小説:バブル期の日本 : 帰国子女はずるい
あたしは人に負けない。絶対。
小さなころからあたしはアメリカに憧れてた。
昭和の時代、日本はアメリカの情報で溢れていた。
アメリカはやっぱりすごい。
何においてもすべての分野で世界で抜きん出て優れている国。
スケールが日本の何倍も大きくて、自由がある国。
世界一強くて影響力のある国。
豊かで、一流の物が数限りなくある国。
模範にすべき国。
追いつけ、追い越せの国。
素晴らしい国アメリカ。
夢の国、アメリカ。
世界中の人々が憧れてやまないアメリカ。
あたしみたい優れた人間に相応しい国、アメリカ。
アメリカでいずれは暮らしてみたいな。
アメリカ人みたいに喋ってみたいな。
ああ、早くアメリカに行きたい。
大きくなるにつれ、あたしの中ではアメリカへの憧れが日増しに膨れ上がってった。
両親はあたしがなぜだか幼い頃からアメリカが大好きな事を知ってた。
アメリカを知るためにはお金も時間もいくらでもかけてくれる。
アメリカの子供向けテレビ番組。歌や人形劇で楽しさに溢れるその番組をいっぱい見たくて、親におねだりして買ってもらった貴重なビデオデッキで録画し、テープが擦り切れるまで見たし。
子供向けのアメリカ映画。美しいアニメーションではおとぎの世界が溢れている。そんな映画を見てはそれこそアニメの世界にうっとりしたし。
何を言っているのか分からなかったけど、あたしはただただアメリカのテレビ番組をアメリカの子供と同等に見ている自分が得意でならなかった。
小学校の頃から英会話塾に通っていたあたしは、塾ではいつも一番。
赤い文字でABCの書かれたボードを前に、皆でABCソングを歌う。
先生のお話する言葉を真似して大きい声で言ってみる。声の大きさはクラスの中でも一番。
どの先生も「マリナの話す英語はまるで生粋のアメリカン・ガールの様だ」と手放しで褒めて下さったし。
他の人と違う事をやって一番になることが大好きだったあたしは、英語の世界に夢中になった。
中学に入って英語の授業が始まると、簡単すぎて退屈になった。
テストがあればいつもあたしだけ満点。
先生からは全国英語スピーチコンテストに出る様に声をかけられちゃった。あたしみたいに出来る人間はやっぱり他と違う。
このニュースを聞いて、両親は大喜びだった。あたしは勇んで学内の選考試験に臨んだ。スピーチのテーマはアメリカと日本の子供達の交流について。コンテストの当日は、父も会社を休んであたしのスピーチを聞きに来てくれるという。
でも、あり得ない事に、あたしは次点になった。
絶対に何かの間違いだ。
先生に詰めよって結果を考え直してもらうようお願いしたが、判断は覆らなかった。
結局コンテストには出られなかったが、この失敗があたしの英語熱にさらに火をつけた。
大人になったらアメリカに行って、絶対に、絶対に向こうの人にと対等の英語を喋る。
そう決めたあたしは、これまでよりももっと英語にはまった。
高校受験は失敗した。
本当なら私立の英語に力を入れていて、海外留学も出来る学校に入ろうと思ってたのに、学校推薦をもらえなかった。英語以外の教科が平均点以下だったから。
県内の英語に力を入れている学校は全て落ちて、結局は近所の公立高校に入ることになった。
高校に上がったあたしは、部活はバスケットボールを選んだ。
アメリカの高校生の間で人気を博しているバスケットボール。プレーしているだけでアメリカにいるような気分になっちゃう。あたしは夢中になってボールを追いかけたし。一人で自主練して、走り込みやシュートの練習も毎日欠かさなかったし。
バスケ部では厳しい上下関係が敷かれてた。
下級生は上の学年と対等に扱われず、上級生の言う事を聞くのが絶対の関係。
試合に出るのはいつも3年生。あたし達1年生は基礎練習を教わるのとボール拾い、モップ掛けくらいしかやらせてもらえない。いつまでたっても素人扱い。
実力も無いくせに、たかだか1年や2年早く生まれただけの生徒が威張っている環境は、テレビ番組や本からアメリカの感性や習慣や価値観を学んだあたしにはどうしても受け入れられなかった。上からはいつも見下されているような気分になった。
自由の国アメリカのスポーツで、このような日本の古臭い上下関係があるなんてバカみたい。
こんなのあたしが無くしてやる。
2年半過ごしたバスケットボール部では、最終的にキャプテンを任され、県大会への出場も果たした。
上級生が出ることの無かった県大会。これまで上から見下されていた先輩達をやっと見返すことが出来た。あたしたち学年はやっぱり先輩達よりもすごいんだ。
バスケ部の学年ごとの上下関係も無くして、皆が平等に試合や練習に出られるようにした。
ここはアメリカ流の価値観に詳しいあたしが何とかしないと。公正で実力があれば年齢は一切関係が無い。アメリカの様に自由と平等の精神を採り入れないと。
上下関係なんて、アメリカに行ってしまえば一切気にすることが無くなっちゃうはずなのに。
3年の引退試合が終わって、バスケットボールトとはさようならになった。そして大学進学に向けて猛勉強をする日々が始まった。まずは国語と数学をどうにかしないと。
それでもあたしの英語熱は冷めなかった。
最新の参考書や問題集はいくらでも親が買ってくれる。アメリカ人に少しでも近づきたいあたしは、奮って問題集に挑んだ。
アメリカへの旅行記や滞在記の本も、数えきれないくらいに読んだ。
毎日の様にアメリカの情報に触れ、心はすでにアメリカにいるようなものだった。
アメリカで暮らしたい。地元の人と英語で話したい。
あたしは将来、英語の言語学かコミュニケーション論を学ぼうと思い始めた。
希望の私立大学に受かったのは1989年の春。学部も希望していた英語学科に入れた。留学生が多く、国際的な雰囲気のある大学と聞いて憧れていた大学。
赤レンガのどっしりとした趣のある校舎が立ち並ぶキャンパスには銀杏並木があり、まるでアメリカの古い大学に来たかの様な気分になる。
やっとこれであたしの本領発揮。並みいる人に、あたしの本場さながらの英語を聞かせてあげる。
専門の英語は受験の時の点数ごとに順位を付けられ、上位の40名が上の4つの組に入る。残りの60人は、点数に関係なく下の6つの組に振り分けられた。
あたしは上から4番目の組に入ることになった。
上位に選ばれたのは、ものすごく気分が良かった。
あたしは選ばれし人。
上位の組に入ったのだもん、4組の中でも絶対あたしがトップのはず。
授業が始まったその日、あたしはアメリカの大学生が使う紐状のブックバンドを購入し、ノートとウェブスターの辞書を束ねてバンドで十字架の形に縛り、胸の前に抱えて大学に通った。
アメリカのファッション雑誌に載っていたモデルさんの様にラルフローレンのシャツの襟を立て、ロングのタイトスカートを履き、バンドに束ねた辞書を持って大学の中を歩き回った。
あたしがこれから使う、買いたて新品の英英辞典のウェブスター。アメリカが世界に誇る辞書。大事にケースに入れて大学の構内を颯爽と歩いた。
バスケ部を引退してからやっと伸ばせた髪を春風になびかせ、ウェブスターの文字を道行く人に見せながら歩く。
英英辞典を持って歩く自分が誇らしくてならなかった。そんじょそこらの英和辞典を使っている連中と一緒にしないでよね。あたしは英単語を英英辞典でひくの。道行く人は、あたしの事をアメリカ人だと思ってるはず。絶対に。
専門の英会話の授業が始まった。担任はオドンネル先生といって、アメリカから来たクリスチャンの神父様だった。
古い木目調のインテリアと白い壁の教室で行われる授業では、入試で上位40位台になったクラスメイトが10人、1年間一緒の英会話の授業を受けることになった。机を四角に並べて輪を作り、皆の顔が見えるようにして授業が行われる。
思っていた通りクラスメイトの英語のレベルは大したことなく、皆カタカナ英語で喋っている。文法も怪しげな人が何人か。やっぱりクラスのトップはこのあたし。
あたしは教授からあてられるのを心待ちにして、毎回の授業に出る様になった。
教授に充てられて、教授の言っていることが理解できた時の嬉しさ。小さい頃に英会話学校に通っていた頃の思い出がよみがえる。あたしが一声発すれば、アメリカンな英語が教室に響き渡る。教授にもあたしがネイティブだって通じているはず。絶対に。
今教授が仰っていた質問には、比較級の構文で答えようかしら?
ううん、やっぱり原級による比較級の方がいいかしら。
あたしはアメリカのネイティブなんだから、間違えないのが当然。
クラスには、カナダに数年住んでいた同級生がいた。この人は教授が指す前に自分から発言をしてクラスを乱していた。今日も学生の飲酒についてのトピックについて話していた時に、この人は話を独占していた。
「I believe some of you have started saakuru. Have you been to Izakaya for drinking? Did some of you do ikkinomi? This is very Japanese custom, the ikkinomi.」
オドンネル先生が聞く。するとカナダ君が1人で話を持っていってしまった。
「Yes, I saw some of the seniors were doing ikki. But I don’t think it’s a particularly Japanese thing. I read in newspaper that binge drinking has been a problem among university students in Canada. What do you say, guys? Has anyone read or seen someone from abroad drinking heavily?」
え、何?何なの、この人?
ちょっと英語が喋れるからってクラスの規律を乱すって、どういう事?
これだから帰国子女は駄目なのよ。
教授からあてられたら話すのが常識でしょう?発言する機会は皆平等に。こんな当たり前の常識が無いなんて、恥ずかしい人。
でもなぜかオドンネル先生はカナダ君をいつも褒めた。積極性があって、英会話のリーダーだとまで言う。
あたしは納得できなかった。ちょっと英語が喋れるだけでリーダー?クラスの規律を乱して他の人に話すチャンスを奪っているくせにリーダーですって??
リーダーっていうのはあたしみたいに高校で部活のキャプテンをやっていた人間の事をいうのよ。単にカナダに居たごときでリーダーだなんて許せない!
サークルは英会話サークルを選んだ。何かの形で英語を話す機会が欲しかったから。
サークルに同級生は数多くいたが、あたしの英語に勝る人はいないはず。皆に英語を教えるべく、昼休みのサークル活動に顔を出した。
サークルは一般教養で使う教室を使っていた。新しくできた何の変哲もない広い教室。そこにお昼休みに集まって、英語でディスカッションをするのがサークル活動の主なものだった。教室は先輩達や同学年の子達で溢れかえっていた。
どの人の英語も下手で聞いていられない。あたしが高校までに磨き上げた正当な英語を、早く皆に教えてあげないと。
ディスカッションで先輩に当てられるのをあたしは辛抱強く待った。ひとたび口を開けば、皆あたしのネイティブの発音に驚くはず。
英会話サークルはパブリック・スピーチとディスカッション、ディベートの3つの活動に分かれていた。あたしは昔の雪辱を果たすべく、パブリック・スピーチの部門に入ることにした。
入学したその春はスピーチのコンテストの練習で先輩たちは昼のサークル活動には参加しておらず、先輩達が具体的に何をやってるのか教えてもらえない。スピーチの練習の見学すらさせてもらえなかった。これって、やっぱり上下関係のせい?
そのうち英語スピーチ部門に、同じ英語学科の先輩がいると聞いた。
英会話サークルに来ている同じ学科の人なんて、どんな人なんだろう。
ううん、絶対大したことない人達のはず。
どうせ英会話ができないとかいう理由で入ってきて、英語のレベルもものすごく低い人達なんじゃない?英語学科なのに英会話サークルに入っているなんて、どうしようもなく出来が悪い人なんじゃないかしら。
ま、上級生なんてあたしの敵じゃない。
しばらくしてスピーチをやっている先輩達と会う機会が出来た。あたしはくだんの同じ学科だという先輩に目を付けて話しかけた。
稲葉さんというその3年生の先輩は、どうということの無い普通の見掛けで、肩下ぐらいの長さのストレートヘアに単なるデニムのシャツを着て、下はジーンズにコンバースのシューズ。その辺で売っていそうな赤のリュックサックを背負っている。あまりにダサくて思わず笑ってしまった。そんじょそこらの高校生みたい。
「稲葉せんぱーい、はじめまして!1年生の芹沢満里奈です。あたしぃ、先輩と一緒の英語学科なんですぅ」
「あら!初めまして!英語学科がもう1人増えたとは!ねえ、山ちゃん、彼女英語学科なんだって!」
「咲さん、マジですか!これで3学年皆英語学科がそろいましたね」
山ちゃんと呼ばれていた先輩は、山崎さんと言って、2年生だった。細身で背がとても高く、こちらもどうということの無い白いシャツとジーンズ姿。でも学科では一番上の1組なんですって。じゃあこの人が一番英語が出来るってこと?
あたしより上のレベルの組の人。ちょっと睨みつけたくなるけど、上下関係も厳しそうだし、ここは大人しく猫を被っておこう。甘えん坊な可愛い後輩を演じなくっちゃ。
「咲さんは1年の時は3組だったんだけど、もともとは2組に入るはずだったんだよ。先生たちのトレードで下のクラスに下げられちゃったんだよね。オドンネル先生のご指名があったらしいよ。授業が退屈だったって言ってたよ」
下げられた?よっぽど成績が悪くて下げられたのかしら?先生たちも自分がいらない生徒はトレードするのかしら。
それでも3組は3組。あたしのいる4組とはレベルはあんまり変わらないはず。あたしはもう一度稲葉さんに近づいて話しかけた。
「芹沢さん、英語学科なんですよね。嬉しいな、同じ学科の人が増えて」
「はい。4組なんです。知ってますよ、稲葉先輩の事。オドンネル先生に1年生の時に習ってましたよね」
「ああ、オドンネル先生のクラスなんだ!」
4組は3組の1つ下、という位置漬けだ。けれども、4組のトップと3組の1番下の成績の生徒ならレベルは変わらないはず。
「先輩、あたしと同等になりましたね」
「うーん、私は語学の専門、もう終わっちゃったからね」
「そんなこと言っても、先輩は3組であたしが4組という事には変わりませんよね?あたし達、同じレベルですよ」
「そっか、頑張ってね!」
そっか、頑張ってね?
こちらの気をそぐような返事が返ってきた。この人、何であたしに対して嫉妬しないんだろう?
折角あたしのような優秀な成績の人間がわざわざ先輩のレベルまで降りて行ってあげて同等だと言っているのに、悔しそうなそぶりすら見せない。
「そう言えば芹沢さんの4組なんだけどね。オドンネル先生が、今年の1年生は積極的じゃないってこぼしてたから、芹沢さん、授業ではどんどん頑張って発言してあげてね。先生がかなり参っちゃってて、私に愚痴をこぼしてくるのよ。何もしてあげられないんだけど・・・」
え、何、この人。
何でそんなに1年生の授業の様子まで知ってるの?
授業で発言だなんて1人の学生が独り占めにしていて、まさにあたしが不満に思っている事なのに。あたしだって本当は話せるのに帰国子女が会話を一人占めしてるから・・・
この人、2年生までオドンネル先生に教わってたと聞いたけど、教授からそんな細かい事までこぼされるって、いったいどんな関係なんだろう。
なに、この特別感満載の雰囲気。むかつく・・・
そこへ、スピーチ部門のリーダーである秋山さんから皆に話があった。
小柄ではきはきした明るそうな先輩だった。ベネトンの明るいオレンジのポロシャツが似合う人だった。
「スピーチコンテストに出た皆さん、お疲れ様でした。やっと春のコンテストでも勝てたし、今年もこの勢いで頑張ろうね。
で、新しく入って来た1年生に私たちが普段何をやっているか見てもらおうと思うので、明日の授業の後、模擬スピーチ大会をやりましょう。その後は飲み会とカラオケもあるからお忘れなく!」
飲み会とカラオケ?なんだか楽しそうなサークルに入ったな。あたしは嬉しくなった。
翌日の授業の後、あたしは指定された教室に行った。少しでも周りに印象付けられるよう、ラコステの白いポロシャツの襟をぐいと立てて、勇んで教室へと入っていった。
どっしりとした木目が印象的な、半円形を描いた階段式の机が並ぶ講義室。黒板の前には今日の模擬スピーチをする人たちが並んでいる。それぞれが紙を1枚ずつ持って、一生懸命になって目を通していた。皆スーツに身を包み、男性はネクタイを付け、靴も革靴を履くなど、普段とは違った雰囲気だ。
「いらっしゃい!どこでもいいから座ってね。そろそろ皆揃う頃かな」
秋山さんが笑顔で迎えてくれた。
「英語を聞き取りやすい場所ってどこですか?」
「あ、それは心配ないよ。皆声が大きいからびっくりしないでね」
遅れてきた同級生たちが息を切らせながら席を取って、しばらくすると模擬コンテストが始まった。
スピーチは英語圏の様々な名スピーチと呼ばれるものが披露された。
マーティン・ルーサー・キングJr. のスピーチ
インドのガンジー首相のスピーチ
マザー・テレサのスピーチ
チャーリー・チャップリンの映画の台詞
アメリカ人はマーティン・ルーサー・キングだけ?あたしは不満になった。
レーガン大統領やケネディ大統領、リンカーン大統領とか、もっとこうアメリカ!っていう感じのスピーチは無いの?
アメリカ人ならではの豪快で説得力のあるスピーチ。そういうものでなければ聴衆の心を捉えられないでしょう?そんなことも分からないのかしら?
いざスピーチが始まってみると。先輩たちは確かに皆、声がとてつもなく大きかった。かえって五月蠅すぎるくらい。
全くもう・・・
これはあたしがこのスピーチ・グループのリーダーになった時に変えないと。
聴衆の耳に優しいスピーチ。何でこんな簡単な事すら分からないんだろう、この先輩達。
やっぱり年上の世代は前例踏襲ばっかりしてるのね。頭の悪い人達。
肝心の英語の発音はカタカナ英語で発音の悪い人たちが多く、正直言ってすぐにでもあたしを出させろと言いたくなるような発表ばかりだった。
なんだ、ボロボロじゃん、この人達。
あたしみたいに、人様に聞かせられる英語を話しなさいよ、全く。
そのうち、稲葉さんが黒板の前に立った。プログラムからすると、イギリスのエリザベス女王のスピーチをやるらしい。
何、この人。イギリスかぶれ?バカじゃないのかと思って聞き始めた所、瞬時にあたしは混乱した。
目の前に立っている稲葉さんは、日本人の顔をしている。
しかし、話している英語は、あたしの知っているアメリカン・イングリッシュでは無かった。
声まで日本人と違う。
日本人っぽい発音にも聞こえるけど、外人がしゃべっているようにも聴こえる。
え、何?何これ?
この人何なの?
「芹沢さん!静かに!」
「満里奈ちゃん、筒抜けだよ!」
思っていたことを全部口に出してしまっていたらしい。
「稲葉さんって、外人?」
「違うよ。帰国生だよ」
あまりにもショックだった。
あたしと同じ普通の公立高校の出身とばかり思っていた、英語のレベルもあたしと変わらないか、もっと下だと思っていた人が、まさか外国人の様なしゃべり方をする人だなんて。何なの、この人?
でもちょっと待って。
単なるスピーチだもん。
覚えた事だけを口に出しているだけでしょ?短い文章をちょっと練習すれば、誰だって出来ることでしょう?あたしがちょっと本気を出せばアメリカ人と変わらずにスピーチをする事なんて簡単。
あたしは息を整えた。
このスピーチ部門にいる人たち全員をあたしの英語であっと言わせるんだ。
次はあたしがあの檀上に立って、アメリカの素晴らしい英語で、聞く人を圧倒させてやる。
模擬スピーチが終わって、夕食とカラオケ大会が始まった。
気軽な居酒屋で、皆でわいわいと騒ぎながら夕食。その後は隣のビルにあるカラオケに行った。
英会話サークルでも先輩たちのカラオケのレパートリーは広く、洋楽からロック、フォーク、アイドルソングやアニメソングまで出て来る。あたしは今流行りのポップスを歌った。
しばらくして見慣れない横文字の画面が出てきた。
「あ、これ私」
そう言って稲葉さんがマイクを握った。
流れてきた曲は、ミュージカル「レ・ミゼラブル」の主題歌だった。
稲葉さんはこの唄をごく自然に英語で歌っていた。
信じられなかった。
さっきのエリザベス女王のスピーチのショックが収まったかと思いきや、今度はミュージカルの歌を流暢な、日本語訛りのほとんどない英語で歌っている。
あたしは、悔しくて稲葉さんをキッと睨んだ。
けれどもちょっと待って。
歌もスピーチもあらかじめ用意してある歌詞や原稿を読み上げるだけのものでしょ?何かを読むことなら誰にだってできるじゃない。何、そんな簡単な事。
それに稲葉さんは英語で普通に話せやしないだろう。
あたしみたいに、アメリカ人から「生粋のアメリカン・ガールの様に話す」と言われるほど英語が流暢なわけじゃないだろうし。大丈夫、稲葉さんのメッキもすぐに剥がれるはず。
そう心の中で言って自分を落ち着かせた。誰が稲葉さんごときに真剣にならなきゃいけないの?
スピーチ部門の活動が始まり、あたし達1年生は自分のスピーチを書いてくるように言われた。仕上がったスピーチは、新入生を対象とした学内コンテストで発表することになるという。制限時間は3分。テーマは与えられた5つの中から選ぶことになっていた。
1.国連の役割と今後の世界平和について
2.日本人の国際化と今後の展開について
3.海外の教育事情の良い点と悪い点について
4.オリンピックの目的と貢献について
5.国際交流の重要性について
あたしは5番目の国際交流の重要性を選んだ。もちろんアメリカと日本の交流についてだ。
日本にはアメリカの物も思想も足りない。
常日頃から日本ももっともっとアメリカの影響力を受け入れなければと思っていた。
アメリカの価値観や行動様式を取り入れ、アメリカからの輸入をもっと増やしてアメリカの衣食住を日本に根付かせなければ世界一のアメリカという国と対等になれない。
アメリカももっと日本との関係を重視して、人と人との交流を増やしていかないと日本人がアメリカと同等になれないと感じていたあたしは、思いのたけを原稿に叩き付けた。
前置詞の目的語は名詞で。等位接続詞を使って文章を滑らかに。
複合名詞は可算名詞に気をつけてネイティブらしさを強調して。
週末を挟んで5日間。最後の1日は徹夜をして書き上げた原稿を先輩に所に持っていくと、紙が真っ赤になるほど手直しをされた。
文章として文法的に間違っている所から始まり、観客を惹きつける表現、話し手の考えを明確に表す表現にとどんどん手が加えられる。あたしがせっかく書いた文章は八割近くが直され、消えて行ってしまった。屈辱も甚だしかった。
「あんまり気にしないでね。初めての人はこれが普通だから。直してもらったところをちゃんと復習すれば、英語の勉強にもなるからね」
気にするも何も、これを直したのが稲葉さんだという事もムカついた。単に発音が良いだけで人の書いた文章をめちゃくちゃにするなんて!
「あの人はニュージーランドに住んでたからね。少なくともこの中では一番英語が出来る人だよ」
「え、でも山崎さんの方が学科では上の組ですよ」
「山ちゃんは特別。あの人は文法で満点を取ったらしくて、そういう人は会話が苦手でもトップの組に入ることになるのよ。会話に少しでも役に立つなら、とスピーチをやることにしたんですって」
「え、でもそうしたら、山崎さんが赤を入れるべきではないんですか?何で稲葉さんなんかが・・・」
「山ちゃんも時々手伝ってるよ。でもスピーチ歴がまだ少し短いから、考えを明確に表す表現を書くのはもう少し練習が必要なんだって」
「そんな・・・」
腹立つ!
学科の組ではあたしと変わらないレベルにいるはずの稲葉さんがまるで先生気取りで人様の書いたものにめちゃくちゃ赤を入れている。一体何様のつもり?!
原稿の直しが終わると、今度は実際に声に出して読み上げることになった。
すると、上級生達からまたもやどんどん直しが入る。
「発音が悪い。語尾が全然聞こえないよ」
「子音が全く聞こえないよ。それじゃ聞いてる人に通じない」
「そこはもう少し声を張って」
「その文章で一番観客に伝えたいのはどの言葉?」
「声が足りないよ。自信が無いの?もっと大きい声で、お腹から声を出して!」
「強調したいところがあったら、少し身振りを入れてみようよ。ただ棒のように立っていちゃだめだよ」
考えてもいなかったようなダメ出しが続いた。あたしがせっかくネイティブな英語で読み上げても、その発音ですら直される。一体どういう事??
「スピーチは普通の会話と違って、イントネーションや言葉がはっきり分かるように一つ一つの単語をきちんと言うのよ。
芹沢さんの様にアメリカン・イングリッシュを使う人の弱点は、子音が弱めになって語尾が流れてしまうから、聴衆に届かない言葉になってしまう事。アメリカのニュース番組のキャスターのしゃべり方を真似したほうが良いかもね」
リーダーの秋山さんがアドバイスしてくれたが、あたしはどうにも納得がいかなかった。これまでも何回もアメリカのニュース番組を見て喋り方を真似してきたのに、これ以上どうしろって言うの?
そのうち、他の1年生たちの指導をしていた稲葉さんの声が大きく聞こえてきた。
「You’re getting much better now, so don’t worry about your pronunciation just yet. What we need is a louder voice that everyone in this room can hear it clearly. Once you got the voice、 then we can start working on your pronunciation and enunciation. You got it?」
英語で喋っている。あたしがこれまで聞いた事の無いボソボソした発音の英語で。
何これ。
何でこの人英語が喋れるんだろう。
先輩たちのつぶやきが聞こえてきた。
「あー、稲葉ちゃん、またヒートアップしてるよ」
「一旦英語のスイッチが入っちゃうとああなるんだよね。1年生への洗礼だよね」
「ただ内容が聞き取れているか不安だなあ・・・」
「まあ、うちのサークルは一応英会話サークルだし、これも勉強だよね」
思わず先輩たちに聞いてみた。
「あの、稲葉さんって学科じゃレベルの低い組にいるはずなんですが、あれちゃんとした英語なんですか?あたしが知ってる英語とは違うんで。何か間違った英語を教えているんじゃないかと思って」
「あ、それは大丈夫だよ。言わなかったっけ、稲葉ちゃんニュージーランドに住んでたって。それにうちのサークルの顧問のオドンネル先生からもお墨付きの英語だから心配しなくて大丈夫だよ」
あたしは疑問をぶつけてみた。
「住んでたって言っても、短期留学とか?夏休みの2週間ぐらいのホームステイとか?その程度であんな偉そうに英語を使っているなんて恥ずかしくないんですかね」
「あれ?これも言ったと思ったんだけど、あの人帰国子女なんだよ。中学校ぐらいから大学に入るまでずっと行ってたんだって。相当苦労したみたいだよ」
帰国子女?
フラストレーションが最大限まで膨れあがって爆発しそうになった。
帰国子女。
だからあんなに威張っているんだ!
やっと分かった。
偉そうに英語をひけらかして、出来もしないはずの添削までやっちゃって。
ちょっと発音が良いからっていい気になっちゃって。
それにしてもアメリカに行っていない帰国子女がいるってどういう事?
帰国子女は皆アメリカに行ってきたんじゃないの?皆アメリカンな言葉と文化と価値観を身に着けてるんじゃないの?外国っていえばアメリカの事を指すんじゃないの?
それがニュージーランド?何よそれ!
もう良く分かんない!
でもよく考えてみて。
中学から海外に行ったんじゃ大したことは無いんじゃない?
本物の帰国子女は幼稚園から小学生くらいに海外に行った人のはず。中学で行ったのでは、大した語学も身に着けていないはず。それもニュージーランドなんて、アメリカみたいに影響力のある国に比べれば大したことないはず。
そう言ってあたしは気を紛らわせた。絶対に大したことない、絶対に・・・
日々は駆け去り、卒業した先輩たちを審判に迎えた1年生のためのスピーチコンテストが近づいてきた。
その日はいつも指導してくれている秋山さんがお休みだったため、あたしは稲葉さんの指導を仰がなければならなくなった。
あたしはいやだった。ニュージーランドとか言ってるけど、ちゃんとした英語が出来る人なんだろうか。変な事を教えられたらどうしよう。
一通り原稿を読み上げると、稲葉さんは秋山さんから受け取ったと言う資料を見ながらしゃべり始めた。
「それぞれのセンテンスで強調したい言葉が、まだ強調しきれていないかな。どの言葉を強調するかは原稿に書いてあるんだよね。その言葉を言う時にもう少し声を張れる?あと動きも硬いからもっとリラックスしてみましょう」
もう一度原稿を読まされた。
「・・・ソー、イリーズ クリアー ザェァット アメェリカ エァンド ジャペァン マスダ コオペレイ フォァ ネクスト ジェネレイシャァン。ジス イズ ワライ ガッダ セイ。センキューフォァ リスニング」
聞き終わった稲葉さんは、こう続けた。
「うん、最後の所なんだけど、Cooperateを強調したいんだっけ。そのCooperateも、「明確である」っていうClearも強調するともっと良くなるよ」
「え、本当ですか?秋山さんはそんなこと仰っていませんでしたけれど・・・」
「あ、そうなの?じゃあその方法を残そう。じゃあ、最後の所だけもう一回やってみましょう」
「・・・アメェリカ エァンド ジャペァン マスダ カオペレイ!フォァ ネクスト ジェネレイシャァン」
納得がいかなかった。稲葉さんの間違った指導かもしれないし、信用するわけには行かない。
「あ、それそれ。それだけ強調できれば聴衆に伝わると思うよ。今日の練習でやったことは明日秋山さんともう一度おさらいしてみてね」
そう言うと稲葉さんはリュックサックから何やら小さなペーパーバックを取り出しながら、普段から教えている裕美ちゃんの所に行った。
「Hallo! Shall we begin then ?」
「Any time !」
2人は英語で喋りながらレッスンを始めた。聞くところによると、裕美ちゃんは小さい頃スコットランドに住んでいて、「稲葉さんに教わると、何だか忘れてた英語が戻ってくるような気がする」とまで言っていた。
稲葉さんの英語に懐疑的だったあたしは、裕美ちゃんにそれとなく聞いてみた。
「ううん、普通の英語だよ。大きくなってからニュージーランド行ったのに、結構流暢だし、自然だし。それにね、さっき稲葉さんが使っていた英英辞典、見た?もう7年も使ってるんだって。辞書の使い過ぎでボロボロになってたよ。よっぽどこまめに辞書を引いていたんだろうね」
辞書をボロボロになるまで引く?そんな努力を稲葉さんごときがやるの?
あたしはあらためて稲葉さんの辞書を見た。使い古して色の褪せた英英辞典だ。ページの色が変わり、形も歪む程使い込んだその様子に、あたしは嫉妬した。こんなにぼろぼろになるまで辞書を引いたの?
「稲葉先輩、この辞書どうしたんですか?」
「もう7年くらい使ってるの。そろそろ買い替えなきゃいけないんだけど・・・」
「え、折角ある辞書を買い替えるんですか?」
「うん。言葉ってどんどん変わって行くし、新しい言葉もどんどん出来るから、新しい辞書は必要になるよね」
あたしは自分の英英辞典が新品なのが一瞬恥ずかしくなった。新品なのは使っていない証拠。
「次は何の辞書を買うんですか?」
「まだ決めてないけど、持ち運びが出来る辞書がいいかな」
辞書の持ち運び。あたしのウェブスターの英英辞典は正直重たくて仕方がない。
しかし、そのボロボロになった辞書を見ても納得がいかなかった。
稲葉さんは間違った英語だとされているイギリス英語の辞典を使っている。
という事は、稲葉さんの英語は間違ってるんだ。
あたしは自分に言い聞かせた。
何としてでも稲葉さんの英語はあたしの英語より下のレベルだと証明して見せたい。
イギリス英語など間違った英語を使う人がトップになることなどありえない。
あたしの英語は誰よりも上手いはず。
絶対誰にも負けてない。
ましてや間違った英語であるイギリス英語を使うなんて、低レベルの稲葉さんになどはお話にならない。比べ物にならない程あたしの方が勝っているはず。
1年生のスピーチ大会では、結局裕美ちゃんが優勝した。
国連についてのテーマだった。
裕美ちゃんのスピーチのどこが自分のものより勝っていたのかは分からない。そもそも国連がどんな役割を持つ組織なのか分からないあたしにはどうでもいい主題だった。
審査員からのフィードバックは、「もう少しオリジナリティのある主題にしましょう」というものだった。全く納得がいかなかった。日米の交流という日本が抱えている最優先すべき重要な課題に切り込んだのに、それをオリジナリティが無いですって?
審査員の中には、ヨーロッパのどこかでイギリス人学校に通っていた人がいると聞いたので、えこひいきがあったのかもしれない。
英語と言えばアメリカン・イングリッシュが正当だと思っていたのに、なんだか居心地の悪い所に来てしまった。
数日後、あたしは図書館の雑誌の書棚の前にいた。
アメリカの雑誌のニューズウイーク。高校の時から読むように先生から言われていた雑誌だ。あたしは中をさっと見た。
すると、稲葉先輩が書棚の裏側にいるのを見つけた。
英語の雑誌を読んでいるなんて、稲葉先輩とあたしも同レベルよね。全く、何読んでるのかしら。
あたしは近づいて行って話しかけた。
先輩の手には、エコノミストの雑誌が開かれている。
これ、確かビジネスマンとか仕事をしている大人が読む雑誌じゃなかったっけ?
「稲葉先輩、何でこの雑誌を読んでるんですか?!」
「うわ、びっくりした」稲葉さんが驚いて雑誌を取り落とした。
「すみません・・・何でこの雑誌を読んでるのかなと思って」
「ああ、これ・・・。これだと政治経済がいっぺんに分かるからね。でも全部は読まないよ。興味のある所だけ流し読みして、特集記事だけコピーして熟読用にしてるの」
そんな読み方ってある?
あたしだってニューズウイークも巻頭の記事を読むのが精いっぱいなのに、雑誌を流し読み?
悔しくなって、あたしはニューズウイークではなくタイムズの雑誌を読むことにした。これならエコノミストに対抗できるだろう。
しかし、それだけでは無かった。
ある日図書館に入っていつもの雑誌の書棚でタイムズを開いていると、稲葉先輩が書棚のある廊下を足早に進んでいく。
今日は雑誌を読まないのかな。そう思って覗いてみると、稲葉先輩は外国語の新聞があるデスクに座った。フランスのフィガロ紙やアメリカのニューヨーク・タイムズなどが置いてある場所だ。
稲葉先輩はそこでザ・タイムスを開くと、すごい勢いで流し読みを始めた。しばらくするとやおら立ち上がり、何かをコピーし始めた。
あたしは嫉妬ではちきれんばかりになった。
英字新聞なんて気が付いていなかった。時々キオスクで手に取るものの、なかなか読めないでいることの方が多かったからだ。
「稲葉先輩、何読んでるんですか?」
「あら、こんにちは。これね、今欧州連合でいろいろごたごたが起きてるでしょ?そのニュース記事を読んでたの」
「でも何をコピーしてたんですか?」
「社説だよ。これだけは毎日続けてるの。コピーして、熟読」
「毎日?!」
「うん。私の場合はコツコツ毎日続けないとなかなか覚えられないみたいで・・・」
「でも雑誌もコピーしてたじゃないですか?あれは読まないんですか?」
「あれは週末用だよ。気に入った記事があって、コピー取っちゃえば電車の中でも読めるしね」
あたしはイライラしてきた。あたしだってこれまでにもジャパン・タイムスを手に取ったことがあるのに・・・流し読みをして、一部だけコピー?そんなずるいやり方があったなんて。
その日からあたしは図書館に通い、ニューヨーク・タイムズを読むことにした。
アメリカの新聞はあとロサンゼルス・タイムズがあるようだが、なんとなくこっちの方がよさそうだから。何と行ってもアメリカの大都市で発行されている新聞だもの、こっちの方がアメリカを代表しているように思える。
流し読みはきつかった。高校でしっかり難しい単語を勉強してきたはずなのに、中身がなかなか頭に入ってこない。社説などもすらすら読めない自分が悔しかった。
悔しさをバネに、あたしは新聞を読み続けた。
高校の時には手にすることのできなかった新聞や雑誌がここにある。それを稲葉さんは手に取り、流し読みしてコピーして図書館を出ていく。その自慢げな様子が癪に障った。
あたしだって、やろうと思えばニューヨーク・タイムズなんかすらすらと読めるはずなのに。タイムズ紙だって、長い特集記事だってさらさら読めるはずなのに。
頑張って習慣にしようと思ったが、1年生は授業の数が上級生に比べて多い。
とてもじゃないけれども授業ででる宿題やレポートをやっていると、新聞や雑誌にかまけている暇など無かった。
そんなある日、同級生の弘子ちゃんと図書館で合った。
「ねえ、満里奈ちゃん、稲葉先輩の事、聞いた?」
「何が?」
「あの人、毎朝電車の中で日経新聞を読んで、学校に着いたら英字新聞や雑誌を読みまくってるんだって。しかも1年生のころからずっとやってるらしいよ」
金槌で殴られたような痛みを感じた。それじゃ、本当に毎日読んでるんだ。
「あの人、変だよね。海外に住んでたって聞いたけど、それなのに毎日英字新聞読んで、しかも熟読とかまでやって」そう言ってみると、弘子ちゃんが言った。
「前にちらっと先輩が言ってたんだけど、新聞とかは続けて読まないと世の中の事にどんどん付いていけなくなるって・・・それに、英語は外国語だしまだ完璧じゃないから、ちゃんと向き合って勉強しなくちゃ、とか言ってたよ。良く続くよね・・・」
海外に住んでたと言う割には語学には自信が無いらしい。
あたしは心の中でほくそ笑んだ。なんだ、海外に居ても駄目な人は駄目なんじゃない。
夏休みが過ぎ、後期の授業が始まった。3年生はもう引退したのだが、あたしたちの練習には駆けつけてくれる先輩たちが多かった。しかし、稲葉さんは決して顔を出さなかった。
「稲葉さんって冷たいんだね。サークルにもパタッと顔を見せなくなって・・・他の先輩たちがこんなにこまめに来てくれるのに」
嫌味を込めて言って見ると、周囲がざわついた。
「満里奈ちゃん、知らなかったんだ・・・稲葉さん、留学するんだって。今勉強で大変なんだって」
え、留学?3年生なのにこれから留学?
「うん。2年生の時は倍率が高すぎて志望校に行けなかったみたいだけど、今回再チャレンジして留学試験に受かったんだって。4年生の途中からオーストラリアに行くんだって」
それを聞いてあたしの中にまた火がついた。
帰国子女のくせに留学までするなんて。そんなのずる過ぎる!
中学だか何だか知らないけど、海外で楽して英語を覚えてきて、日本でも楽して簡単な帰国子女入試で大学に入って、その上留学?
帰国子女ってずるい!
あたしたちが日本の受験英語でこんなに苦労してきたのに、それを海外にいたからって、簡単に英語を覚えてきて、楽ばっかりして、そして日本に帰ってきて自慢して・・・
いつもテレビで見ているアメリカの情報でただ一つ気に入らなかったのが、アメリカから帰って来た帰国子女だ。
テレビを付ければ何処のチャンネルにもアメリカ帰りの帰国子女タレントや、大学生の帰国子女が出て、偉そうに通訳をしたり、自分の海外体験を語っている。
あたしはそれを見るにつけ、苛立たしく思っていた。
日本を批判し、自分のいた国をよいしょして。一般人でも「帰国子女」であれば「ファッショナブル」で「素敵」で脚光を浴びている。
ほんのちょっとアメリカで楽をしていい思いをしていたくせに、したり顔で日本と海外を語っている。許されるべきでない恥知らずな非国民だと思っていた。
才能も無いのに親の七光りで海外に行って、出来もしない外国語を日本で振りかざす恥知らず。
普通の日本の学生は選別試験を受けて優秀な人しか交換留学にいけないはずなのに、何の選別も受けないで海外に堂々と行っている。何の能力も知性も持ち合わせていない、本来日本から海外に行くべきでない恥ずべき人達。
でもアメリカで育って、アメリカの教育を受けた帰国子女の発言はどれをとっても羨ましく、あたしは彼らを押し退けて自分の体験を語れないのが悔しくてならなかった。
あたしだってアメリカの事を知っているのに。
英語も勉強しているのに。
誰よりもアメリカを愛して、理解をしているはずなのに。
あたしだって自分の知っていることを大勢の人に知ってもらいたいのに。
ある日図書館の前で稲葉さんを見つけたあたしは、自分が押さえられなかった。稲葉さんの前につかつかと寄っていって話しかけた。
「稲葉さん、留学するんですか」
「あれ?誰かから聞いた?そうなの、1年長く大学にいることになるけどね、勉強の機会があったから悔いを残さないようにしようと思って」
「でもニュージーランドに昔いたんですよね」
「うん?そうだけど・・・?」
「あっちで英語も出来る様になったんですよね」
「うーん、まあね。言うほどのものでもないけど」
「家族に連れて行ってもらったんですよね」
「まあ、親の転勤だったからね。仕方なく」
「でも、それって・・・帰国子女ってことですよね」
「まあ、受験は帰国生枠だったけどね」
「それってずるい!帰国生の受験内容って、一般の生徒と比べて簡単なんでしょ?
それに英語が出来るくせに留学までして。
あたしだって帰国子女になりたかったですよ!
外国で楽な生活をして、海外の学校に入って、楽して簡単に英語を身に着けて、楽な方法で大学に入って。何の苦労も無く人生送ってきて、
サークルでも自慢ばっかりして偉そうに英語を使って・・・」
ここまで言うと、稲葉さんはいきなり英語で、大声でしゃべり始めた。
「Look. If you’re jealous, blame it on your parents for your upbringing. They are the ones who are responsible for it. They are the ones who didn’t take you abroad. And remember, I am not responsible for your upbringing, and don’ t you even dare to think that I am responsible for your life! You just go home and accuse your own family for what you haven’t got !」
そう言うと、稲葉さんは踵を返して図書館の中へと消えてった。
言っていることは半分ほどしか分からなかったが、自分の家族が責任を持つべきだ、と言っているのはなんとなく分かった。
家庭の事情。
そんなことは考えてもみなかった。
帰国生とは何の不自由もないままにアメリカに行って、何の苦労もしないで楽に英語を身に着け、日本に帰ってくれば楽な方法で受験をし、周りの受験生を押しのけて大学や高校に入ってくるものだと思っていたのに。
第一、アメリカに行っていない帰国生がいると言うだけでも想像の範疇を超えていたのに。
外国と言えばアメリカの事を指しているし、英語と言えばアメリカの言葉のはずなのに。
家族の転勤を持ち出されたら、返す言葉が無い。
あたしが帰国生でないのは親のせい。
親がアメリカに転勤しなかったから。
親を責めるべきもの。
本当に?
海外転勤だなんて、そんなことはうちの親はあたしにはしてくれなかった。
これが親の転勤さえあれば、あたしだってアメリカで生まれ育つことが出来たかもしれないのに。国籍だってアメリカの国籍を取れたかもしれないのに。
けれども、父も母も大好きなあたしは、親を責める気にはなれなかった。
そのうち、あたしの負けん気に火がついた。
稲葉さんが4年生で留学に行ったのなら、あたしは3年生で絶対留学してやる。早急に決めたので両親には相談しなければならないが、言語学に強い大学ならきっとどこかにあるはずだ。
その日から大学の留学課に缶詰めになり、アメリカの大学の学部を一つ一つ調べて行った。
目星をつけたのは、アメリカの西海岸にある世界でも屈指の名門大学。これなら日本では無名のオーストラリアの大学と比較しても勝ること間違いないだろう。
悔しいけど、スピーチ・グループのリーダーになることは諦めなければならない。本当だったらあたしが部員の英語を磨き上げて大学英語スピーチ大会に出場し、先輩たちが成し得なかった上位三位独占と言う栄誉を勝ち取り、リーダーとして表彰されるはずだったのに。
けれども今のあたしにとって、世界に名だたるアメリカの有名大学への留学の方が最重要課題になっていた。
留学試験には予定通りに合格し、あたしは晴れてアメリカに向かうことになった。
アメリカを選んだもう一つの理由が、同じサークルの同級生の家族が大学の近くに住んでいる事だった。知り合いが近くにいるのは何とも心強い。
3年生の夏休み、あたしはユナイテッド・エアラインでアメリカに向かった。
機内にいる時からもう辺りはすでにアメリカの香りが漂っている。
機内食もアメリカ人が作ったものだと思うと、すべてを自分の細胞に吸収せずにはおれない。プレートの上に置かれたパン切れ一つ残さずアメリカの貴重な食物を食べきった。これであたしの身体の一部はもうアメリカになった。まるでアメリカ人に生まれ変わったかのような気分になった。
夢にまで見たアメリカでの生活。やっと来れた。やっとあたしの国に来れた。
空港の中からしてすでにアメリカの雰囲気で満ち溢れている。窓の外にはためく星条旗。感無量だった。
留学する大学は空港からバスで程近くにあった。
真っ青に晴れ上がった空の下には、白亜の建物が点在する限りなく広いキャンパス。テレビで何度も見てきたアメリカ人の学生や教授が行き交い、あたしに「Hi!」と挨拶してくれる。
やっと自分の場所を見つけることができた。やっとあたしがいるべきところに来れた。
準備を万全にしていったので語学には一切不安は無く、日本人の友人も大勢出来て、憧れて止まなかったアメリカン・ライフに1年間どっぷりと漬かった。
ジョギングの後に飲むミネラルたっぷりのコントレックス。ジャンクフードはちょっと試す程度にして、アメリカ最先端の食生活を思う存分に味わった。
西海岸の最先端なオーガニックでヘルシーな食事。スーパーモデルや大企業のCEOたちが実践している最高の食生活を、健康な食生活の中心であるアメリカ西海岸で実践している自分が誇らしくてならなかった。買い物をするのも当然最先端のオーガニック食品を扱うスーパーだ。
有名校ともあって、友人達は世界中から来た優秀な人達ばかり。時々海辺のシーフード・レストランに繰り出しては何時間もコミュニケーションについて語りあった。
週末には時々こちらに住むサークルの同級生の家に招いてもらい、ご家族と食事を共にしたり泊めてもらったりした。同級生の家族はもう五年もアメリカに住んでおり、彼女はアメリカで高校を卒業している。
下の弟達は地元の小学校に通っていて、家の中では英語で話していた。あたしはそこはかとないジェラシーを感じた。あたしだって家族とこんな風にアメリカに住むことも出来たのかもしれないのに。兄弟がいれば幼いころからアメリカで育って、一緒に英語で会話できたのかもしれないのに。
でもあたしはすぐに優越感を持った。何といってもあたしはアメリカの高名な大学で勉強しているんだもの。ここにいる同級生の兄弟の様にたかだが小学生レベルの生活とはかけ離れている。
アメリカで大学レベルの高等教育を受けることこそが大事なのよね。この兄弟が日本に帰って帰国子女になっても、たかだか小学生や中学生の低レベルな教育しか受けていない。あたしの受けているハイレベルな大学教育の前には、跪いてひれ伏すかも。
大学の休暇ではアメリカ中を旅して見分を広めた。
冬休みにはラスベガスやニューヨークを訪れ、世界でも最高のエンターテインメントに触れた。ラスベガスの壮大なショーや、ブロードウェイのミュージカル。いつまでもここにいたいと思わせられる程の素晴らしいエンターテイメント。いずれ必ずやここに戻って来たいと思わせられる体験だった。
春休みには南部のニューオーリンズやアラバマを訪れては古き良きアメリカを感じた。小さい頃に読んでいたトム・ソーヤーやハックルベリー・フィンのお話や、映画で見た「風と共に去りぬ」の舞台。まるで自分の子供時代に戻ったかのような懐かしい感覚さえ覚える。
留学期間が終わってからは、1週間かけてマイアミやニューイングランドなど東海岸の歴史のある街を訊ねて回った。
見るもの聞く事すべてがテレビや映画で見た所ばかり。嬉しさと懐かしさのあまり心はすっかりアメリカ国民になっていると言っても過言では無かった。
1年間は短く、日本に帰るのが惜しかった。またきっとこのアメリカの地に戻ると決めて、日本行の飛行機に乗り込んだ。大学の最後の学年を終わらせなきゃ。
アメリカでの生活を体験して、これであたしも帰国生と同じ立場に立てた。見下されていた稲葉さんとももうこれで対等な立場。
やっぱり現地を体験していないと意味が無いのよね。
あたしの夢の国、アメリカ本国でやっと生活で来たんだもん。
1年間外国に住んで向こうの学校に通えたんだもん。
外国人と英語で話せたんだもん。
これでもうどんな帰国子女とも対等なはず。
アメリカで就職するつもりで、大学3年の秋には就職活動を始めた。しかしこれは難航を極めた。アメリカの企業は経験値を求めており、留学中にボランティアやインターンを経験しなかったあたしは、経験不足で面接にすら辿り着くことが出来なかった。
業を煮やしたあたしは、日本に進出してきているアメリカ企業に絞って就職活動をした。
これからはインターネットの時代。業界をリードするアメリカの企業が次々と日本に参入してきており、PCを扱う企業も増え始めていた。日本はこの分野ではアメリカに後れを取っている。あたしのような英語の言語学を専門にしてきた人にはぴったりだ。アメリカの最先端の業界で働く。いや、絶対に働いて見せる。
何社かから面接に呼ばれ、アメリカ国内でも有数のIT企業から内定を貰えた。これでアメリカが少し近づいた。あとは社内で転勤のチャンスを待つだけだ。
最終学年が来てゼミでの論文も書き上げた。あとは主席で大学を卒業するのを待つだけだ。
卒業式が来て、あたしは両親がこの日のために用意してくれた振袖袴を着て卒業式に臨んだ。
大講堂で行われた式に友達と参加したあたしは、式が始まる直前に学科の主席がスピーチすると聞かされた。
はあ?? 主席??
学科の主席はあたしじゃないの??
あたしよりも成績の良い生徒がこの学科にいるの?
あたしは世界屈指のアメリカの大学に留学してたのよ?それなのにそれ以上の成績を収めた生徒なんているの?
式が始まり、学長先生から別れのお言葉があった後、件の主席が答辞を述べた。見たことも聞いた事も無い同級生2人。男女揃って答辞を述べる姿を見て、あたしは体中に嫉妬が渦巻くのを感じた。
このあたしよりも成績の良い学生がいる。それも卒業式で満席の会場の中、堂々と答辞を読み上げている。
悔しかった。何としてもあの場にあたしが立ちたかった。それなのにあたしは有象無象の学生と一緒に会場の片隅で答辞を聞いている。
絶対あれを越して見せる。大学では無理だったけれども、いずれ大学院に行って、最優秀の成績で卒業してみせる。
悔しさを引きずりながら、社会人1年目をスタートさせた。先輩達からの低レベルで退屈な仕事の説明を受けながら、あたしはITの世界にのめり込んでいった。
先輩から習うよりも自分で仕事を覚えて行った方が何十倍も早く仕事を上達できる。あたしは言語学を専攻してアメリカの有数の大学で学んだ優秀な人材なんだもの。低レベルのたかが先輩ごときがあたしに指導をするなんてもってのほかだ。
アメリカに行くことしか頭になかった。いち早く群を抜いた成績を出して、アメリカに転勤させてもらうんだ。今やあたしの母国となっているあのアメリカに帰りたい。
2年目には海外出張にも出させてもらい、世界各地を股にかけて飛び回った。
発展途上国が主だった。アメリカに行かせてもらえないのが癪に障ったが、どこの国の事務所に行っても現地のスタッフが総出で迎え入れてくれる。
仕事が終われば息抜きとして観光に連れて行ってくれた。インドのタージマハール。ヨルダンのペトラ遺跡。ベトナムのカイラン水上マーケット。どこへ行っても目を見張るものがあり、私はしばし仕事を忘れて観光地に魅了された。
そんな中、大学のサークルの同窓会があり、久し振りに友人達と会う機会に恵まれた。
お互い近況を話す中、あたしはいやな事を聞いた。
「ねえ、稲葉先輩って覚えてる?」
「うん、覚えてるよ」
「あの人、今イギリスにいるんだって。会社の転勤らしいよ。」
その一言で全身の血がかっと巡り噴出するような感覚に陥った。
学生時代から生意気だった上級生。できもしない英語をちまちまと図書館の片隅で勉強していた嫌な奴。それが海外で働いているなんて、あたしは耐えられなかった。あたしですらまだ海外転勤が出来ていないのに、あんな先輩ごときが海外転勤??
その翌日、あたしは改めて上長に海外勤務の希望を出した。これ以上日本に居ても意味がない。自分がステップアップするにはアメリカに行かなければならない。あたしは辛抱強くその時を待った。
入社3年目にしてようやくその時が巡って来た。
ITの聖地、シリコンバレーにある本社への転勤。1年間の契約ではあるものの、あたしはその話に飛びついた。これで稲葉先輩とも同等だ。いや、ITの聖地にいるんだからあたしの方が勝っている。たかがイギリスにいるだけの先輩とは大違いだ。
そうしてあたしは2度目のアメリカ生活をスタートさせた。お給料では賄えない程の高額な家賃の広い高級アパートを借り、毎週末同僚を家に招いてのパーティー三昧。
アメリカ人の好きなバーベキューは基本中の基本。分厚いTボーンステーキやベイクドポテト。ナパバレーのワインやバーボンも全員にいきわたる様贅沢に奮発し、アパートの広いベランダで常時20人が参加してくれた。
雨の日の週末は、シリコンバレーのあちこちに点在するアウトレットに出かけては、ブランド品の服やアクセサリー、化粧品を買いあさった。
この3年間で貯蓄してきた財産を使い果たすほどの贅沢をし、充実したアメリカ生活にどっぷりと浸り、あっという間のアメリカ生活を終えて日本に帰国した。
しかし腹立たしい事に、同級生の話では稲葉先輩はまだイギリスにいた。
「入社して2年目で転勤のお話があったんですって。今は向こうで係長職として出世しているみたいよ。もうイギリスに行って5年位になるのかしら」
これを聞いて、あたしは本格的にアメリカに移住する準備を始めた。
稲葉先輩が転勤で海外に行ったのなら、あたしは転職してでもアメリカに移住する。
たかが転勤で海外に行ったのとは違い、移住を目的にアメリカに行った方が目の前に立ちはだかる壁は大きい。あたしはこの壁をクリアして稲葉先輩よりも何倍も凄い経験をして見せる。
あたしは勤めている会社のアメリカ法人の求人に申し込んだ。
日本での3年間の経歴が認められ、3年間の契約で勤務することが認められた。3年後は勤務の実績により契約延長もあるとのこと。
またあのシリコンバレーに戻れるなんて、考えただけでも全身に気合が満ち溢れてくる。
シリコンバレーのある一角にある広い工場の敷地内が私の新しいオフィスとなった。広い芝生が工場の前を取り巻き、社員が通勤に利用する車のパーキングスペースも充実している。
私はなけなしの貯金で自動車をレンタルすると、バレンシアガのサングラスをおでこにちょこんと乗せて通勤した。ここはアメリカ。少しでも日が出ていればサングラスをするのは当たり前。おでこにちょこんと乗せるのも当たり前。
職務内容は日本から送られてくるPCのオーダーをさばく事、そして日本語でのクレーム対応だった。本来なら現地採用の人がやるポジションだったが、その現地採用の人を押しのけて仕事が出来るのが何とも優越感をくすぐる。あたしはアメリカに住んでいる日本人よりも優秀なんだ。並みいる日本人居住者に勝ったという事実を目の前に、叫びだしたくなるほど嬉しいオファーだった。
しかし、蓋を開けてみてあたしはその勤務内容に愕然とした。給与は3年間据え置き。PCのオーダーからは外され、毎日アメリカにある日本企業からのクレームをさばく事しかやらせてもらえない。クレームの内容も日本人の態度の悪い顧客からの電話が大半で、毎日頭を下げることしかやらせてもらえない。
気が付けばアメリカにいるのに毎日クレーム対応で日本語しか使わない日々が続いていた。
あたしは上長に訴え出た。日本で学んできたPCの機能の知識を一切活用できない今のポジションは納得できない。少なくとも元々の契約通りのポジションに着かせてもらえないかと。
その後、1通の封筒がアパートに届いた。
解雇通知。
即日解雇で、働いた日までの給料は振り込むという一文が添えられていた。
その日からあたしは無我夢中で職を探した。しかし労働ビザが切れてしまっているあたしにそうそう働ける仕事などは簡単には見つからなかった。なにより貯蓄が無い。
失意の中、あたしはたったの1年も経たずしてアメリカ生活を後にし、日本に帰国した。
元いた会社では求人が出ておらず、同業他社に就職した。
ここでも海外との接点があり、また世界中を出張で駆け巡る日々が始まった。
PCの宣伝販売に中東やアジアを駆け巡る日々。前の会社と同様に旅行気分の出張で、現地スタッフからの歓迎も嬉しいものだった。仕事もそぞろに切り上げ、現地スタッフが連れて行ってくれる有名観光地や地元の料理をとことんまでに楽しんだ。
アメリカ生活で磨いた語学は今では何も不自由なく使え、行く先々で「どうして英語が話せるの」と聞かれてしまう日々。出来るあたしには当然の言葉だった。やっぱり英語が出来ればどうしてもそういう風に聞かれてしまうのよね。
日本に帰国してから、また大学時代の旧友達との接点が深まった。しかしそこで聞いたのは腹立たしさを超えて脳みそが煮えくり返らんばかりの事だった。
稲葉先輩は相変わらずイギリスに住んでいて、今はパートナーとロンドンで家を買って住んでいると言う。しかもニュージーランド時代の高校の同級生と暮らしていると言う。
あたしの高校の同級生で外国人などいないのに。
あたしがどんなに頑張っても、アメリカ生活を続けられなかったのに。
それを甘ちゃんの稲葉先輩がイギリスでの生活を続けてられるってどういう事?
同級生の1人が言った。
「この間イギリスに旅行に行った時、稲葉先輩と会ってきたよ。あの人、ニュージーランドかオーストラリアで就職したかったそうなんだけど、縁があってイギリスの会社に就職して、2年目で現地採用になったみたい。向こうのオフィスで偶然にも同級生の人と会って、そのままお付き合いをしてるみたいよ。いずれ婚約するかもしれないね」
あたしはこの話を聞いて、足が震えるほどの嫉妬を感じた。
あたしでさえまだ外国人と付き合ったことが無いのに。
あたしは稲葉先輩を超える計画を練った。稲葉先輩が外国人と付き合っているのなら、あたしは外国人と結婚して見せる。それもアメリカ人と。
嫉妬は原動力になる。相手を倒すまでは。
あたしは優れた人種であるアメリカの白人と結婚して、稲葉先輩をかならずや跪かせてみせる。
それに卒業してから随分と経った今も、帰国生はずるいと思う心は変わらない。
幼い時に外国に行って、楽をしてずるをして英語を身に着け、何の問題も無く楽をして贅沢な暮らしをして、そして日本に帰ってきて英語をひけらかす。常識はずれの恥ずかしい非国民。
そう思う反面、あたしは自分に子供が出来たら海外で教育を受けさせたくてたまらない。
小さい頃から完璧なアメリカン・イングリッシュを喋り、アメリカの学校に通ってアメリカ人の友人達と一緒に育っていく。アメリカの文化を身に着け、アメリカの価値観を身に着け、素晴らしいバイリンガルな人間になって日本に戻ってくる。
日本では1番レベルの高いアメリカン・スクールに通わせて、将来はアメリカの一流大学を経て、アメリカでも群を抜いて有名な一流企業に勤めさせる。
アメリカで出世し、アメリカ人の伴侶に恵まれ、孫は日本人とのクォーター。
孫には日本語と日本文化を身につけさせ、将来的には日本の有名大学に留学で来させて、あたしたちの手元から通学させる。
あたしが将来結婚する人は、絶対に海外赴任をする人。それもアメリカに長期滞在をする人。
あたしの次の夢は家族でアメリカに向かう事。出来れば出産もアメリカで。そうすれば子供にアメリカ国籍を取ってあげる事が出来る。
そう決めたら次は行動だ。
稲葉先輩の上に立てるのであれば、もう何でもやってやろうと言う気持ちになった。
幸いながら、職場には何人かアメリカ人との付き合いがある人がいて、その人の紹介でアメリカ人が日本で通うスポーツクラブを紹介してもらった。そのクラブでは富裕層のアメリカ人単身者に結婚相手を探すきっかけを提供していると噂されていた。
あたしはささやかな貯蓄の中から大金をはたいてスポーツクラブの会員となり、毎週末プールやジムで将来の結婚相手を探した。
アメリカ人と結婚するなら白人がいい。
アメリカは人種のるつぼとは言われるものの、やっぱりアメリカで暮らすのなら白人と暮らしたい。白人の方が有色人種よりも何かと有利だし、将来子供が出来たら金髪で青い目の子供が欲しい。そんな一心で、スポーツクラブで出会う人達を吟味していった。
その瞬間は気が付いたときに目の前にやって来た。
光る小麦の様な金色をした豊かな髪を持つ、中肉中背のアメリカ人。ジムの同じマシーンで鍛えていたその男性にあたしは吸い寄せられるようにして近づいて行った。
その人はあたしに気が付き、満面の笑顔で挨拶してくれた。
「Hey, how’s it going ?」
緑に近い青い目の光るその眼を見た途端、あたしの心は決まった。
この人こそあたしの生涯の伴侶。
無我夢中でその人に話しかけて連絡先を交換した後は、毎日のようにあたしから連絡をしてデートに誘い、相手が息をつく間もない程独り占めにして見せた。背が低いのが玉に瑕だけれど、そんなことはどうでも良くなるほどこの人はあたしの理想の人物だった。
彼は名前をジェイク・スプリングフィールドといった。ミネソタ州の出身でもともと頭が良く、あたしと同じ西海岸の大学を出た後で来日し、今は世界でも名だたるコンサルタント会社で働いていると言う。
世界に名だたる大学を出て、世界に名だたる企業で勤めている。これこそがあたしが伴侶に求めていた絶対条件のひとつだ。あたしだって世界に名だたる大学に留学していたんだもの。つり合いが取れないと夫婦としてやっていけない。
見つけたものは絶対に離さない。ジェイクが他の誰かに目を向けないよう、アメリカで身に着けた知識と経験を最大限に生かして話をし、翌年には婚約までこぎつけた。
ジェイクは日本が大好きで、このまま日本で暮らしていきたいと望んでいた。日本語も上達して日本人のクライアントも増え、このまま日本で頑張っていきたいと言っている。
それでは駄目だ。
稲葉先輩が海外でパートナーを見つけて、海外で生活している。
それを打ち負かすにはあたしたちも海外を目指さないといけない。アメリカで家を買って落ち着いて、グリーンカードも獲得して、稲葉先輩よりも早く出産しないといけない。なによりもあたしたちの子供にアメリカ国籍を持たせないと。
コンサルタントとしての経験はアメリカでも活かせるはず。結婚後もあたしはジェイクを説得し続け、彼の親が年を取った時の事を考え、また将来子供をどちらの国で育てた方が有利になるかを説得した。あたしの熱意が通じたのか、ジェイクはアメリカで子育てをすることに同意してくれた。
これであたしたちの子供もアメリカ国籍を持ち、日本に戻ってアメリカン・スクールの高校を卒業した後にあたしたちが籍を置いた大学に進学させてあげることが出来る。
慌ただしく結婚式を済ませて飛行機に乗ると、あたしたちはビジネスの街であるニューヨークを目指した。ここでジェイクがコンサルタントとして活躍し、あたしたちは子育てに専念が出来る。主人の両親の住むミネソタまでも飛行機ですぐに行ける場所だった。
才能のある人だったせいか、ジェイクはすぐに頭角を現し始め、短期間のうちにコンサルタント企業のトップに上り詰めた。そんな頃、あたしたちは第一子の長女を迎えた。
父親譲りの金髪に青い目。唯一気に入らなかったのはあたし譲りの細長く切れ上がったアジア人の眼と小さくて低い鼻。これではアメリカ人とみなしてもらえないかもしれない。焦ったあたしは第二子、第三子が欲しいとジェイクに訴えかけた。
バイリンガル教育は最初が要だ。あたしは子供には家の中では日本語を使う様ジェイクにお願いをし、日本の親からも溢れんばかりの日本語の子供向けDVDを送ってもらった。
テレビもラジオも日本語の番組が聞ける。家の中の小さな日本。ここであたしは長女をまず日本語で育てることにした。絵本の読み聞かせや日本から送ってもらった貴重な幼児教育用のDVDを一緒に見る。〇歳の時から浴びせるように日本語を聞かせて、日本の絵本も一緒に読んだ。「かぐや姫」を読んだ後は「桃太郎」を日本の知育教育のDVDも見せた
一歩家の外に出ると、今度は英語のお勉強だ。散歩で行く先々で出会う人たちや、親であるあたし達夫婦も英語を使って長女に語り掛ける。アメリカのこの地で、地元のアメリカ人の中で自然に英語が身に着くことを期待していた。
公園で合う老人夫妻。同じ年頃の子供を乳母車に入れて散歩している夫婦。散歩途中に立ち寄るカフェやマーケット。行く先々で人々は皆あたしの長女ナオミに笑顔で語り掛けてくれた。
しばらくすると、ナオミは,日本語の絵本を読んでいる時なぜか目を閉じて口を尖らせ、身体をよじって逃げ出そうとするようになった。絵が気に入らないのかしら。私は美しい絵柄の「かぐや姫」の絵本に取り換えた。けれどもナオミは同じ動作を繰り返す。
バイリンガル教育には二つの言葉をコンスタントに聞くことが重要。あたしだって小さい頃からコンスタントに英語のビデオを見てきてバイリンガルになったのだもの。あたしの娘なら同じことが出来て当然。しかしナオミが日本語の絵本を嫌がる素振りを見せる度に私のイライラは募った。
ある日、日本語のDVDを見ただけでナオミが泣き出したので、私はついかっとなり、ナオミのお尻をいやというほど叩いた。あたしよりももっと恵まれたバイリンガルの環境にいるのに、嫌がるですって?あたしが子供の頃はむさぼるようにアメリカのテレビ番組や映画を見たのに。
遅くに家に帰って来たジェイクに愚痴をこぼすと、彼はこう言ってくれた。
「疲れているんだよ。子供が寝る前の読み聞かせは僕がやる。君はしばらく休んでいていいよ」
日本語はネイティブと同様に話せるジェイクの申し出は嬉しかった。
私は子供部屋にある日本語の絵本を山の様に積み、ジェイクにどれでもいいから読んであげて、とお願いをした。
2年後、次女が産まれた。この子はあたし譲りの黒くてべったりとしたアジア人の髪質に、あたしと同じ濃い茶色の目。細くつり上がった目の形も低い鼻の形もあたしとそっくりだ。ジェイクは喜んでくれたが、あたしは気に入らなかった。何としても白人の子供が欲しい。アジア人の顔ではアメリカのハイソサエティには入れない。
そんな中、風の便りに稲葉先輩も出産したとの話を聞いた。あたしよりも数年遅くに出産したらしい。パートナーは日系人とのハーフで、生まれた子供は四分の三が日本人だと言う。
アメリカ人の血が濃い程、あたしの中の基準では人として勝っている。
たかがニュージーランド人と、大半が日本人の子供ならどうと言うことは無い。少なくともあたしの長女は金髪に青い目の子供だ。
ましてやあたしの方が出産が早かった。この点でも稲葉先輩の先を行っている。
勝った。
時間がかかったけれど、あたしは稲葉先輩に圧勝した。
これでもう稲葉先輩はあたしの敵ではない。
煮えたぎるような喜びがふつふつと湧いてきて、空に向かって叫びたくなるほどに嬉しかった。
バイリンガル教育は第二子のエリカが産まれても続いた。あたしは家の中は日本語、外では英語を使うルールを厳しく守った。
ベビーシッターで日本語が使える子が近所にいなかったので、夫婦で外に出かけるのはお預けとなった。ベビーシッターが家の中で英語を使っては子供たちの成長に悪影響がでる。
唯一許していたのはアメリカの子供向けテレビ番組。あたしが小学生だった頃夢中になった番組。着ぐるみやパペットたちがおしゃべりする番組。子供たちと一緒に見ていても、テレビの向こうで何を言っているのかはさっぱり分からなかったが、あたしは娘たちがあたしと同じ番組を見るという経験をして欲しかった。
子供達が3歳になった頃、近所にあるプリスクールに入れた。人種のるつぼであるこのニューヨークでも比較的裕福な家庭が集まる界隈にあるこのプリスクールは白人の子供が来ており、子供たちの将来のコネクションを作るには抜群の場所だった。うまく行けばハイソサエティに属する家族の子供たちと友達になれるかもしれない。
あたしもここぞとネイティブな英語で周囲の子供たちの母親と仲良くし、プレイデートにも積極的に参加するようになった。
予想していた通りプリスクールの子供たちは裕福な家の子供たちばかり。娘たちは街の高級マンションや一戸建ての家にお招きしてもらってはアメリカの生活を吸収して帰ってくる。
お返しに我が家にお友達を呼んだときは、あたしは娘達に日本語をきちんと使う様にしつけた。この子たちはバイリンガルなのよ。あなた達とは違って英語以外の言葉も話すの。そんなこと、あなたはお家でやっていないでしょう?あたしは家に招いた子供たちに密かな優越感を抱きながら、プレイデートを次から次へとこなして行った。
そのまた2年後あたしは第三子を出産し、やっと自分の目にもアメリカ人と同等と思える子供が産むことができた。
主人とうり二つの金色に輝く髪と、主人の両親に似た、透き通るような青い目。
顔の作りも3人の姉妹の中では一番主人に似ており、やっと自分の納得できる子が産まれたと思った。
三女のカレンが産まれても、我が家のバイリンガル教育は続いた。
この子たちはゆくゆくはバイリンガルになって日本に帰り、東京の最高峰のアメリカン・スクールに入れるのだもの。早期教育は必然的なものだ。
あたしは三女が産まれてから、さらに上の2人の娘たちに「家は日本語、外では英語」のルールを今まで以上に厳しくしつけることにした。主人のネイティブレベルの日本語があれば、家族で日英両方のバイリンガル環境を娘たちに与えることが出来る。
しかし、子供が大きくなるにつれて困ったことが起きた。
上の2人の娘たちはプリスクールが始まると、家の中で日本語を使わなくなった。
仕事の忙しい主人はなかなか子供を構ってあげることが出来ず、かといってあたしの英語も子育てするには十分とは言えない。家の中では日本語で子供たちに話しかけてはいたものの、姉妹の会話は英語になってしまった。自分の子供の話していることが判らない。子供の英語がすらすらと分かるほどあたしの英語は上手くない。
折角日本滞在期間が長い夫を見つけて、子供をバイリンガルに育てるはずだったのに、こんなに早くにとん挫するとは。
あたしは諦めず、娘2人をニューヨークの日本人向けのプレスクールに入れた。週末に日本の国語と算数の教育が受けられるプレスクール。そこで日本人の友達が出来ればと思っていたが、2人とも全くやる気を出さず、先生からは「お嬢さん達にはちょっと難しいのかもしれませんね」という屈辱的な意見を聞かされた。
そんなある日、あたしは見るもおぞましいものを見てしまった。
ニューヨークのダウンタウンの自然食品を販売しているマーケット。子供たちを連れて訪れた時に、あたしは目の前の夫婦連れに目が引き寄せられた。
これは稲葉先輩だ。
相変わらずアジア人特有の黒くてべったりした髪をした稲葉先輩の横には、茶色の髪をした背の高い男性と、やはり茶色の髪の小さな子供がいる。
パートナーはどう見ても外国人だった。事前の情報が間違っていたのだろうか、どう見ても日本人の血が入っているとは思えない。茶色の巻き毛に青い目。透き通るような白い肌。子供の方と言えば父親とそっくりだ。
あたしは稲葉先輩の近くに行くと、何も考えずに話しかけた。
「稲葉先輩」
先輩はよほど驚いたのだろうか、手にしていたかぼちゃを取り落とした。
「えっと・・・?」
「芹沢です。芹沢満里奈。」
「ああ、もしかして大学時代サークルに一緒に居た方かしら?」
するとパートナーの人が割って入って来た。寸分たがわない生粋の日本語で。
「誰、知り合い?」
「そう。同じ大学で、一緒にサークルに入ってたの」
「へえ!こんなところで合うなんて奇遇だね。今はこちらにお住まいなんですか?一緒にいるのはお子さんかな?」
日本人と変わらない流暢な日本語で話すそのパートナーの人は、日本人らしい風貌では無かった。
「学生時代以来だからもう十何年ぶりですよね。ニューヨークにはもうずっと?」
「6年前からです」
「そんなに長く居らっしゃるんですか!そしたらこのあたりの事はベテランですよね。私達、旅行で来てて、昨日こちらに着いたばかりなんですよ」
「聞きましたよ、ニュージーランド人と結婚したって。先輩が結婚したって聞いたからあたしも結婚したんです。うちの主人は純粋な白人のアメリカ人。先輩の所のハーフなんかよりもずっと勝っています。うらやましいでしょう?」
「えっと」そういうと2人はなぜか複雑そうな表情で顔を見合わせた。
「一応、初めて会ったのはニュージーランドですけど、僕はイギリス人なんですよ。母親がイギリス人で。顔も母親のをそっくり貰いました」
妙な沈黙が続いた。
稲葉さんもパートナーもあたしの事を羨ましがらない。逆にパートナーの方がマウントを取ろうとしてくる。一体全体何なの、この人達?
あたしは仕方なく続けた。
「お子さんは最近出産されたんですか?」
「はい、4歳になるんですよ。もう旅行にも連れだせるときだと思って。芹沢さんのお子さんはもうこんなに大きくなっていらっしゃるのね。今何歳?」
日本語を嫌う長女は、稲葉先輩の質問には答えなかった。
「ナオミ、お返事して」
長女は黙って下を向いた。あたしは代りに答えた。
「6歳。小学校の2年生です」
「そう!もう学校に行ってらっしゃるのね。下のお2人は?いま何歳かな?」
やはり日本語を嫌う2番目の娘はあたしの後ろに隠れた。
「エリカ、何歳って聞かれてるのよ」
でも次女はあたしの後ろにしがみついて離れようとしない。
「あら、恥ずかしがり屋さんかな?うちの子は厚かましくて・・・誰かいるとすぐに話しかけちゃって。健!お母さんのお友達に挨拶して!」
オーガニックショップの店員さんと話していたその男の子は、パタパタと走ってくると、あたしに向かって「こんにちは!」と大きな声で挨拶をした。
その子のあまりに自然な言葉に、あたしは猛烈なジェラシーを感じた。
あたしがどんなに努力しても娘たちに伝えられなかった日本語。それを目の前にいる生意気な子供が堂々と話している。
店の店員さんが子供の後追いかけてきた。
「Hey, you forgot this!」
小さな茶色の熊のぬいぐるみを手に持っている。
「Thank you ! I nearly forgot him !」
「Don’t forget your precious thing !」
「Yeah, he is my best friend!」
ここまで聞いて、あたしは耐えられなくなって顔をそむけた。
あたしの嫌いなイギリス英語。日本では間違った英語として敬遠されているイギリス英語を、この子供は難なく話している。
「稲葉先輩、バイリンガル教育してるんですか?」
「教育というか、家の中は日本語、外では英語と決めてて。プリスクールに入れたら英語が大分うまくなったかな。家では主人も日本語を話すし、3人の会話はほとんど日本語だよね」
「後、僕の両親も今はイギリスに住んでるんで、まあ日本語も英語も使ってますかね。母親は孫に英語で話すし、ニュージーランドが長かった父は英語と日本語を混ぜるからちょっと困ってはいるんですけれど」
「芹沢さんのご主人は?アメリカの方って仰ってましたよね?」
「はい、そうです。日本にも長く居ました。日本語ネイティブのレベルで話せます」
「そうなの!それならお家でも日本語が使えるわよね」
「いえ、あの、主人は仕事が忙しくて。あまり子供たちと時間が割けないので・・・」
「あら、そうなの。でもお子さん、3人もいるから、何らかの形で日本語を使える時が来るかもしれないですね」
「芹沢さんは今イギリスで何をやってらっしゃるんですか?」
「在宅でリサーチャーをやってるの。日本でイギリス系のコンサルタント会社に努めて2年目にイギリスの本社に呼ばれて、それからずっと日本から来るリサーチ案件を担当してるの」
「旦那様は?」
「僕は通訳です。国際会議で通訳をすることが殆どかな。通訳仲間も日本人とイギリス人のカップルが多いんで、仲間には恵まれています。通訳は結構時間に融通が利くから子供との時間も取ろうと思えばとれるし」
あたしは自分の足がわななくのを感じた。
アメリカに来て永住権をとったにも関わらず、子供の世話や教育に奔走していたあたしは仕事をする余裕などなかった。
あたしは1人で育児をし、頼れる親もいない。いるのはミネソタにいる旦那の両親だけ。でもこの両親は日本語が出来ないので、子供たちを連れて行くと一気に英語の世界になってしまう。
それを目の前の稲葉先輩はものともせず、涼しい顔で仕事をし、育児をこなしている。
しかも旦那様の育児サポートがあって。
結局その日はあまり買い物もせず、稲葉先輩の一家と別れて、あたしは子供たちと帰宅の途についた。
すると、会社に行っているはずのジェイクのジャケットが居間のソファーに投げ出してある。
ベッドルームからは小さなクスクスという笑い声さえ聞こえる。
あたしは子供たちを2階の子供部屋へ連れて行き、お気に入りのDVDを見せた。
頃合いを見計らって下の階に行くと、目も当てられないような光景が広がっていた。
半裸の女性が主人の首に手を回し、主人も普段の事と言わんばかりに浴びせるようなキスを交わしている。
あたしは自分を抑えられなくなって大声をだした。
「ちょっとあんた、何やってるのよ!」
2人はこちらを向いた。少しは驚くかと思いきや、主人も相手の女性もしれっとした顔でこちらを見ている。
「見られちゃったからしょうがないか。俺、この人と結婚するんだよ」
「結婚ですって?!」
「もう前から決めてたんだ。せっかくアメリカに来て、君が自分のキャリアを続けるかと思いきや何もしない。子供が産まれても家事と育児しかしない。仕事を探すどころか、子供の嫌がる日本語を教えることにかかりっきり。おれはその愚痴を聞かされるばかり。
もう少し骨がある人だと思ってたんだけど、ベビーシッターを雇うとか保育園に入れて仕事をするとかいう発想は無いみたいだね。このままこの国で主婦をやってくの?俺に何かあった時は知らないよ」
「それは・・・ベビーシッターに任せたり保育園に入れたらこの子たちの日本語が駄目になるから・・・」
「あのさ、語学なんていつでも始められるんだよ。俺だって日本語を勉強し始めたのなんて16歳の時だよ?学校を卒業して晴れて日本に行って、そこから死ぬ気で日本語をものにした。いや、ものにしたと言うのは間違いかな。外国語として謙虚に向き合っているし、まだまだ勉強しなければならない事は沢山ある。
今ここにいるアリーも日本で頑張ってきた人だよ。18歳で日本の大学に行って、始めのうちはもがいたけれども、向こうで就職して困らない程度の日本語は身に着けてきた。ちなみにアリーは俺の居たコンサル会社の同僚でもあるんだけどね。転勤でしばらくこっちにいるっていうから、俺達婚約したんだ」
「でも何で?その人に使う時間があったら、子供たちにもっと時間を費やしてくれても良かったじゃない?」
「君のかたくなまでの日本語教育に加担しろとでも言うの?ナオミもエリカも嫌がってるじゃないか。その2人を追い詰めるように小さい頃から日本語を強要して。子供たちがアメリカで育っていくなら、まずは英語という基礎になる言葉をしっかり作ってあげようとは思わないの?」
「それは、あたしの英語があまりうまくないから・・・子供時代の英語なんてあたしは知らないもの」
「へえ、それがアメリカのトップの大学で言語学を専攻していた人の言う事かね?うちみたいに1歳にもならない頃からバイリンガルを強要しようとしたら、両方の言葉がおざなりになるのは目に見えているよ。
ナオミがシャイに見えるのも、ナオミが十分な英語が育たないままプリスクールに入ったからだと思うよ。せめて家で英語を少しでも使ってあげればよかったのに、君は日本のDVDを見せ、日本の絵本を読み聞かせ、ナオミが少しでも英語を話せばきついお仕置きをした。これではナオミは日本語も英語も中途半端にしか分からない子供になるよ。学校の成績が悪いのも日本語の押しつけが枷になっていると俺は思うね」
一気に言い切ったジェイクは、アリーという女性と顔を見合わせ、そしてこう言った。
「君が良ければ、上の子供たちは僕らで引き取る。一番下のカレンはまだ言葉が分からないから、君が日本で育てると良いよ。他の2人は僕らに任せて欲しい」
あたしは混乱で泣きじゃくった。
「あたしの子供をあなた達が育てるですって?あたしが産んだ子なのよ?それを言葉の問題がどうのって言って、あたしから取り上げるって言うの?」
「君の場合は仕事をしていなかった時期が長すぎる。僕と離婚してアメリカに残るか日本に戻るかは知らないけれど、1人で3人も子供を育てられるのかい?いや、無理だと思うね。せめて末の子だけは残してあげるから、あとの2人は安心して俺たちに任せると良いよ。子供たちもアリーに懐いているし、親子関係も心配する必要はない」
アリーが口を開いた。
「あなたの元で育ったとしたら、ナオミちゃんもエリカちゃんも言葉が中途半端になると思うんですよ。そうよね、ジェイク?この間四人で遊びに行った時、二人が色々話してくれたんです。
(プリスクールでは日本人の親がいることでさんざんにいじめられた)
(家にプリスクールの友達を連れてきたときに、お母さん英語がへたくそだねといわれた。何年もアメリカに住んでいるのに全然アメリカに馴染んでないんだね、って悪口をいわれた(
(お母さんの英語は上手くないと有名。プリスクールの友達のママたちが言っていた。まともな英語もしゃべれない移民とは付き合いたくないと言われた)
(外国語を習うならフランス語が当然と言われた。それに小さい頃からラテン語もお勉強しているのが当たり前。それが普通なのに、なぜ日本語なんか喋ってるのかと言われた)
(どうせ日本語しか喋れないんでしょ、と仲間外れにされる)
(お母さんと出かけるのが恥ずかしい。外では下手な英語で話しかけて来るし、店員さんも外国人が来た、って店の奥に引っ込むことがしょっちゅうある)
(プリスクールでバザーとかチャリティのイベントがあってもお母さんは参加しない。来たとしても隅っこの方に立っているだけ。話しかけられると日本人丸出して「イエース、イエース、アイ アグリー ウィズ ユー コンプリートリー」しか言わない。自分の意見すら英語で言えない。そもそも大人の会話に加わらないから、お母さんはボランティア精神に欠ける人だと思われている。ものすごく恥ずかしい)
これだけの事をナオミちゃんもエリカちゃんも英語で話せるんです。彼女たちの母国語はもう英語なんですよ。ジェイクも家ではナオミちゃんやエリカちゃんとは英語で話していたし、もうあの二人は一度英語で育て治してあげた方が良いと思うんです」
ジェイクはあたしを裏切っていたんだ。あれほどまでに家の中では日本語を使うと約束していたのに。
ジェイクが続けた。
「俺も子供たちが言っている事には賛成だな。君は10年近くもアメリカに住んでいるのにずっと日本人まま。メイクしてもアジア人のまま。とてもアメリカ人には見えない。雰囲気からしてアメリカに長く住んでいる人にはとても見えないんだよ。それなのに自分は「私はアメリカ人」などと言って恥ずかしくないの?
ましてや君の英語は日本人の英語だよ。君がしょっちゅう言っている「なぜ英語が話せるの」と周囲から言われているのはお世辞だと気が付かないの?
君は東洋人過ぎる見掛けだ。その顔じゃとても英語を喋る人には見えないね。顔つきだけじゃない。アメリカに住んで、ここに馴染んでいる人の雰囲気が無い。まるでつい昨日日本から来たばかりの人みたいだ。
そんな外国から来たばかりの雰囲気のアジア人の君がちょっとでも英語を話せば、周りはびっくりするよ。ちょっと英語が喋れるんだな,って。それにお世辞で「なぜ英語がしゃべれるの」なんて言いたくなるんじゃないの?
正直、君が自分のことを「私の英語はアメリカのネイティブ」と外でことあるごとに言っているのはどうかと思うよ。本当にアメリカに馴染んで、雰囲気も君の言うネイティブそのもので、英語も自然な英語を使っている人なら、You speak English, don't you? とか Where do you actually come from?"とか聞かれるはずだよ。俺だったらまずそう聞くね。
それに君は人のアドバイスに耳を傾けない。自分に都合の悪い事を言われると目をそらしてぼんやりとしたまま、動きもしない。完全に人の言う事を聞いていない。俺にも我慢の限界がある」
アリーが言いにくそうに口を挟んだ。
「家の外でお嬢さんの名前を呼ぶときだけ、日本語を使ってらっしゃるんですね。ナオミちゃんが怒っていましたよ。Naomiはネイオーミと呼ぶのがアメリカでは普通ですが、もしかしてご存じないのでしょうか?」
もうこれ以上聞いてられない。
自分をコントロールできなくなったあたしは、雄たけびを上げると、アリーに殴りかかっていった。
それから半年。
旦那が起こした離婚調停であたしは完敗し、上の2人の娘の親権は旦那とアリーの物になった。末娘のカレンだけがあたしの手元に残され、その他の物は旦那の給与で買った家も家具もお皿1枚、スプーン1本に至るまですべてが旦那の物になった。
専業主婦で3人の子供を育てている間勉強をする暇も無かったあたしは、当面の仕事先も見つからず、自分が働いていた頃の財産が底をつく前に慌てて日本への片道切符を買った。
もうこれは1度日本に戻るしかない。
子供たちにコンスタントに英語と日本語を使わせる環境を与えたい一心で一度も帰らなかった日本。実家では、6年間1度も顔を見せなかったあたしを受け入れてくれた。両親に直接孫の顔を見せられたのも初めてだ。
上の2人の娘の時は失敗してしまったバイリンガル教育。
この末の娘にはどう伝えていこう。
この6年間で得たアメリカの美しい言葉を娘に伝える。
その為ならいくらでも稼いで見せる。
そう決めると、あたしは再就職先を探すためにネットで求人を探した。
そして、この6年間いかに自分が何もしてこなかったかに愕然とした。
翻訳も出来なければ通訳も出来ない。
アメリカにいたのに旦那とも子供とも日本語で話す日々。
たまに買い物で外に出ることはあっても、あまりに育児に専念していたためか友人と呼べる人が1人も出来なかった。
娘たちに日本語を学んでもらいたい。バイリンガルになって欲しい。
それしか考えていなかったあたしは、家の外は英語、家の外は日本語と厳しく分けていた。たまに自宅に遊びに来たいと言ってくれる人が居ても、家の中に1歩入った途端に日本語を話し始めるあたしに驚き、娘たちにも日本語でしか話しかけないのを聞いて居心地が悪くなったのだろう。皆2度目の訪問は無かった。
そんなと時に稲葉さんの家族の顔がふと思い出された。
子供の数なら勝っているのがあたし。外国人らしい金髪碧眼の夫を持ったのもあたし。
でも稲葉さんの家の様に子供をバイリンガルには育てられなかった。
娘も2人失った。
稲葉家がバイリンガル教育に成功しているのなら、あたしのカレンにはもっと素晴らしい教育を施してあげよう。
あたしは英語教師をしている人達のためのお見合いサークルに入会した。バイリンガル教育を専門的に学んだ人であること。カレンのアイデンティティが壊れないよう、アメリカ人であること。収入があり、いずれは母国に戻ることを考えている人。
そして婚活パーティーの日が来た。
青山の隠れ家的な会場で行われるそのパーティーには、50名程が参加するという。
アメリカで、唯一自分で購入した最先端の高級ファッションとジュエリーに身を包み、7センチのハイヒールを履いたあたしは、会場の前にタクシーで乗り付けた。
会場はバロック調が美しい建物の中の広間。入り口で受付を澄ませると、パウダールームで最後の化粧直しと服装のチェックをした。
そして、今まさに始まらんとしている婚活パーティーの会場のドアを開けると、周囲にはアメリカでの生活で身に着けた最高の笑顔をふりまきながら、華やかなその空間へ颯爽と足を踏み入れて行った。
すれ違う人達は皆あたしのアメリカンな雰囲気に見惚れているはず。あたしの事をアメリカ人だと思っているはず。絶対に。
素敵な思い出のあるアメリカ西海岸。その爽やかな空気を身に纏い、あたしはその場にいる人に明るく元気に声をかけて行った。
一緒に娘をバイリンガルに育てる将来の伴侶と出会う事を願いながら。
だれか、アメリカ人で良い人が見つかりますように。
今度こそ子供たちに良いバイリンガルの環境を与えられますように。
もう一度家族であたしの憧れの国、アメリカで住むことが出来ますように。
そして、稲葉さんがうらやむほどのバイリンガルな子供を作って、彼女を見下せる日が来ますように。
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