してくれたのです。一人の取締役の方は涙を流しながら笑ってくれていました。

「はい、分かりました! 素晴らしい心構えですね!」

そう一人の取締役が言ってくれて、その質問についてのやり取りは終了しました。

「危なかったぁ・・・」
なんとかその場を切り抜けましたが、その場で取締役に植え付けたこのキャラが未来の私を苦しめることになることをこのときはまだ知りません。

②「何でもやります!」という意気込みが・・・
なんとか場を切り抜いた私ですが、立て続けに取締役から質問をされます。
「これは皆さんにお伝えしていますが、希望する配属にならない可能性もあります。それでも大丈夫ですか?」

と問いかけられました。
当時、体育会系の学生だった私は、上の責任者から言われたことには
「はい!」「わかりました!」しか答える選択肢しかないと思っていました。

当然、「はい!何でもやります!」と答えます。

取締役も「そうですか、では期待しています!」と答えてくださいました。

「よっしゃ!これは受かったんじゃないかな!?」当然「期待」という言葉には、未来の要素が含まれているので、絶対に合格したのではないかと私は確信しました。「やっと就活追われるな。。。よかった」とホッとして自宅に戻りました。

ただ、このときはこの日の発言の「何でもやります」が後から私を苦しめることになることについても、当然まだ知るわけも有りませんでした。

内定通知→内定式→部活引退

なんとか最終面接を切り抜け、1週間後に内定通知をいただきます。

「はい!就活終わりー!」

ということで、部活に学生時代の全ての時間を打ち込むようになります。
相変わらず、勉強はしません。

一応、理系の学部なので3年生から研究室に配属されるのですが、その研究室のゼミも要所要所での参加以外には全く関与しないような生活でした。

同期の注目を得た内定式

内定式は10月1日にありました。
アメリカンフットボール部の活動は9月から11月までがピークシーズンです。

このときの私のアメフト部の状況を少しお伝えすると、入学時には加藤学生リーグの2部に所属していました。2部というのは、まぁまぁ真面目に取り組んでいるレベルだったと思います。

しかし、このときの我が母校のアメフト部は2部リーグの中で低迷していました。
1年時は2部と3部のリーグ入れ替え戦で辛うじて勝利し2部残留。
2年時も2部と3部リーグの入れ替え戦で試合終了直前に大逆転を喰らい、3部降格。

3年時は3部として2部リーグとの入れ替え戦に参加し勝利、2部再昇格。

こんな歴史を辿った上での4年生、自分の代なので、もう自分の代では絶対に入れ替え戦に行くような事にはしたくないと思っていました。

そんなリーグ戦の最中ですので、私のルックスは完全に部活モードでした。

内定式に現れた私の姿は、、、
・スキンヘッド
・体がPump upしすぎてスーツの上着のボタンが閉まらない
・異常なまでの日焼け

こんな状況で現れたのです。

採用してくれた会社は、国内オフィスNo.1家具メーカーで、営業職の同期はとてもスマートで爽やかな印象、設計職デザイナー職の同期はとてもオシャレな着こなしで、いかにも若者の出で立ち。 事務職のショールーム採用の女子はとてもきらびやか。

そんな中、技術職の同期は割と芋っぽく、もっさりとした印象が多かったのですが、明らかに1名プロレスラーのような私が。。。

「ハマちゃん、まじスキンとかウケるんだけど!」

とイジられ、その場にいた人事担当者も最終面談の私の発言もあったためか、かなり温かい目で見ていただいていたと思います。

ただ、そんな私は

「あぁ、早く部活に戻りたいんだけどなぁ。。。」

と思っていました。

内定式後に同期たちは飲み会を自主開催し、関係性を深めようとしていました。
当然、ハゲ坊主の私も飲み会のネタにはちょうどイイはずで、皆さんに誘ってもらっていたのですが、

「ごめん、部活あるから学校もどるわ。本当ごめん!次回誘って!」

と伝えて学校に帰っていきました。

とにかく、この時の私は内定はもらったので、将来入る会社のことは、部活終わるまでは一切考えない。

とにかく、この時のプライオリティは部活、部活、部活、だったのです。

部活引退、、、あれ?

最低限の目標達成はできた部活動

既に書いていますが、この時の僕の部活を頑張るモチベーションというか、目標は「とにかく、下部リーグとの入れ替え戦に出ない」というものでした。

部としての目標はもう少し高い「上部との入れ替え戦に出場」というものでしたが、自分の不甲斐なさもあってそれは未達成でしたが、なんとか最後の最後に踏ん張って、下部リーグとの入れ替え戦に出ずにシーズンを終了します。(8チーム中5位だったかな?)

自分の大学生活の全てをかけていた事もあって、この引退で私は燃え尽きました。

ただ、この燃え尽きは今までの人生ではあまり感じられなかったような、不思議な達成感、目標達成していないのに、なんか「オレ、やりきったな!」という感覚が芽生えていました。

もしかすると、初めて自己有用感を感じた瞬間だったかもしれません。

決して良い4年生、良い先輩、良いプレーヤーではなかったかもしれませんが、2部リーグを維持したことでOBとして部活に行っても後輩やコーチたちに快く受け入れてくれることが想像できたのは大きかったと思います。

また、いろんな事件や出来事が会ったにもかかわらず、やると決めた事を辞めずにやりきったという事実に、自信が芽生えるような感覚がありました。

引退してすぐに彼女ができた

このnoteを書きながら思い出したのですが、実は部活をやりながら気になる女の子がいました。ただ、相手も体育会系の部活をやっていてシーズンがほぼ重なったいた事、自分の部活もやりきりたかったこともあって、シーズン中には自分の思いを打ち明けることはせず、ずっと我慢をしていました。

シーズンが終わり、自己有用感・自信が芽生えた私は、その子に告白します。それが思ったより簡単に「YES」の返答をもらえて、そのままお付き合いすることになります。

部活ばかりの学生生活でやり残していた、女性とのお付き合いをなんとかココで挽回しようと、新しい目標と言うか、熱中するものを見つけるのでした。

部活引退、そして彼女ができる。
今の言葉で言うリア充生活に浸る私でしたが、実は卒業研究と社会人という2つの大きな影が忍び寄っていました。

そんなことに気づかないまま、2002年が終わり、2003年年明けを迎えるのでした。

#3に続く

この記事が参加している募集

部活の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?