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「オオクビ」・・・ホラー短編。旅先の旅館、ひび割れから出て来たものの正体は。



『オオクビ』


小春(こはる)は、20歳の誕生日を、4年付き合っている彼氏、真砂人(まさと)と温泉で迎えることにした。

偶然ネットで見つけた隠れ家的な旅館だった。
これと言って特徴のない古い旅館だが、小春はなぜか気になった。
というより、この宿にしなければならい、そんな気持ちになったのだ。


真砂人の方は、最初あまり乗り気ではなかった。

「古くてボロいんじゃないの?」

「でも今、古民家とか流行りだよ」

「じゃあ。まあ小春の誕生日だし。我慢するか」

真砂人は時々、ブームに乗っている人たちを馬鹿にしたような口調で話す。
そのくせ、「流行」という言葉には弱い。

8月の週末、小春たちは車で山の中の一軒宿に向かった。

旅館は辿り着くのに時間がかかったが、その分静かだった。
美味しい食事、気持ち良い温泉。誕生日ということで旅館が用意してくれた小さなバースデーケーキも嬉しかった。

真砂人がケーキのクリームを指に取り、誕生日の小春より先に味見して感想を言った。

「まあまあだな」

小春は『味は問題じゃないのよ』と言おうとしたが止めた。
真砂人は何を食べても、同じ感想しか言わないのだ。


昼間の長いドライブに疲れていたので、二人はお酒もそこそこに布団に入った。疲れていたのか真砂人はすぐに寝息を立て始め、小春は逆に寝付けなかった。

「このまま付き合ってたら、いつか結婚するんだろうか」

そんな事を考えていたら、何となく眠れなくなってしまったのだ。


真夜中を少し過ぎた頃、小春は、横になって見上げていた天井に小さなひびが入っているのに気付いた。

「あれ? 何だろう・・・」

そのひびは、見る間に大きくなり、天井全体に広がると、
生卵が割れて中身が出てくるように、何か巨大な黒い塊が落ちてきた。

あっと思った次の瞬間、落ちて来たものの正体が分かった。
それは、大きな女の子の頭だった。
色の白い肌、切れ長の目。赤い唇。おかっぱの髪を後ろにたなびかせて、 それは落ちて来た。

巨大な幼女の顔は、小春の体ぎりぎりまで落ちて宙に止まった。
髪の毛がはらりと垂れ下がると、その間から見える細い目を吊り上げ、ケケケと笑うと、真っ赤な舌を出して私の全身を舐めまわし始めた。

足首から膝、腰、お腹、胸、肩、首筋。
べっとりとした生暖かい舌の感触が吐き気を催しそうだったが
小春は恐怖で体が動かなかった。

舌が顔にまで上がってきた時、なんとか顔を背けて、隣に寝ている彼氏を見た。

「真砂人。助けて!」

こちらに顔を向けたまま眠っていた真砂人は、何か夢でも見ているのだろうか、目をつぶったままニヤリと笑った。


その時、小春は記憶の奥底に仕舞い込んでいた初めての夜を思い出した。

『ちょっとだけ大人の気分を味わいたかっただけなのに』

真砂人の部屋で初めて飲んだお酒は思いのほか強烈だった。
酔いつぶれ動けなくなった小春を、
介抱すると言って服を脱がし、全身を執拗に舐めあげた。

まだ幼かった小春の心は何も分からずに、こんな恋の始まり方もあるのだと思いこんだ。

そして、もう5年目に入ろうとしている。

「なんでこんな人と・・・」

極めて冷静な呟きが、小春の口から流れた瞬間、
目の前の幼女の顔が、さあっと音を立てて消えた。
天井も何もなかったように元通りだった。


翌朝、帰郷する車の中で、真砂人はずっと小春に話しかけたが
小春は気のない返事を繰り返すだけだった。

普段なら楽しく聞こえていた会話がひどくつまらないものに思え、
最後には「疲れて眠いから」と言って顔を外に向けてしまった。


飛び去るように行き過ぎる対向車のカップルの笑顔が懐かしいもののように感じた時、小春は、4年間剥がそうとしなかった魔法の封印が
綺麗に無くなっていることに気が付いた。

眠っていた心がようやく目を覚ましたような気分だった。


『自然消滅を目指すなんて私の性に合わない。
はっきりと伝えよう、もう終わりだと』


人の心というものは、外からの語り掛けが届いていないように見えても
決して眠ってしまっているのではない。
聞いたこと見たこと感じたこと、多すぎる情報を整理し成長し続けるのだ。
ただ整理する時間に違いがあるだけである。


抜けるような青空に入道雲が高くそびえていた。


                      おわり






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