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心地よい文章は、冷静と情熱の間にあるのかもしれない
この情報化社会に生きる私たちは、出会う文章の全てを、端から端まで読んでるわけではない。
大抵はスマホの画面で、読めているのか読めていないのかわからない速さで、下へ下へとスクロールする。
それは食事の代わりにWider inゼリーを飲むような(美味しくて好きだけど)、「必要なカロリーを摂取した」という気持ちになるような、そんな読み方。
「そのニュース、読んだよ!…えーっと、なんだっけ?」
となることも、少なくない。(私の場合…)
これは、死活問題である。
なにが死活問題かって、「文章を読まないから読解力が無いんだ」とかいう話を、私はしたいわけじゃない。
これは、文章を書く人にとっての、「死活問題」なのである。
・読み進めたくなる文章は、「リズム」で決まる
私は、本を読むのが好きだ。
そして同じくらい、文章を書くのが好きだ。
だから毎日、飽きもせずにnoteを書く。
そして、せっかく文章を書くのなら、やっぱり少しでも多くの方に読んでもらいたい。
そのためには、自分の「文章力」を鍛えないといけない。
そんな想いを胸に、ゆめひと(わなびー)さんがnoteで紹介されていた本を読んだ。
読んだ本は、noteでは知らない人はいない古賀史健さんの「20歳の自分に受けさせたい文章講義」だ。
この本の中で私が一番重要だと感じたエッセンスは、
文章は「リズム」で決まる
という一節だった。
私が何となく、ぐるぐると頭の中で言語化出来なかったことを、取り出してもらったような感覚があった。
「リズム」とは、句読点をどこに打つか、という表面的な技術に留まらない。
一番気をつけるべきは、読む人に「?」を感じさせない、ということだ。
例えば、
「その日は雨だった。だから気分が良かった」
という文章を書いたとする。
大抵の人は、「なんで?」と頭の中に「?」を感じる。
論理が破綻している、と感じるのだ。
普通は、雨が降ったら気分が悪いはずだから。
自分の中で「雨の日に気分がいい」と感じる理由があるのであれば、ちゃんと前後の文脈を説明しなければならない。
エモさ(=情熱)を伝えたかったら、エモさだけに任せていたらいけない。
そのエモさを伝えるには、冷静さが必要なのである。
「読んでくれている人は、この文章を最後まで読んでくれるのだろうか?」
と、常に頭の中のどこかで冷静さを保ち、文章を書く必要があるのだ。
・心地よさはどこからやってくるのか
古賀さんの本を読んだ後に、私はたまたまベルクソンの「時間と自由」という哲学書を読むことにした。
その本では、人が心地よさ(本文内では「優美さ」と表現されている)を感じる瞬間について、「ダンスを観る時」を例にして考察されていた。
リズムと拍子は、舞踏家の動きがリズムに従い、予見できるようにすることによって、今度は私たちがその動きの主人だと思うようにさせるからである。(〜中略〜)実際に彼がその身振りをするとき、彼の方が私たちに従っているように思われるのだ。
人は滑らかな踊りに優美さを覚える。
そして、そこにリズム(あるいは音楽)が付いていると、「その予測性に合わせて操っているかのような感覚」を覚える。
つまり、「こう来たらこうだよね、そうそう」と感じられる滑らかな動きに、私たちは美しさを感じるのだ。
逆に、下手なダンスについては、このように考察されている。
ぎくしゃくした動きが優美さに欠けるのは、各々の動きが自己完結していて、それに続くはずの動きを告げていないからである。
確かに、滑らかさやキレがないダンスを観せられたら…きっと私たちは、全然ノレないだろう。
つまり文章におけるリズムについても、読者が「そうそう、そうなんだよね」と感じさせられる優美さが必要なのではないだろうか?
あたかも「自分がこの文章を書いたかのように」没入させることができたら、絶対に最後まで読んでくれるに違いない。
・書けるようになるまで書き続ける
もし、自分の文章をより多くの人に読んでもらいたいと願うのであれば。
ダンサーが鏡の前で毎日毎日ダンスの練習をするように、私たちだって来る日も来る日も書く練習をするべきではないだろうか。
つまり、文章のリズムに読者がノッてくれる日を目指して、ただひたすら書き続ける、ということ。
そして、書いた文章を推敲する(=鏡で見る)ことも同じくらい大切だ。
どんなに実力のあるダンサーだって、ステージに立つまでは、何日もかけて何回も何回も繰り返し踊るんだろう。
指の先まで鏡で動きを観察し、時にはビデオに録って、そこに優美さが宿っているかどうかを、確認するかもしれない。
だったら私たちも、文章の優美なリズムが自分に染み込むまで、何日もかけて何回も何回も繰り返し書き続けるのは当たり前のことだ。
毎日続ける情熱と、鏡の前で「ああでもないこうでもない」と自分にダメ出しする冷静さ。
その冷静と情熱の間に、「心地よい文章」が生まれるのではないだろうか。
いつか、自分の文章を読んでくれた人が、そのリズムに心底ノッてくれる日が来るまで。
私は毎日毎日、文章を書き続けようと思う。
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