マガジンのカバー画像

VERBE〜動詞的な日常

199
「動詞としての文化」とは何かの考察
運営しているクリエイター

2023年1月の記事一覧

異質な言語空間における音の差異

フランス語について不思議な設問を見た。詳しくは書けないのだが、単語の母音の読み方を問うものである。「不思議な」というのは、母音の選択肢が日本語の「アイウエオ」だったことだ。

例えばBonjourを「ボンジュール」と表記してみる。これをローマ字にすると«bo n ju u ru»となる。ここでまずフランス語の単語との大きなズレが見て取れる。最後の«r»には母音がついていないが、日本語のカタカナ発音

もっとみる

宿命づけられぬ土地の意味

とある本のコラムを依頼され、堀辰雄と鎌倉の関係について少しだけ文章を書いた。

堀辰雄といえば信濃のイメージが強く、実際に堀辰雄文学記念館は軽井沢にある。

また、僕の近年の論考は堀の奈良旅行を題材とするものだ。

その中にあって堀の鎌倉居住は昭和13〜15年の一時期だ。しかも滞在中に奈良旅行に出かけ、夏には長期で軽井沢の山荘で暮らす。書簡集を読んでも鎌倉についての記述は少なく、積極的な意味を持つ

もっとみる

母性的なるものを巡って

遠藤周作は『沈黙』で日本におけるキリスト教の変質を描いており、文化触変を考える上で極めてわかりやすい。いわく、父なる神の厳しさが日本の精神的土壌に根付くことは難しく、許してくれる「母」のイメージが浸透する。そのイメージは聖母マリアが観音と融合する文化(マリア観音)によって推察することが可能だ。この例の妥当性はともかくとして、日本における母の表象は興味深い。

アニメや漫画などの現代的メディアに目を

もっとみる

非知性的な夢想の対象がファンタジー世界であること

ダルコ・スーヴィン『SFの変容』において、文芸作品は四象限に分類された。分類の軸は「自然主義的/異化的」と「認識的/非認識的」となる。

自然主義的とは、すなわちこの現実を舞台としていることだ。対して異化的は現実外世界を意味する。認識的とは確固とした学問体系に基づき新たな知見を獲得できるものを指し、非認識的は習得から遠ざかるものであろう。この図式に当てはめると、現実において新たな知見を得られるもの

もっとみる

対話文読解に見る言語の裏切り

フランス語検定や共通テストでは、二人の会話を題材とした選択問題が出題される。Aが何かを言い、Bの答えを空白にし、Aの次のセリフが来る。解答者はBの答えを選択肢の中から選ぶ。

この手の問題は専門家が複数人で作成するため、答えは非常に明快だ。だが決して出題批判ではなく、言語の解釈は多重的だ。僕らがチョイスするのは、あくまで出題者の思考世界における選択であり、言語を読む人間の解釈に委ねると、解答の新た

もっとみる

コミュニティの停滞を打破するために

過去にジャズのビッグバンドに所属していたことがあり、20名前後で構成されていた。僕の活動自体は2年ほどだったが、その際に実感したのは人間が複数人集まると派閥に分かれるということだ。この感覚は今なお受け継がれており、どの組織にも派閥あるいは関係のグラデーションが存在することを実感する。

宇野常寛が指摘するように、人間は相互承認を求めざるを得ない。

SNSの「いいね」の数が目的化し、人の賛同を得る

もっとみる

国際文化学と地域の関連性

国際文化学は「国際関係を文化で見る」と定義されるため、国と国の関係が念頭に置かれる。だが「国」を明確化した瞬間に、「日本文化」を固定的なものとして捉えてしまうことには自覚的であらねばならない。「日本文化」を紹介しようとして「着物」「和食」といったものを提示するのは学生だけではなく、我々も同様だ。ではあなたはこの瞬間に和服を着ているのか?今日の朝食は和食と言えるものだったのか?——ここに文化の「名詞

もっとみる

虚無を乗り越える能力主義の捉え直し

フランス語を軸とするサードプレイスをオンライン上に作るために仲間とプロジェクトを回している。その障害となるのはむろん「フランス語の求心力」であり、大学における第二外国語の中でプレゼンスを失いつつあるフランス語がどれくらい人を引きつけるのかという問題がある。これに関しては研究上の課題となっているのだが、僕はさらに身も蓋もないことに直面している。それは「サードプレイスそのもの」の必要性だ。

ここ最近

もっとみる

令和の時代の絶望を考える

昨日の記事が妙にリアクションを集めた。

骨子は「なろう系」が描く異世界転生は現代の能力主義と関わっているのではないか……という内容だが、考えるほどに暗澹たる気持ちになってくる。

今日は現代文化まっただ中の学生とも意見交換をしたのだが、異世界転生と親和性の強い要素は美人の女性キャラクターらしく、確かにどのような作品を見てみても主人公と美女は切り離せない(まあこのジャンルに限った話ではないが)。現

もっとみる

「なろう系」と能力主義の関係

論文の暇つぶしに、今さら「なろう系」について考えている。

「なろう系」の起源はさておき、ジャンルとしての「なろう系」は異世界転生がメインだ。実生活で疎外された主人公がファンタジー世界に転生するパターンをベースとして、様々な作品が生み出された。このパターンにおける主人公の「現実世界」における属性については以前も少し触れた。つまるところ「何の能力も持たず、社会で居場所を喪失している」のだ。

他方で

もっとみる

異文化との接触時におけるフィルターの機能

近大生が主催した西野亮廣講演会を少しだけ手伝わせていただいた縁で、学生限定の講演会に席を作ってもらった。

講演内容を要約すると「人口減少によりこれまでと異なる経済生活を送らなければいけない日本においてどのように行動をしていくか」といった内容だ(あまり詳しいまとめはあえてしない)。氏は社会主義的マインドとも親和するような富の分配策を、エンターテインメントやコミュニケーション論と関連付け、非常にスマ

もっとみる

ラグビーのリアリズムに直面する

日曜は軽めに。

リーグワンの花園近鉄ライナーズvs横浜キヤノンイーグルスの試合に行ってきた。

今さら言うまでもなく、ラグビーはとても面白い。同時に東花園という土地においてラグビーは大きな存在感を持つ。市民にとって身近なスポーツであるゆえに、Division 1に昇格したライナーズが直面している壁が切実なものとして意識される。

前節のクボタスピアーズの試合と同様の完敗だ。ディフェンスが有効に機

もっとみる

教授法の可視化と再現性の問題

先日、政界の関係者に「キャラが濃い」と言われたので、もはや認めざるを得ない状況である。同時にキャラの濃さは個人の代替不可能性を示している。そんな人間が教壇に立つ場合、授業は極めて属人的になる。

「他と違う授業」になることのデメリットは、他の教員との接続が悪くなることだ。具体的には僕の授業で初級フランス語を受け、他の先生が中級を担当する場合に、学生の違和感が大きくなってしまうのである。これは仕方が

もっとみる

自らの物語をもう一つの「文化」と見做すために

新しい論文が査読を通過したので、3月に発行される。内容は昨年の七月に学会で発表した考察だ。

ここ数年、自分の精神に貼り付く文化について考えている。生まれて生活する中で、僕らは文化システムを体内化する。システムに従っているゆえに、日本のコミュニティの中では振る舞い方がわかっており、他者との無用な確執を避けることができる。

だが一つの文化に従っていると、その文化によって精神が呪縛される。自らが身を

もっとみる