note連載はじめます
はじめまして。
私たちは全国日蓮宗青年会という、なにか大それた集まりのような会の名前ですが、つまるところ『日蓮宗の若いお坊さんの集まり』です。
今までこのアカウントではイベントの宣伝くらいしか使っていませんでしたが、これからは『自然体な』お坊さんの文章を楽しんでいただく場にしたいです。読んだ感想や「スキ」などは、私たち書き手の励みになります。ぜひお気軽に関わっていただけたらと思います。
そして、書き手は5名います。それぞれ面白い視点を持ったお坊さんで個性ある文章を楽しんでいただけると思います。(頑張りますね!)2週間ごと日曜日の朝に更新していきます。ご好評を多くいただけたならば、更新頻度を検討していきます。
遅くなりましたが、私は梶原と申します。長崎在住の三十代です。田舎で妻と娘二人(6・4歳)を育てています。もともとプライベートで読む専門でnoteをやっていましたが、今日からはしっかり書くのも頑張っていきます。よろしくお願いいたします!
〈どんなときも どんなときも〉
「あなたが最初に覚えた曲はなんですか?」
この質問をすると年齢がだいたいわかってしまいますね。
私は、槇原敬之さんの「どんなときも」です。母が槇原さんのファンで私も自然に聞いているうちに覚えていました。幼い時はあの心地よいサビの「どんなときもー」「どんなときもー」が好きでよく歌っていました。
『うまくいかない自分』『挫折しそうになる自分』をこの曲はたくさん元気づけてくれましたし、時には物事を難しくとらえすぎていた自分に気づきをくれました。
歌詞の軸である「なりたい自分になることを目指して、迷ったり足掻いたりしている自分を肯定する。」というテーマは、昨今話題になっている『自己肯定感』そのものだと感じます。
今も昔も、私たちが望むものは簡単には手に入りません。
望むものが手に入らない苦しさ…約2500年前のお釈迦様のころから『求不得苦』(ぐふとくく)と言われ、人間の苦しみの1つに数えられています。
マズローはこの5つの低い段階から順に求めていくと言います。最終的には今の自分に納得できるかどうか?なのかなと受け止めています。
私たちが生きていく中で、誰しも思う通りにうまくいかないことがあるはずです。それにどう向き合って、そんな自分を好きになれるか。
仏教から心理学、歌の中にもそのヒントがあるように思います。
あなたの苦しんでいること・困っていることが少しずつでも良き方向に向かっていきますように。長崎の田舎から祈っています。
梶原 拝